第5話 渡 海
槌音と船大工の声が響き渡り、活気に満ちている。
砂浜に打ち寄せる波の音も健やかだ。
「な、なんだあれはぁ」
波に負けない大声は晴隆だ。
「船だ。船を造っているんだ」
従者佐助の声も負けてはいない。
「いいね、いいね。もっと傍へ行こう」
晴隆は、すでに駆け出している。
「おーい、大工さん。この船は誰の持ち物だ?」
「なんだい。おまえさんそんなことも知らないのかい。これは将軍さまのお船だ」
「大きな船になるんだろうなぁ」
佐助の声も関心しきりだ。
「当たりまえだ。何しろ将軍さまが宋へお渡りになる船だからな」
船大工が己の手柄のように云う。
「えっ、実朝さまは宋へ行くのか?」
晴隆の声が更に大きくなる。
ふんと、笑って大工は胸を張る。
「そうさ。見回りの将軍さまが今しがた帰ったばかりだ」
しばし目を凝らした晴隆は、弾かれたように走り出す。
「若、わか、どちらへ」
慌てて後を追う佐助。
二人は若宮大路を走った。
もう、佐助は主人晴隆の行動を理解している。
実朝さまの輿を追っているのだ。しかし、なぜ追っているのかは分からない。
「若、実朝さまの輿です」
佐助の声が弾む。
「実朝さまー、お、お願いがございます」
晴隆の声が上ずる。
「うぬ、怪しい奴。将軍さまに声をかけてはならぬ。さっさと立ち去れ」
輿の従者が二人、晴隆のまえに両手を広げ、その後ろの従者は刀に手をかけている。
「実朝さま、この夏、お目にかかった波乗りの安倍晴隆でございます」
「おう、晴隆か……」
実朝のおおような声が輿から上がる。
「はい、晴隆でございます。実朝さま、私も宋にお供させて下さいませ」
「ここでは、話が出来ぬ。付いて参れ」
実朝の声に、従者達の顔が不満に歪む。
晴隆は、両足を踊らせて将軍の輿に従った。輿は、御所へと入って行く。
御所の立派な門で躓いた晴隆は、アワアワと佐助を振り返った。
安部親職は、あたふたと長廊下をすり足で進む。
駆け出したい思いを鎮める
「御所さま、御所さま。親職でございます。この度は孫の晴隆のご無礼、平に平にお許しを」
「親職か、晴隆はこれにおるぞ。別に無礼なこともないぞ」
実朝の機嫌の良い声が伸びやかに迎えた。
「ははっ、ありがとう存じます。これ晴隆、ささぁ、帰るぞ。御所さまにお
「爺さま、まだ、実朝さまと話があるんだ」
晴隆の声が天真爛漫だ。
「これ、これ、晴隆。失礼を申すな。御所さま、どうぞお許しを。晴隆め、まだまだ子供、どうぞお許し下さいませ」
「親職、案ずるな。わたしは晴隆を取って食おうという訳ではない」
「はっ、もちろんでございまする」
畏まる親職の額に汗がピカリ。
「それで、晴隆。そなたは何が出来るのだ?」
実朝は愛猫をめでる眼差しだ。
「はい、水練が出来ます。三浦の先までも泳げると思います」
晴隆が戦陣で手柄を立てたように胸を張る。
「ほう、三浦まで泳いだのか?」
実朝が大仰に驚いてみせる。
「いえ、いまだ三浦には用事がございません。江ノ島までなら毎日でも泳いでおります」
晴隆は、真剣だ。
女人を含んだ多数の笑い声が、
「他には何が出来る。陰陽師の修行はしておるのであろう」
実朝は、楽しんでいた。
唐渡りの工人、
実朝の周りにはいない野生児の晴隆が、弟とも子供とも思える。
「はっ、陰陽道の方は、あまり修行が進んでおりません」
野生児は正直だ。
「晴隆め、柄は大きゅうございますが、いまだ子供。元服もまだでございますゆえ、御所さまのお供など到底務まりませぬ」
更なる汗を滲ませて親職が火種を消そうと首を振る。
「それでは、晴隆の元服、早々に済ませ、陰陽道の修行も一通りさせえ。宋へ出かけるのは、まだ先だ」
親職の慌てぶりを楽しんだ実朝は、晴隆を本気で宋に連れて行く気だ。
「ははぁぁ」
親職の荒い息遣いに、晴隆は、「爺さま御免」と囁いた。
(よっしゃ、やったぜ。おれは実朝さまのお供に加えられた)
宋に渡る大船の造船を差配している
涙ながらに、和卿は語る。
「貴方さまは、前世において宋朝は医王山の長老でございました。われは、その時、門弟の身分でお仕えしておりました」
眉唾ものの話に、同席の者らは、目混ぜして笑いを押し殺した。
しかし、実朝は、ぼーとして考えに耽っている。
(その話なら覚えがある。ずいぶん前に、夢に見た。あれは、正夢か。己の望みが夢となって顕れたと納得していたが‥‥‥)
実朝の夢は飛ぶ。鎌倉湾の上を超え、袖を翻し、波濤を眼下に眺め、宋の都を通り過ぎ、医王山に一つ飛びだ。
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