第3話 白龍伝説

 和田義盛は、源頼朝以来の有力御家人で、生まれたばかりの実朝を抱いたことが自慢の種だった。

 やがて、這い這いし出した赤子が、回廊を素早く進み、階段きざはしを転がり落ちそうになる。庭にいた義盛は、太刀をカツカツと音立てながら階段に駆けつけ、三段目でこけた。実朝は、大きく目を見張るも、直ぐにこの世のものとは思えない華の笑顔を咲かせた。辺りの者共は笑い転げ、義盛は膝の痛さを堪えた。なんと平和な思い出であろう。歩きだし、走りだし、熱をだし、駒に乗り、そして血生臭い因縁を知らぬまま、将軍となった。

 一方、頼朝と共に各地を転戦した義盛も侍所の別当、武辺者の頂点だ。

 それなのに、義盛は実朝に弓引いた。己の地位に不満を抱き、一族の繁栄を願いつつ、何時の間にか、誰かに何かに背中を押され、自ら和田一族を滅ぼしたのだ。

 やはり白虹が、背中を押したのか。


 幾多りもの合戦に明け暮れ多くの血を流して成立した鎌倉幕府だが、その戦いは未だ終わらない。

 どす黒く染まった鎌倉の雲の上では、人々の意識から外れた白い戦いも始まろうとしていた。

 鎌倉上空に、薄っすらと光りが伸びる。

「なんとむごい。浅ましい姿よ」

 白虹だ。

 そこへ、白雲がするどく渦巻く。

 素早く動き、姿を現したのは白龍だ。

「グワッグワッグワッ、面白いではないか」

「おまえは誰だ」

「見ての通り、白龍よ」

「おまえが、いたずら者の白龍か」

「グワッグワッ、生まれたてのおまえごときが知っているとは、わしも有名になったものだ」

「あの戦は、おまえの悪戯いたずらか?」

「わしの悪戯。グワッグワッグワッ、あの争いは、おまえのせいだ」


「何? わたしのせいだと?」

「おまえが生まれたから、和田の老いぼれが血迷ったのだ」

「わたしが? わたしが何をしたと云うのだ」

「太陽を貫くおまえを見ると、主君に弓引くのは正当な権利と思い、人間は我慢がならなくなるのだ」

「わたしには関係ない!」

「まあな、おまえが何もしなくとも、人を狂わすことはある。おまえの宿命だ」

「分からん」

「グワッグワッグワッ。色足らずの五色の虹にもバカにされ、仲間はずれにされるおまえは赤子のように世間知らずさ」

「おまえも色なしと呼ばれ、いじめに合ったと聞いたが‥‥‥」

「なにぃー。小僧っ子が、許さん」

 白虹と白龍が身構え、二つの光が激しく交わり火花を散らす。

 怪異二つに、どんな因縁があるのか。互いに自覚しないまま敵対しているのだ。


 その日、無敵の鎌倉城は嵐に襲われ、悲鳴を上げた。

 山々は見悶え、海は逆巻き大口を開けて小さな城塞都市を飲み込もうと襲い来た。


 白龍の生国は、何を隠そう相州江ノ島。岩屋に打ち寄せる荒波で産湯を使った。

 ある日、母の胸で小さく目覚めると、鎌倉を治めた源頼朝みなもとのよりともの下知で鳥居が立てられた。

 その後も何だかんだと騒がしく源家は日の出の勢いで、良いものも悪いものも全てを蹴散らした。

 母龍は虚しく絶え、白龍は色のないまま孤独となった。

 本来、誰もが自分の生まれは知らないものだ。親兄弟や周りの者に云い聞かされて、そんなものかと理解する。白龍は、誰にも諭されず、気ままに成長した。

 鎌倉には、白龍の好物の餌が沢山あった。

 餌には陰謀と策略と殺し合いの味がついていた。


 波乱に満ちた建保元年のこの年、陰陽師安倍親職は相変わらず忙しい。

 御所が焼けてしまったので、新造しなければならない。北条義時と時房、大江広元らが衆議し、下問した。

 親職ら陰陽師は、手分けして、先例、日時、方角、吉凶など、考えられることは全て調べ上げ、連署して勘文かんもんを提出した。

 鎌倉にいる陰陽師は、京から下って来た陰陽師だ。官位で云えば従七位上、決して高いとは云えない身分だが、京都の陰陽寮の長である陰陽頭でも従五位ほどだ。

 競争相手が、うじゃうじゃいる都に見切りをつけた陰陽師は、活躍の場を求めて、鎌倉に下ったのだ。

 銭のため、身分のためばかりではない。仕事がしたいのだ。

 親職は、傍流の生まれで、都にいては、出世は望めない。己の力を発揮する仕事の機会にも恵まれないのだ。

 豊かに華ひらき可能性を秘めた新天地、鎌倉を目指して、生まれ故郷を捨てたのだ。


 八月二十日、やっと新造なった御所に実朝がお引越しだ。

 将軍が、新御所の南門を入られる頃、束帯姿に装束を改めた親職が反閉へんばいを行う。

 将軍実朝の身に災難が降りかからぬよう、道々の災いを、呪を以って守護する。邪気を踏みしめ、踏み祓う特異の歩行法だ。

 まず、引っ越し儀式に則り、最初に水を持った童女と火を持った童女が歩む。そして、親職が反閉を行った。将軍は輿から降り、反閉に従って寝殿に入った。親職は、禄として五衣を賜った。

 二日前にも、夜中に呼び立てられ、着の身着のままで駆け付けた。夜半に起き出した実朝が、庭を走り去る若い女を見たと云い募り、それを追えば、奇妙にも神秘を宿した光り物が浮遊したと云う。

 少し気鬱だなと思った親職だが、「異変ではありませぬ。そんなこともありましょう」と申し上げ、真夜中の庭先で招魂祭を行った。

 実朝は、強張っていた頬をゆるませ、着ていた衣を脱ぎ、乱れ衣のまま駆け付けた生真面目な陰陽師に与えた。

 何かと忙しい親職は、頭を深々と下げ欠伸を噛み殺しだが、将軍の信頼は確実に増している。

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