第4話 邂 逅

 建保四年(1216)、皆に支えられるばかりだった若き将軍も、一人歩き出している。

 皆が喜んでばかりでないことも知っている。政については考えず、どうぞ、お愉しみ下さいと云う顔を隠して、「立派におなりになった」と言葉に出したりする。

 実朝は、和歌を愛で、蹴鞠を楽しみ、二所詣も欠かさない。

 鎌倉幕府を開いた父君の源頼朝が崇拝した箱根権現と伊豆山権現の二所に参拝するのだ。将軍としての務めの一つである。それでもう十分と思う側近も多いのだ。


 正月十五日に、変事があった。

 相模の国江ノ島明神に渡る海原が陸路に変わったのだ。「末代稀有の神変なり」と、詣でる人々は引きも切らず喜びに満ちた。

 実は、江ノ島在住の白龍が、平和な空気に嫌気がさし、イライラして海底で暴れた結果なのだ。

 遠方からも人々が集まった。僧侶や武家は云うに及ばず、村々の女も子供も押しかけた。なにしろ、舟に乗らずに済むのだ。

「うるせぇ」叫んでも、もう遅い。あまりの賑わいに白龍は、逃げ出した。いかにも勝手気ままなうつけ者だ。


 稲村ヶ崎に、嵐の忘れ物か、激しい波が打ち寄せている。

 銀鼠色の空に鎌倉湾の水平線が溶け合って波の元が定かでない。

 東の材木座の空は乙女の頬ほどに明るい。雲の背後に朝陽が顔を覗かせたのだろう。

 雷神の殿しんがりとして残された雲は本物だ。今日は、白龍も白虹も嵐に負けて休息か。

 サクサクと砂を駆けてくる若い足音。

 潮焼けした髪をなびかせた大柄の少年が波打ち際で両手を上げる。

「すごいぜ。いい波だ」


「わかー、若……」

「おー、佐助。早く来い」

 少年を追って、幾らか年上の男が砂浜に辿り着く。


「若、いけません。こんな嵐の後の荒れ狂った波に乗るなど危険でございます」


 二人は、主従。

 安倍晴隆あべのはるたかと、若い主人に付けられた従者佐助であった。

 晴隆は、安倍晴秀の嫡男。幼くして母を失い、「いやいや」を繰り返しながら我がままに育った顔をしている。優男の父親とは違いゴツリと不敵な面構えが年に似合わぬ体格の上に乗っている。

 対照的に佐助は細面の美少年で、まるで晴秀の息子のようだ。佐助の母親は、晴隆の乳母だ。

 だから二人は乳兄弟ちきょうだい、もの心つく前から一緒だった。


「こんな大きな波は、そうあるもんじゃないぞ。おれは行くぞ。佐助、おまえ、怖いなら来なくていいぞ」

「いえ、若が行くなら、おれも行きます。若ひとりをこんな荒波に立ち向かわせる訳にはいきません」

「何をぐずぐず云っているんだ。さあ行こう」


 晴隆は、足元に放り出していた板子を抱え、砂を蹴散らし海に飛び込んだ。


「若、決して板子を放してはいけません」

「佐助こそ、おぼれるなよ」

「ああっ、すげえ。若はもう、乗っちまった。おれも行くぜ」

 佐助も板子を頭上に上げ、晴隆の後を追う。


 晴隆は夢中で波に乗る。

(こんな大波は年に一度もない。これを逃してなんとする。あんなにおれを止めていた佐助の奴だって、波を従がえて楽しそうじゃないか。それにしてもこの鎌倉で波乗りを楽しむのが、おれと佐助の二人だけとはもったいない)


 稲村の山に向って空を飛んだ。

 鎌倉城を踏みつけ支配した気分だ。

 鎌倉城とは、後の世の城ではない。要塞都市鎌倉全体を城と呼んだ。


 祖父の陰陽師安倍親職ちかもとが云った。

「鎌倉幕府も三代将軍実朝さまの御世みよ、世の中が落ちついておまえ達のようなうつけ者が出てきたのだ」

 晴隆は何時の頃からか夢想する。

 出来れば外海に向って波に乗りたい。はるか彼方の見知らぬ国まで波に乗って行ってみたいと。


「あっ、いけねえ。あれは何だ? 輿が傾いて崖下に落ちそうだ」


 晴隆は、板子を放り出し、砂浜を駆ける。


「わかー、若、波乗りはもうお仕舞いですかぁ。まだまだ、いい波が来ますよ」

「急げ、佐助。ここからは見えないが輿が崖から落ちそうだ。行くぞ」

「は、はい」


 晴隆は、(間に合うかな)という不安を捨てて、雑木林を駆けのぼる。

「一本松の先だ。遅れるな、佐助。地すべりが起こって、輿が巻き込まれたのだ。きっと美しい姫が乗っているんだ」

 必死に喚く晴隆の声に、微かな笑いが含まれている。

 ひょうげ者の主人の後を真面目な従者佐助が追う。


 大わらわの叫び声が響き、木々が倒れる音、落葉を踏みしだく音が錯綜する。

「手を離すな」

「がんばれー」

「輿を落とすでないぞー」


「ご助成いたします」

 晴隆の声に、偉そうな声が応える。

「早く、早く手伝え」

「何だ、その云い草は。『手伝って下さい』とお願いするのが道理であろう」

「ええぃ、つべこべ云わずに‥‥‥」

「そこの御仁、手伝ってはくれぬか」

 輿の中から穏やかな声が流れ出た。

「輿から出たほうが早いだろう。崖下に落ちてしまっては、どうにもならねえ」

 晴隆の乱暴な声に、またまた偉そうな声が応える。

「頭が高い。御所さまの輿じゃ」

「えっ、御所さまって? 将軍実朝さま」

 佐助の反応に、晴隆の声が重なる。

「頭を下げて、人が救えるか。さあ、おれに掴まれ」

「恐れおおいことを申すな。御所さまに直接口を利いてはならぬ」

「ふざけんな。人に助けを求めているのに、とやかく指図するな」

「苦しうない。輿の外に出るぞ」

 輿の中の声に、晴隆は輿に手を入れ中の人物を外に引っ張り出した。輿の中と外にいた男二人は、庇い合うように抱き合っていた。

 主を失った輿はしばし身を震わせ、瞬く間に木々をなぎ倒し、崖下に滑り落ちていった。

「ああっ、輿が落ちていく」

 従者の声に、

「大事ない。わたしは、ここに居るではないか」

 輿から出た立派な身形の男が笑う。

「ここは危ない。少し戻って、安全な道に出よう」

 晴隆の先導で、人々は動き出す。

 晴隆は、柔らかい女のような手を握ったまま、山道を急いだ。


 海が見渡せる安全な場所に辿り着き、やっと我に返った晴隆は振り向いた。

 泥に汚れた柑子こうじ色の狩衣姿で微笑でいる男の頷きに、晴隆は握っていた手を慌てて離した。

「大儀であった。礼を申すぞ」

 穏やかな声に目をみはり、晴隆は尋ねる。

「あのぅ、本当に実朝さまでございますか」

「いかにも、実朝じゃ。おまえは何処の家の者じゃ」

「はい、おれは、陰陽師安倍晴秀の息子晴隆にございます。これに控えるは従者の佐助でございます」

「安倍晴秀?」

「安倍親職さまのご一族です」

 実朝の従者、五郎佐が口を挟む。

「そうか、親職の家系か」

「はい、親職は、祖父でございます」

「晴隆、遠くからよく私の難儀を見極めたな」

「はっ、私は、木の上にて嵐の足跡を確認しておりました」

 とっさの偽りであった。

「それでは、わたしと同じではないか。感心なことだ」

「実朝さまこそ、嵐の後、いち早く見回りとは、晴隆驚きました」


「民の苦しみを確りと見ておくのはわたしの務めだ」

 実朝は笑い声を滲ませて穏やかな声で続ける。

「そうじゃ、おまえ達なら存じておろう。先ほど、あの海で、不思議なことをしている者がおった。波と戯れていた若者が二人……」

「あっ、それは、わたし達二人でございます」


「やはりそうか。あれは何をしておったのだ?」


「はっ、あれわぁ、そのうぅ、波に乗っていたのでございます」


「波に乗るとは? いかがいたすのだ」


「難破船などの板子を拾い、それを海に浮かべて波頭に乗ります」

 ただの遊びだ。晴隆は照れくさそうに答える。


「何と、そのような陰陽道の技があったとは知らなんだ。晴隆と申したな。確り励めよ。うん、面白い技であった」


 のんびりしたかもめの鳴き声に晴隆と佐助の笑い声が響く。


「ふーぅ、驚いたぁ」

「若、将軍さまが、波乗りを陰陽道の技だと申うされました」

「ああ、すごいぞ。われ等これからは益々陰陽道の技に励まねばならぬぞ。佐助」

「はっ、いかにも若さま」

「早く、父上に報告して。波乗りに行かねばなるまい」

 晴隆の声は、得意の絶頂だ。

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