第11話 弥生と家族

 それからしばらくは何も考えないよう無心で仕事に打ち込んでいた。あやめちゃんは俺や父親に何かを隠している? 考えれば考えるほどわからなくなった。考えこんで立ち止まるのが嫌でがむしゃらに働いた。羽鳥さんに焦ってもろくなことにならないぞ、少し休めと言われる始末だった。

「部外者、なんだよなぁ……」

 いつか岬に言われた君には関係ないという言葉を思い出していた。

 

 その日は張り切りすぎて仕事が早く終わってしまい、気が進まなかったが早上がりすることにした。いつもより明るい道を通り家に着くと、郵便受けに手紙があるのが目に入った。そしてその手紙に書かれた言葉に、俺はさっきまでの悩みが塗りつぶされるくらい重大なことを知る。

 

「なんだよ、これ……」

 

 俺は靴を脱ぎ捨て居間に走る。慌てる俺を見て驚くばあちゃんに、呼吸を整える間もなく聞く。

「ばあちゃん、母さんは昔に死んだって言ってたよな」

 ばあちゃんはその一言ですべてを察したようにうつむく。

「なあ、ばあちゃん。この手紙はなんだよ。佐藤水弥子、一周忌のお知らせってなんだよ!! 答えろよ!! 母さんは、母さんはずっと生きていたのかよ!!」

「……弥生が、20歳になったら全てを話そうと決めていたんだ。ごめんよ。本当にごめんよ」

 ばあちゃんは懺悔するように話し始めた。

 

 父さんが事故で死んだあと、抜け殻のようになった母さんと俺は二人で暮らしていた。いや、暮らしていたというにはあまりにも生きていなかった。ただ、そこにいた。

 それから一か月ほど経った頃、最悪の事態は起きた。5歳だった俺と母さんは、家で意識を失っていたところを発見された。餓死寸前だったという。

 そうなってはもう俺たちは一緒には暮らせなかった。母さんは実家に連れ戻され、俺は父さんの実家に引き取られた。幸か不幸か、俺は父さんが死んだ後の記憶を失っていた。ただ、幸せだったころの家族の記憶だけを大切に持っていた。

 

 父方の親族は、俺と母さんを引き離すときに約束させたという。この子をこれ以上危険な目に合わせないように、悲しい思いをさせないように今後一切関わらないでくれと。そうして俺は母さんは小さな頃に死んだと信じ込まされ今日まで生きてきた。

 

「もう少し……もう少し早く知っていれば母さんに会えたかもしれないのに! あんたたちは最低だ!!」

 

 俺は手紙を握りしめ家を飛び出した。ばあちゃんの呼び止める声が遠く後ろから聞こえていた。

 

 

 

「はぁ……っ。はぁ……っ。ちくしょう……。ちくしょう……!!」

 やり場のない怒りが俺の全身を駆け巡り俺は呼吸ができなくなるまで走った。そうして気づけば俺は

 あの海にいた。

 

 先客がいた。大きな月に照らされたその影は見間違えるはずもなかった。明日は満月か、と場違いなことを思った。

 

 少女はこちらに近づいてきて、隣に座る。俺はそちらを見ることもできなかった。こんな醜い顔を彼女に見せるわけにはいかなかった。

 彼女は俺の頭を撫でる。

「なにか、つらいことがあったんだね」

 そうして俺の頭をその小さな体で抱きしめる。

「よしよし。がんばったね。おにーちゃんは、えらいよ」

「うぅ……っ。うぅ……っ」

 そのぬくもりは幼い日に感じたような温かさで、俺は静かに泣き出していた。

 

 彼女は俺が落ち着くまでよしよし、と撫でてくれた。まるで小さな子をあやすように。そして告げた。

「おにーちゃん、あした、夜8時にここに来てくれるかな。おんがえしが、したいの。」

 そう言うと、にっこり笑い、テケテケと走って帰っていった。

 

「恩返しをしたいのは、俺の方だよ……」

 誰もいない海に向かって俺は呟いた。

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