フードファイト

網本平人

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 おそらく今、ほぼ全てのJ国民。いや、世界中の殆どの人間が、この中継を目にしているのだろう。


 あちらの時刻は朝十時。こちらは日付が変わって間もなくのところだ。


 外からの音がまるで聞こえて来ないのは夜が更けているからではなく、この歴史的瞬間に、誰もが注目しているからに違いなかった。


 先程庭先へ出てみたが、普段は遅くとも二十一時には床に入る、隣の老夫婦の家からも明かりが漏れていた。近所の家々も同様で、明かりを灯しているのが一階の部屋に偏っているのは、我が家と同じく、一家一丸となって自国のファイターを応援しようと考えている家が多いからなのだろう。


 どこかで目にした事がある光景だと思えば、大晦日のあの雰囲気に似ているような気がする。中継が繋がる前のニュースでは、都心の街中にある大型スクリーンの前や居酒屋が、多く人で賑わっている事が報道されていた。その熱気は、オリンピックやワールドカップの時にも近いように感じた。


 あちらは予報通りの快晴に恵まれたようで、テレビには日の光に照らされた会場が映し出されている。


 観覧席は当然の如く満員。競技場を縁取るように、楕円形のスタジアムの中には黒山の人だかりができている。


 応募期間終了後には、一席に一万ドル程もの価値がついたそうだ。各国の命運が掛かったこの大会の実情を思えば、驚きこそすれど疑問には感じない。


 更に言えば、終始厳かに行われた第一回、第二回大会に比べ、第三回目となる今大会からは大々的な商業化が進められていた。


 開催国が世界一の経済大国と言われるA国という事もあるだろうが、過去二回の大会でこの大会がもたらす利益を、人々に広く認知された事が一番の理由だろう。


 今大会の開催が決まった直後から、参加各国では、関連イベントが頻繁に催され、メディアでもこの大会の事が大きく取り沙汰されるようになった。


 我がJ国もその例に漏れず、一年前に勃発した空前の大食いブームは、大盛メニューを出さない飲食店など飲食店だと認められないとされる程にまで盛り上がり、老鋪の寿司屋でさえ平然とした顔で握り飯大の寿司を握りだす始末。一時は、成人病の誘発や生産者側の負担の増加といった問題が取り上げられるようになった事により、その勢いも衰えをみせたものの、大会が近づくと再び熱気は高まった。今大会の盛り上がりを思えば、このブームもまだしばらくは続くのだろう。


 開会のセレモニーは盛大なものだった。著名な女性歌手がオーケストラの生演奏をバックに歌声を披露し、プロジェクションマッピングを用いたショーが行われた。


 A国大統領の開会宣言を最後に開会の儀の幕が下りると、会場にはファイトスペースが設置される。


 全百十余名、各国のファイター達が食事を行うための椅子と机が、前後左右ずらりと並べられた様子は、テレビのクイズ番組を思い起こさせた。


 席の作り自体もクイズの回答席によく似ていて、机の前面には横幅五十センチ程度のスクリーンが取り付られている。どうやらファイターが食べた量を表示するためのものらしく、各机に付いている蛇口のようなものは、その下にカップを置くと、自動で飲み物が供給される仕組みになっているのだと、番組解説者は語った。


 会場全体を震わすような、多くの歓声に迎えられ、ファイター達が入場する。


 一際大きな歓声を受けたのは、開催国A国代表のファイターにして、前大会覇者であるレオン・ホワイト。身長一九〇センチ、体重一七〇キロを超える大男だ。入場口から、のしのしとした足取りで自分の席へ向かっていく。


「古林。大丈夫かな?」


 そんな常人離れした対戦相手を見て、隣にいる息子が不安を感じるのも無理はなかった。


 J国代表の古林の体格は、私と差ほど変わりはない。一般的な成人男性の中でも、どちらかと言えば小柄な方だろう。


「ああ。古林なら、きっとやってくれるさ」


 それでも私は息子へ口にした。左隣にいる妻も、力強く頷いてみせる。


 確かに古林の代表選出に異を唱える者は多くあった。彼が活躍していたのは、この大会が発足される以前の事。その比類なき食欲で国内外で数々の記録を打ち立て、最強の名を欲しいままにしていたのは十年以上も昔の話になる。


 一時は国民的英雄とまで呼ばれていた彼であったが、彼らファイターの早食いを真似た中学生が不幸な事故を起こした事を切っ掛けに、当時のJ国のフードファイト人気は低迷。そしてその数年後、自身が起こした大会乱入事件により逮捕され、彼は表舞台から姿を消す事となった。


 その後に、第一回大会が開催される。続く第二回大会が二年後に開かれたが、それまで一般人としての生活を送っていた彼の胃袋は、常人と変わらぬものとなっていた。


 漸くブランクを取り戻し、再びファイターとして舞台に立てるようになったのは、去年の事。


 体が小柄な事もそうだが、彼の代表選出への異論は、そうした過去や、四十間近となった彼の年齢を気にして向けられているものなのだろう。大会発足後に現れた新進気鋭のファイター達が、過去の栄光にすがる前科持ちの男に劣るはずはないと思われているのだ。


 しかし、半年前に行われた予選大会にて彼が見せた活躍は、世界中の大食漢達を小さな体一つで打ち倒してきたあの頃とまるで変わらぬものだった。


 彼がブランクを埋めるためにしてきた努力や、それを可能にしたこの大会への並々ならぬ情熱を思えば、今の彼があの頃以上の力を発揮してくれるであろう事は想像に難くなく、彼の代表選出はA国との密約があったからなどという世論とは裏腹に、私は彼の選出に対し、一切の疑問も抱いていないのであった。


 きっと古林ならば見事勝利を掴み取り、長きに渡り続くK国との領土問題も解決に導いてくれるだろう。


 古林の席は前から2列目、中央からやや右寄りの位置だった。


 左は今大会の大本命とも言われているC国のファイターだ。広大な国土と世界一の人口を有するC国は、科学技術の躍進により、今や経済においてもあのA国を脅かす程の存在になっている。ファイター層の厚さは言わずもがな、現在の国の情勢から考えても間違いなく強敵と呼べる相手。今大会を優勝し、A国との貿易を有利に進められるようになる事で、今後の世界経済を牽引していく国になろうという魂胆なのだろう。


 右にはN国のファイター。こちらも油断ならない相手。謎が多い分、A国やC国よりも却って恐ろしい存在と言えるかもしれない。典型的な独裁体制を敷くこの国は、貧しい自国の民には目もくれず、ファイター育成にばかり国力を投じていると聞く。その事で様々な国から批判の的とされ、経済的な制裁を受けながらも、頑なにその姿勢を崩さないのは、その強力なファイターがいるからこそ、他国が自国に対し強固な姿勢をとる事が出来ないなどといった外交的な狙いや、そうせざるを得ない幾つもの事情を抱えているためらしいが、一市民に過ぎない私にとっては、やはり危険で怪しい国のようにしか思えない。彼らの優勝は、大会開催前のニュースなどでも危険視されでいた。


 全ファイターの入場が終わると、彼らの前に一台のワゴンカート押されてきた。カートには料理に被せるためのドーム状のアルミ蓋が一つ。


「さぁ、いよいよ今回の対戦料理の発表です」


 熱の籠った実況に、一家揃って息を飲む。ドラムロールが鳴り始め、一人の男がドームカバーへ手をかける。


「今回の対戦料理は、これだ!」


 シンバルが打ち鳴らされ、歓声が沸き起こった。


「いよぉし!」


 思わず声を上げた私。その気持ちを代弁するように、テレビの中では、J国の実況アナウンサーと解説の男が興奮した様子で口にする。


「ホットドッグ!ホットドッグですよ、ジャンボ黒田さん!」


「やりましたねぇ。古林選手の得意料理ですよ。彼は過去この料理で世界大会を何度も優勝した事があります」


 そう。まだ無名だった頃の古林の名を一躍世に知らしめる事となったのは、A国で行われたホットドッグ早食い選手権だった。


 史上最高記録を倍も塗り替えて優勝を果たした彼の食いっぷりは、今も私の記憶に色濃く残っている。


 イケる。これならイケるぞ!


 私の古林へ対する期待は、確信に変わりつつあった。


 ファイター達の周囲を取り囲むように、巨大な幾つものワゴンカートが運び込まれた。カートには山のように積まれたホットドッグの皿が、所狭しと並べられている。


 ホットドッグは私の顔程の大きさ。一皿にそれが十本ずつ。一皿食べ終える毎に、ファイターの席のスクリーンの数字が加算されるらしい。制限時間は三十分。それが終わったところで、食べ終えている皿の枚数と、残ったホットドッグのグラム数で、各ファイターの正確な食事量が計測される。


 各ファイターの席に、ホットドッグの皿が一皿ずつ配給された。席の隣で各国のサポーターが準備を始める。


 このサポーターの役割は重要だ。ファイターの余計なタイムロスをさせないよう、料理を供給し続けなければならない。また、いざという時に足元のバケツをファイターへ差し出すのもサポーターの役目だ。勿論、それを使用した時点でその国のファイターは失格になる。

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