X-2


 何とか白い空間の中央に全員が集まってくれた。


 ただし、必死で全員をまとめ上げた功労者・VIPなイエスキリストは部屋の隅っこで足を抱えて落ち込みモードなのだった。


「私は……私は別に磔にされたくてされた訳ではぶつぶつ……」


 何やら現代では絶対にあり得ない言葉を紡いでいらっしゃる神の子に同情して、かぐや姫が近くのメドゥーサに声を掛けた。


「ね、ねえ、あれきちんとケアしてあげなくて大丈夫なの……? そろそろ泣き出しそうな顔だよ?」


「うん? 大丈夫なんじゃないかしら、十字架に磔にされた後に埋葬されても三日目には土の中から這い上がって復活したのだとか一二使徒の前で胸張っちゃうようなヤツでしょ。きっと二日後くらいには元気一杯よ」


 その言葉でキリストが再び傷ついた事など誰も気に留めない。


 そして、一人だけ憮然とした顔で状況の流れを見送っている少女がいた。


 アリスである。


 分かりやすく頬っぺたを膨らませて不機嫌アピールをするのは、これくらいの年齢の子の特徴だ。まだまだワンダーランドに迎え入れられる可能性を十分に残す金髪の少女に、吸血鬼が優しく声を掛ける。


 別にアリスの頸動脈に噛みつきたいとかそういう下心によるものではなく、吸血鬼はそもそも女性想いなのだ。


 ここにいる個体が特別そうという訳でもない。多くの文献の中で彼らの得意とする夜の時間になるまで、吸血鬼は女性に対して分け隔てなく接する様子が描かれている。


「どうしたのかねお嬢さん」


「わたしとしては包帯男とカボチャ蹴って遊んでた方が楽しかったのに。何だかみんな真面目なお勉強モードになったのが気に入らない。なんか昼休みが終わっちゃった学校みたい」


「しかしここを出たいとは思わないのか。食事も何もない、しかも閉鎖した意味不明な場所では息が詰まるだろう」


 と、その物言いにアリスがピクリと反応した。


 彼女は今まで何気なく使っていた石鹸が高級ブランドの商品だったのが発覚したような顔で、


「待った、チェシャ猫! ここの空気ってだいじょうぶ? 酸素がなくなってみんな倒れちゃうとかいう間抜けな展開はないよね⁉」


「くあー」


 アリスの焦ったような声に背後から半透明になりつつ、チェシャ猫が欠伸をしながら姿を現す。


 どうやら昼寝をしていたらしい。


 その猫は半透明からグレーの色彩をきちんと取り戻すと、ため息すら交えて言う。


「あー、その心配はないと思うぞ。俺の感覚でしかねえから信じてもらうしかないが、きちんと空気は循環してる。酸素が尽きるような展開はなさそうだつまらん」


「循環? となるとどこかに換気口が……?」


「いいや。吸血鬼らしくシステムから探りそこを破壊しようって考えは悪くねえが、そういう訳でもねえらしい。床、天井、壁が植物性みてえだよ。この人数くらいなら光合成で酸素の供給が間に合うらしい」


「植物性ならばなぜ壊せんのだ。狼男が破壊を試していたが無理だったようだぞ」


「炭素の匂いがするから別物質でも織り込まれてんじゃねえのか。もちろんピカピカにしたヤツをな。……ここまで言えば博識なヴァンパイア様はお分かりかね?」


「ダイヤモンド入りか。宝石箱に入れられる趣味はないのだがな」


 吸血鬼は棺の方がお好みらしい。


 そして顎に手を当てて知識人ぶる吸血鬼に、ちょっとチェシャ猫は思う所があった。


(……なんか格好つけてるトコが気に入らねえな。サマになってるのもまたムカつきやがる)


 こういうヤツにはお灸が必要なのだった。


 そんな時である。


 吸血鬼の背後に織姫と彦星が位置しているのを発見して、チェシャ猫はニヤリと笑う。定位置であるアリスの背後に戻るフリをしてから一度姿を消して、半透明から再び完全なる透明へと変化する。


 カメレオンの変色とは異なり、完全な光学迷彩の方式で姿を消しているため見つかる可能性はほぼ皆無だ。何だか不思議な力を持っているヤツも何名かいるみたいだが、彦星と織姫に関してはそういう心配もない。


 つまり考えた悪戯が大抵通用する。


 そんな訳でアリスの背中から飛び出して吸血鬼の横をスルー。さらに彦星をシカトして織姫の元にまで辿り着くとその馬鹿猫は何の躊躇もなくアクションを起こした。


 むにゅう、と。


 なんというか、チェシャ猫はその小さな前足を使って遠慮なく揉んだのだ。



 織姫のお尻を。



「きゃあ‼」


「わっ、急にどうした織姫。びっくりするだろう」


 そして織姫は彦星のリアクションを見て犯人は隣の男性ではないと一瞬で特定すると、即座に首に巻いていた天衣無縫の羽衣を背後に向けて撃ち込んだ。……この場合は『刃衣』にでも変換するとその威力が分かりやすいかもしれない。


 直後、哀れな被害者が生まれた。


「へぶうっ⁉」


 偶然にも背後にいた人物。


 そう、格好つけていたインテリ野郎(吸血鬼)の頬と腹、胸が同時に撃ち抜かれ、その場に崩れ落ちた。


 おそらく壁まで吹っ飛ばなかったのは、羽衣の衝撃を全て体中に押し留めたためだろう。


 何と驚き、織姫様はフシギナチカラを使えたようだった。


 伝説の怪物を瞬時に退治してしまったトンデモヤンデレ少女に彦星が戦々恐々とする中、当のお姫様は怒髪天であった。


 すでにコテンパン状態にした吸血鬼をビシッ! と指差して、


「こいつ痴漢でございますッッッ‼‼‼」


「何もしていないが……っ⁉」


 思いついた悪戯がとことん上手くいってしまって、もう腹を抱えて笑うしかないチェシャ猫。


 笑い声を聞かれないようにするのに必死だったが、目の前にもっと必死なヤツがいた。


 吸血鬼が全力の理論武装で罪を否定して……という流れになるはずが、意外にも動いたのは彦星なのだった。


 ヤツは懐から取り出した。


 拳銃を。


「拳銃を⁉ 駄目だろう、絶対にダメ‼ 世界観が崩れ始めるぞ彦星‼」


「黙れ吸血鬼、僕の織姫に触った罪は大きいぞ」


「何で拳銃、いや本当にどうして⁉ 元々君は牛追いだったはずだ! マフィアとかギャングとかそっち方向にパラメーターを振っている理由がほんとに思いつかないのだが⁉」


「いやあ、年に一回しか会う事くらいしか仕事がないから暇で暇で。現代の技術ってのは素晴らしいね、これでも文献では努力家で通っているものだから大抵のものは作ろうと思えば作れてしまうんだ」


「だからって拳銃はダメだろう、因果の繋がりが見えない‼ 牛を追う仕事はどうしたのだ⁉」


「今の時代に牛追って生きていける訳ないだろう舐めてんのか」


「だからテメェ牛追いだっつってんだろ‼」


 そして、僕の織姫呼ばわりされて大変満足なお姫様が羽衣と目と髪型をハートマークみたいにして、両手で頬を押さえてくねくねしていらっしゃった。


「僕の織姫……僕の織姫ですって……。ああ、ああ、なんて素敵な響き……」


 色恋に強いという性質を兼ね備えてしまった、現代風なヴァレンタイン卿がふむと顎に手を当てる。


 何かの分析が始まったようだった。


「なるほど、依存されていると感じている男の方が実は依存してしまっているのね。支えにしている方が支えられている、なんてのは心理的効果の中でも珍しい事ではなかったはずだし」


 ……とまあ殿方の意外な部分も垣間見えた訳だが、クール気取っていた吸血鬼のメッキがとことん剥がれたので、チェシャ猫的には大満足だ。


 再び彼はアリスの背後に戻って行く。


 彦星が吸血鬼を狙って壁や床に弾丸を弾かせていく危険人物と化しているが、まあ吸血鬼は銀の弾丸でなければ死なないはずなので、二、三発鉛弾を喰らったところで笑い話で済むはずである。


 と、チェシャ猫が戻ってくる気配を感じたアリスは、背後に向けて静かにささやく。


「……また何かしたでしょ、チェシャ猫」


「誰かと誰かの輪を繋げているのさ、ワンダーランドとお前を繋いだようにな」


 と、ジト目を背中に向けているアリスに話しかけてくる人物がいた。


 メドゥーサと狼男、アラクネーだった。


 メドゥーサは髪の毛の蛇の視界から、背後でカボチャを抱えた包帯男が全身黄金のミダスの娘の肌に触れているのを把握しながら、


「ねえ、そなたってどこの魔法使いなの? 何が出典?」


「魔法使い?」


 アリスが首を傾げて聞き返すと、アラクネーがたくさんある蜘蛛の足の一つをこちらに向けてこんな風に捕捉してくれた。


「だってほら、貴様の帽子じゃよ。そのトンガリ帽子、大抵は魔法使いが持つ物じゃろう? それに猫を出したり消したりしておるし」


「ああ、こいつはそんなんじゃなくて。わたしはワンダーランドのアリスだよ」


「「嘘つけ」」


「なぜに頭越しに否定なの⁉」


「だってなあ」


 狼男が頭の後ろで手を組んで胡散臭いセールスマンでも見るような目を向けてくる。


「やっぱアリスって言えば青いワンピースに白いエプロンみたいなのを着てカチューシャつけてる真ん中分けの女の子だろう。間違いなくそんな魔女みたいな格好はしてない」


「初対面なのに第一印象がすでに決定づけられている、だと……っ⁉」


 反論材料を探そうとするアリスだったが、そもそも原本からして怪しい。


 というかあれを全て読んで理解し切っている者など存在するのか。


「そんな顔されてもな。つーか作者のルイス=キャロルの本って読んでて頭くらくらしてくるんだよな。起承転結がとことんメチャクチャな癖に物語を繋げる力だけはあるもんだから、脳味噌が追い付かねえの」


「そっそれでも! どこぞの天才エンターテイナーが作ったアニメや映画じゃなくて本を読んだのなら始まりが帽子屋で魔法の帽子に出会うトコからだって事くらい知ってるでしょう⁉」


「ああごめん、多すぎる文字が無理で読むのすぐ投げたわ」


「意味‼ 本を手に取った意味‼」


 この子は常にツッコミ役をしなければならない星の元にでも生まれているのかもしれない。


 そして少し不憫に思ったのか、大人な女性・メドゥーサが耳元に口を近づけて話題を変えてくれる。


「ねえねえ、それより天の川についてどう思う?」


「へ?」


「私の考察を言うとね、当日に天の川が見えなくなるように雲がよくかかるのは、七月七日、当日は一年ぶりに会った男女が燃え上がるからだと思うのよ」


「もえ、あがる?」


「ふっふお嬢ちゃん、燃え上がる男女が誰にも見られないようにして二人っきりで行う事なんて決まっているのよ‼ 小さい子には見せられないから神様がきちんと隠してくれる、そうそれ即ちセッ―――‼」


「っせいッッッ‼‼‼」


 もう説明不可能な鉄拳制裁の爆音が炸裂した。


 モラルハザードを防ぐために、アラクネーがこれでもかと手を固く握り締めてメドゥーサの頭頂部に拳を振り下ろしたのだ。六本の足で地面を摑み、釘打ち機のようにメドゥーサ自身を地面に突き刺すような攻撃であった。


 ……前述の通り、実はアラクネーはアテネとも拮抗するほどの技術に加えて、神様クラスのパワーを普通に持っている女性だ。


 通常の人間ならば冗談や比喩表現抜きで潰れたトマトになっていてもおかしくない訳だが、そこは神に呪われて美しい少女から伝説の姉妹かいぶつへと進化した存在。


 涙目のメドゥーサはたんこぶを作って両手で患部を押さえ込み、


「おー、痛てて……。もーう、本気で殴ったでしょアラクネー」


「当たり前ぞ、小さい子に一体何を吹き込もうとしておるのだ」


 そんな訳できちんとギャグのフィールドで乗り切ってくれた。R15のバイオレンスな光景が広がらなくて一安心である。


 頭の蛇は軽く死にかけていたが、メドゥーサとしては何とか機能している。


 チェシャ猫がアリスの背後で白い部屋が鮮血で真っ赤に染まるのを期待していたのは秘密である。


 と、そんな時だった。


 緊急事案が発生した。


「……っ」


 きっかけは些細なものだった。


 ぶるり、とアリスの背筋から足元まで奇妙な震えが走ったのだ。


「あっ」


「? どうしたのよアリス?」


「……、べっ別に」


「トイレだってよ。この年齢の子どもは大人と比べて新陳代謝が良いからな、トイレも早いんだろう」


 背後からチェシャ猫が代弁してしまった。


 爆発したようにアリスの顔が真っ赤に染まる。


 そう、これは想像以上に緊急事態なのだ。空間が広くて自由があるため実感しづらいが、危険度はエレベーターに閉じ込められた時とさほど変わらない。


 いいや、それよりも事態は深刻だ。


 緊急ボタンを押せば助けを待つだけで状況は改善に向かって行く。


 しかし今回はそんなボタンも存在しない。安全装置もどこにもない。


「……うう、チェシャ猫ぉ……」


「そう言われてもな。俺に魔法は使えねえよ。島国のあいどる? とかいうのは排泄機能を消滅させてるらしいがそんな芸当に心当たりもねえし」


 何やら誤解も蔓延っているようだが訂正を促してもアリスのピンチは消えない。股の辺りを押さえてもじもじする少女の困り果てた様子を見て、アラクネーはため息をついた。


 そう、こんな一言を添えて。


「……はあ。潮時かね」


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