2


 さあ、舞台は整った。ファイト開始の合図を務めるのは次回大会開催国であるC国の首相。


 スターターピストルを天井へ向け、遂にその号砲が撃ち鳴らされた。


 全百十余名のファイター達が、一斉にホットドッグを貪り始める。


「す、凄い!お父さん。凄いよ古林!」


 古林のスタートダッシュは、並みいる強豪の中でも群を抜いたものだった。


 手にしたホットドッグを二つにへし折り、両手でそれを口へ押し込んでいく。


 その様はまるで自動鉛筆削り器のよう。両手に握られたホットドッグが、細かく動く彼の口の中へみるみると吸い込まれていく。


 瞬く間に一本のホットドッグを平らげた。水を一口口にして、直ぐ様次のホットドッグ手をへし折る。  


 口へ運ぶ前に、パンをカップの水へ浸けたのは、そうした方が食べやすいからなのだろう。周りのファイター達にも同様の行動が見られた。


 古林が一皿目を平らげた時、左のC国とは一本、右のN国のファイターとは二本程の差がついていた。


 それでも古林の勢いは衰える事はなかった。サポーターにより次の皿が机に置かれた途端、ホットドッグを口へ運び始める。


「凄まじい速さです古林!正に伝説の再来。いや、伝説は今ここに生きている!」


 興奮で裏返ったアナウンサーの声を聞きながら、私の鼓動は加速していく。


 気がつけば妻も息子も言葉を失っていた。一家揃って固唾を呑んで、テレビへ視線を向けている。


 本当に優勝してしまうかもしれない。


 トップを走る古林の後に続くのは、やはりA国代表の巨漢、レオン・ホワイトだ。水に浸された二本分のホットドッグのパンだけを口へ詰め込み、それを残った二本のソーセージで押し込むという独特の食べ方で彼を追走する。


 目一杯に膨らんだ口の端から、パンから染み出す水分や、食べカスをボロボロと落として食らうその様は、競技とはいえ、見ていて気持ちのいいものではない。


 そう思ってしまうのは、私が礼節を重んじるJ国民だからかもしれないし、この大食漢の勢いが、古林にも勝るとも劣らないものであるためかもしれなかった。


 A国の後には、世界一の国土を有するR国。そして古林の左いるC国が続く。


 ファイト開始から十分が経過すると、次第にその他の国のファイター達の勢いに衰えが見え始めた。


「古林!五皿目を完食。しかしそこへA国のレオン・ホワイトが続いたぁ!」


 上位四国と下位との間には、既に一皿以上の差が開いている。


「追い付かれてしまいましたが、まだ焦る場面ではありませんよ」と、解説のジャンボ黒田が言った。


「ここからは食べる速さよりも、いかにペースを崩さずにいられるかという事が重要になってきます。古林選手は既に五十本ものホットドッグを食べているわけですからね。他のファイター達を意識して自分のリズムを崩してしまえば、顎や胃にかかる負担が大きくなってしまいます」


「なるほど。正しく自分との戦いといったところでしょうか?」


「ええ。逆を言えばA国のファイターは、それを崩して古林選手に追い付いたという事なので、この状況さ後半へのアドバンテージを稼げたと言ってもいいかもしれません」


 ジャンボ黒田はJ国のファイターだ。今は第一線を退き、テレビ番組への出演などを主な活動としているが、全盛期は古林と渡り合った程の実力者である。


「全J国民の皆さん、お聞き頂けたでしょうか?追い付かれてはしまいましたが、古林の有利は依然として変わってはおりません。残り時間は約二十分です。あと二十分で我が国の命運が決まります。皆さんの熱い声援を、どうか古林選手へ!」


 ワールドカップやオリンピック。自国の選手達の活躍に一喜一憂する者達を冷ややかに見てしまう私であったが、この時ばかりは興奮せずにはいられなかった。


 時折、胃の中のものを下へ落とすため、椅子の上で跳び跳ねるような仕草をみせながら、夢中でホットドッグを食らう彼へ「古林、頑張れ!行け、古林!」と、届くはずもないエールを送り続けた。


 妻も息子も同様に、画面の向こうの古林へ声援を送っている。そんな時でも子供と大人とでは、やはり見えているものが違うのだろう。


 その国のファイターにいち早く気がついたのは、私の隣にいる息子だった。


「なにあの人。全然食べてないじゃん」


 そのファイターは古林の後方、画面の左端に映っていた。


 馴染みのない国の代表選手であり、席のスクリーンに映されたカウントはゼロ。それも机の上の皿には殆ど手がつけられておらず、山になったホットドッグの上には、半分程に齧られたソレが置かれている。


「体調でも悪いのかしら?」


 妻が言った。


「それならリタイアの標示を、机の上に出す事になっているはずだけど」


 その国のファイターの顔色は特に悪いというわけではなかった。尤も、彼は黒色人種であるため私には正確な判断はしかねるのだが、腕を組んだまま目を見開き、昂然と椅子の上に座るその様は、周囲でソーセージの挟まれたパンを必死の形相で食らうファイター達よりも、よっぽど正常であるように感じられた。


「どうしたんだろう?」


 一度気になってしまったのが最後、画面上では依然として古林の快進撃が続けられていたが、すっかり気もそぞろになってしまった。


 画面が切り替わる度にその選手を探し、腕を組んだままでいる彼の、動向を伺った。


 妻と息子も同じなのだろう。先ほどまで家じゅうに響いていた声援も、今は聞こえない。


 やがて彼の存在に、放送局側も気がついた。


 テレビの画面に始めてそのファイターの姿が大きく映し出されると、会場の歓声はざわめきに変わり、そこここでブーイングが上がり始める。おそらく彼方の大型スクリーンにも同じものが映っているのだろう。


 画面上には映されていないが、その異変が他のファイター達に影響を与えている事は容易に想像できた。


 ふと古林の事が脳裏を過ったが、異国のファイターがマイクを要求すると、それは直ぐに頭の隅へ追いやられてしまった。


「我が国は貧しく、ここにいるファイター達のように特別な訓練を行える設備はない。私がどれだけ頑張ろうと、この食べ物を胃に収められるのは、おそらく二十本程度といったところだろう」


 だから早々にファイトを諦めたというのだろうか?


 この大会は、各国間にある多くの問題を、平和的に解決させるために催されるものだ。そのため、どの国のファイターも身命を賭してこのファイトに挑んでいるはず。国の貧困という理由があるからとはいえ、端から勝負をする気もないまま彼らと同じ舞台に立つとうとは、あまりに不躾な行為ではなかろうか。


 見たところ彼が食べたのは一本のホットドッグの半分だけ。私の朝食にも満たない量ではないか。


 私の憤りに応じるように、会場のブーイングは広がっていく。


 異国のファイターは、それを気にする様子をおくびにも出さない。


「これ程の英傑達を相手に、そんな私が優勝を勝ち取れるはずもない。しかし一つだけ、どうか一つだけ、私の我が儘を言わせてほしい」


 ブーイングが響いている。男は射抜くような眼差しで、真っ直ぐとこちらへ見ている。


「これ程の文化を築き、これだけ多くの物に囲まれて暮らす貴殿方にはきっと想像もつかない、目を向ける必要もない事なのだろう。しかし我が国には存在しているのだ。ろくな食事にもありつけず、飲み水を口にする事すらままならないまま、明日を迎える事を出来ずに果てていく多くの民達がっ!私は、今口にした半分のパンと、カップ一杯の水があれば、今日というこの日を生き抜く事ができる。だから私がこの先口にするはずだった残り十九本のパンと飲み水を、我が母国に持ち帰らせては頂けないだろうか!?母国で今も飢えに苦しみ続けている者達を、どうか私に救わせてはもらえないだろうか!?」


 男の叫びが響き渡ると、会場は夢から覚めたかのように静まり返った。


 観客達は言葉を失い、ファイター達は動きを止めた。


 妻が唾を飲む音が隣で聞こえる。はっとして息子へ顔を向けると、まだJ国語しか理解の出来ない息子は、顔をしかめて口にした。


「もう。なんなんだよ、この人。今はこんな事をしている場合じゃないのに」


                     完


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

フードファイト 網本平人 @hdito

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ