第10話 あやめの父親
雫ちゃんを送った帰り道、雲に隠れて月明かりの見えない夜道をバイクで走る。夜道は冷える。おでんを求めてコンビニにバイクを止め、出てくるとそこには前に一度見た顔があった。
忘れもしない。あれは──あやめちゃんの父親。
「君は……」
彼はあやめちゃんが毎週俺に会っているのは知っているのだろうか。怒りが湧く前に足早に立ち去ろうとすると待ってくれ、と引き止める。
「
このとき初めてあやめちゃんの名字を知った。岬、と名乗るその男は深々と頭を下げた。
「いや、やめてくれよ。こんなコンビニの前で」
突然の謝罪に俺は少し面食らった。
「最近、あやめがお兄ちゃんが遊んでくれている、と言ってとても楽しそうなんだ。それですぐに君の顔が浮かんだ。君があやめと遊んでくれているのか?」
「……あぁ、あんたのいう通りだ。あれからは夜も見かけなくなった。夜は家に閉じ込めてでもいるのか?」
皮肉をこめた俺の言葉にムッとすることもなく、むしろ弱弱しい声で岬は答えた。
「あれからは夜は私の両親に預けている。……まさか、あんなに小さな子が夜に出かけているとは思わなかった。自分の子供のことも知らない、私は最低な父親だよ」
決して、同情したわけではないし許したわけでもない。だが、この男の言葉に耳を傾ける気くらいにはなった。俺はコンビニ袋からコーヒーを取り出す。
「……まぁ座って話そうぜ。これやるよ。帰りに飲もうと思ってたやつだけど。」
岬は少し驚いた後、ありがとう、と照れくさそうに両手で受け取った。
渡した缶コーヒーを開けもせず、彼はぽつりぽつりと話し出した。
「関係ないと言っておきながら君にこんな話をするのもなんだが……。察してはいると思うが、あやめには母親がいない。私たちのもとから妻がいなくなってもうすぐ一年なんだ。あやめは妻にべったりだったから、二人で暮らすことになって私はあやめとの接し方がわからなくなってしまった。情けない話だよな。仕事をすることがあの子を大切にすることなんだ、と自分に言い訳をして向き合うことから逃げてきた。そんなこと、あるはずがないのに」
彼の手は震えていた。その震えは自分自信に対する怒りなのだろうか。
「そんな中、あやめが危ない目にあって見ず知らずの男に助けられた。その瞬間、自分の存在価値がゼロに思えたよ。私の存在はたった一人の娘を助けることもできないんだって。……だから、あんなことを言ってしまった。本当にすまなかった」
「……そんなに娘のことを大事に思ってるんなら」
言いたいことはわからなくはなかった。それでも、あやめちゃんが現実に向き合う勇気を俺がくれたように、この人に言わなければならないことがあった。あやめちゃんの大切な家族に言わなければならないことが。
「そんなに娘のことを大事に思ってるんなら、どうしてあんたは奥さんとやり直そうとしない?あの子がお母さんに会いに行ってるのを知っているか? 一緒に暮らすのがあの子にとって何より大切なことだろ!」
「妻に……会いに行っている?」
「そうだよ! しかもあやめちゃんは寂しそうなあんたにも元気になってほしいって俺に言うほどあんたのことも好きなんだよ。あやめちゃんはお母さんのこともあんたのことも大好きなんだ。家族がバラバラになっちゃ、いけないんだよ……」
「それは……できない……」
「どうして!」
「私の妻は、一年前に亡くなっている」
え……?
岬も、俺も、うつむき言葉を失った。月も、星も、完全に雲に隠れた闇夜だった。
二人とも子供のたわごとだったということにしたかったが、そうしてはいけないような気持ちがどこかにあった。ざわついた心は落ち着いてくれなかった。
結局、俺はあやめちゃんのことを何も知らなかった。
別れ際、俺は尋ねた。
「どう考えたって自分の娘がこんな男に連れ回されてたらやばいって思うと思うんだけど」
彼は少し言い淀んだがこう言った。
「おかしなことを言ってる、と聞き流してくれてかまわないが……君には死んだ妻の面影を感じるんだ。おかしなことを言ってるな。まぁ、ともかくそれで君があやめを傷つけるようなことをしないと思ってしまったんだ。これも父親失格だな」
男は疲れた顔で笑いながら、おかしなことを言っていた。でも、不思議と悪い気はしなかった。
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