第15話 竜宮城ー3

 あやめちゃんは遊び疲れて母さんの膝の上ですやすや眠っていた。その髪を愛おしそうに撫でながら、母さんは話しだした。

「こんなに幸せな時間を、ありがとね。……あなたと離れ離れになってからも、私はずっとふさぎこんでいたわ。本当、母親としても人間としても最低だった。ごめんね、弥生」

 俺は何も答えなかった。

「私、死のうと思ってね。ある日、お父さんの形見の絵を持って山に登ったの。切り立った崖がたくさんあって、飛び降りるには最適だった。もう下が見えなくなるところまで来て、よし飛ぶぞ! って思ったとき、風が吹いて形見の絵が飛ばされたの。待って! って追いかけようとしたとき、私より先に手を伸ばして絵をつかんでくれた人がいた。それがこの子のお父さんよ」

 あやめちゃんは母さんの膝でスヤスヤと寝息を立て、ときおりおかーさん、と呼ぶ寝言を発した。そのたび母さんははあい、と返事をした。

「結局その日は飛び降りることもできず帰ってきたわ。次の日に、今日こそは! と山に行くとまた彼がいたの。なにしてるんですかって聞くと、『昨日、死のうとしてましたよね。今日もリベンジに来ると思って。』って答えて。リベンジって言葉に笑っちゃったわ」

 クスクスと笑う母さん。

「それから私は毎日山に通うようになって、彼も毎日いたの。二言三言話して帰る、そんな毎日を繰り返したわ。いつしか死のうって気持ちもだんだん薄れていった。そして、ある日彼が言ったの。結婚しませんかって」

 母さんは少し悲しそうな顔をして笑った。

「私は驚いたわ。でも当然お断りした。だって、そんな権利ないもの。私にとって死んだ夫と息子が世界の全てだった。そんな息子をも殺しかけた母親が幸せになんてなっちゃいけない。そう言ってね。そんな私に、彼は言ったの。『あなたが幸せになるかどうか決めるのはあなたです。僕にそれを左右することはできません。でも……あなたの存在は僕を幸せにしてくれた。こんなことを言うのは不謹慎かもしれないけれど、毎日あなたと会うのを楽しみに生きていました。あなたは生きるべき人だ。生きて、僕以外の人も幸せにするべきだ。そのための補助輪になりたいんです。またあなたが前に進めるように』って。決して、あなたやお父さんのことをないがしろにしたわけではないけれど、あの言葉で私は人間に戻ることができた、そんな気がしたの」

「いろいろと、言いたいことはあるけど……」

 俺は答える。

「母さんが、幸せな気持ちでいてくれたのならよかった」

 二人して、照れくさそうに笑った。

「そんで、こんなにかわいい妹を残してくれたことにも」

「海から見てたわよ。あなたたちが楽しそうに遊んでいるところ。あなたにもあやめにも、二度もお別れさせてしまって申し訳ないわね……っ」

 母さんの身体がうっすら透明になっていく。

「母さん……」

 あやめちゃんが起きてくる。

「おかー、さん……?」

 どんどん透明になっていく母さんを見て涙ぐむあやめちゃん。

「ごめんね、あやめ。今日で本当のお別れになっちゃった。お兄ちゃん連れてきてくれてありがとうね。お父さんに、優しくしてあげてね……っ」

「おかーさん! やだ……いっちゃやだ……。つぎ、いつあえるの……?」

 母さんは何も言えず涙ぐんであやめちゃんをぎゅっと抱きしめる。あやめちゃんもぎゅっと抱き返す。

「お母さんは、見えなくてもずっとあやめのこと見守ってるからね。だから、あやめが幸せになるとこ見せてね」

「うん……うん。あやめ、しあわせになる! だれにもまけないくらいしあわせになる!」

 母さんは俺の方を見て言う。

「弥生も……幸せになって。そして、弥生がやりたいことをやって。それが、私やあなたの周りの人にとっての幸せになるから」

 もう母さんの身体は消えかかっていた。母さんはどこからか箱を二つ出す。

「これは、あなたたちへのプレゼント。あなたたちが未来に進むために必要なものが入っているわ。開けてもおじいちゃんになったりしないから安心してね。でも、恥ずかしいから開けるのは元の世界に帰ってからよ。それじゃあ……バイバイ」

 

 包まれていく光の向こうで、母さんは幼い頃に見た柔らかな笑顔を浮かべていた。

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