X-2


 顔に絆創膏やガーゼ、腕や足に包帯を巻いた天才少女・桐谷佳恋は冷房の効いた部屋で必要な作業を完了させていた。


「……ようし、覚えた。フローラ、全部削除。ぜーんぶ‼」


『了解しましたが、確認をお許しください。本当によろしいのですか?』


「うん。ここにデータがあればずっと襲撃に怯えないといけなくなる。それに『マーメイド』も馬鹿じゃない。私がこうするのを読んでいるだろうし」


『了解。削除作業を開始します』


 父のデータを自ら削除する。記憶媒体すら残さない。


 頭の中にあるものを抽出できる近未来の機械でもない限り、もう情報が漏洩する事はない。これでようやく安全と安心を手に入れた訳である。


 テーブルの上にあったガムを手の中で弄びながら桐谷佳恋はふうと息を吐く。


「……まったく」


 傷だらけの顔を撫でる。海外の血が混じった、天使みたいな美しい顔立ちがちょっと崩れていた。


 運動会のかけっこで転んだ時に膝に絆創膏を貼った事があるくらいの佳恋にとっては、それなり以上にブルーになる有り様であった。せめて今日だけはベッドで永遠にくつろいでいたいハーフ少女だったが、まだやるべき事がある。


 自分の部屋の私物を父の部屋に移すというプチ引っ越しを完了させていた。これからは家で一番広いこの部屋が彼女の自室である。社長みたいなやけに大きな椅子に座りながら、佳恋は目の前のデスクトップ型のPCを眺めていた。


 その中には削除していないデータもある。佳恋が身に着けているピンクゴールドのブレスレット。本棚にある白い本にも載っている数値で調整されたドレスマターではない。佳恋の頭の中にだけある、父親からもらった不可思議な数値が表示されていた。


 シェリー=S=ハミルトンとの戦いは終わったが、素直に呑み込めない部分もあった。


「あれは何だったんだろう」


『いいえ佳恋様。提出できる回答候補がありません』


「……全く考察ができない訳じゃない。生体電流でドレスマターが一度暴走しかけたみたいに、人体の不思議を何百倍にも膨らませて出力……とか? 髪だって本来の金髪に戻っていたんでしょう? それが副作用だとしたら……」


『細胞や遺伝子に作用するドレスですか。どうでしょう。シミュレーションを繰り返せば何かしらの結果が出るかもしれませんが』


「さあどうかしら? パパの愛していたものは分かるけど、考えていた事なんか一つも分からなかったからね。今から理解しようとすると本当に大変な作業になるんじゃないかしら」


 父を理解する。


 人を理解するだけでも大変なのに、それが思考の読めない天才ときた。一体何年、いいや何十年かかる作業なのかも分からない。


 そんな大仕事が自分にできるのか。


 踏み込むか、否か。迷うように手の中のガムを握り込んでいると、部屋のスピーカーからフローラがこんな報告を飛ばしてきた。


『佳恋様。ミスター安藤から着信です』


「私はもう騙されないっ、睦月かお兄ちゃんかどっち⁉」


『ミスター睦月です』


「最初からそう言ってよね! 絶対に分かっててやっているでしょフローラ!」


『これは失礼。そしてこんな事を言っている間に四回目のコールです』


「ん、繋いで良いよ」


『了解』


 スマートフォンを耳に押し当てた佳恋だったが、目の前のパソコンの画面に同級生が映し出されたのを見て素直にびっくりする。どうやらケータイの番号を使用しない、SNSのアプリを介したビデオ通話だったらしい。


 慌ててスマホをテーブルの上に置いて、腕の怪我を隠す佳恋だったが、顔には絆創膏とガーゼが貼ってあったため怪我をしているのはバレバレだった。


『佳恋、今電話は大丈夫……ってどうしたのその怪我は』


「あはは、ママと殴り合いになった訳じゃないから気にしないで。というかこんなトコ見られたくなかったんだけど。みんなには内緒にしておいてね」


『……まあ佳恋のお母さんが虐待するなんて万に一つも考えられないからその辺の心配はしていないけどさ。どうせ佳恋が無茶したんだろうし』


「むっ、何だと」


『にしても、佳恋はやっぱりあれだよね』


「?」


 何とか髪の毛で顔の怪我を隠せないかと、手でツインテールを作って両の頬っぺたに押し付ける佳恋に、画面の中で幼馴染はこう評価したのだった。




『絆創膏を貼りつけていても可愛いっていうのは反則だよね』




「なっ」


『だから隠さなくても大丈夫だよ。兄さんが言ってた、傷は当人が見慣れたら気にならなくなるって。一生の傷を隠そうとしばらくは化粧をする人って結構いるんだけど、何年か経てば傷が体の一部になって他人の目に晒しても問題なくなるそうだよ』


「なっ、なっ、何なの⁉ だからどうしたの今日の睦月は!」


『え? いやだからあまり傷は気にしなくて良いものだよっていう話をしているんだよ。それを込みで褒められるとコンプレックスを排除できるから電話しておけって兄さんが……』


「ああもうっ、分かった分かった! あの全部お見通しのお兄ちゃん野郎め! というかどうしたの、何の用で電話してきたの⁉」


『佳恋が無事にお母さんと仲直りできたのなら、夏休みの予定を聞こうと思ってさ。ほら、海水浴の話なんかも出ていただろう?』


「じゃあ明日で! ママも休みだから! そっちの予定はどう⁉」


『大丈夫だけど、どうしてそんなにパニック気味なの?』


「オーケー了解じゃあまた明日‼」


 デスクトップ型のPCに人差し指を伸ばし、タッチパネルを操作して通話を切る。


 バクバクと心臓が奇妙に高鳴っていた。手当てをした顔を中心に、耳や首が心地の良い熱を帯びていく。その体の謎の反応に天才的な少女の脳がクエスチョンマークで埋まってしまう。


 子どもがよくかかる病気から一歩はみ出していく。背中を着いて行けば甘やかしてくれるお兄ちゃんじゃない。隣を並んで歩いてくれる等身大の存在を求め始めている事に、その女の子が気づくのはそう先の話ではないだろう。


「……うう、睦月のばか」


 顔の熱が引くと、PCの画面がブレスレットの数値を表示している事に気づく。


 すっかり忘れていたやるべき事を思い出す。心臓の鼓動が静かになるのを待ってから、佳恋はもう一度手首のアクセサリーを撫でる。


「……ドレスアップ」


 その言葉一つで全身が魔法少女のドレスに包まれる。


 赤と銀と桃色、さらに薔薇の意匠を取り入れた洋服。ミニスカートに膝まである白いブーツに肘まである手袋。長い茶髪をまとめた赤いリボンからモノクルが飛び出し左目を覆う。さらには髪までも、茶色から本来の金髪へと変わっていく。


 ステッキを手の中で弄びながら、カレンは静かにこう告げた。


「さて、フローラ。パパを理解するためにはどうしてもクリアしなきゃならない課題がある」


『ええカレン様。遺体すら残らず、証拠は彼の着けていたスマートウォッチの死亡判定のみ。息を引き取った場所も時間も不明という謎だらけのあの事件ですね』


「そういうコト。だいじょうぶ、このドレスがあればきっと真実を見つけられるよ」


『フローラもお力添えいたします。それがフローラの存在意義ですので』


 全てを削除したはずなのに、フローラがアナウンスできるという事は、インターネットで検索すれば溢れ出てくる情報なのだろう。


 一度目を瞑り。


 新たな決意を胸に、少女はたった一人、静かに切り出した。


「なら決まりね」


 小さな宝箱のような部屋の中で、再び桐谷カレンの戦いが始まろうとしていた。


 目の前に表示されたデータを前にして。


 あらゆる謎に挑みかかるように、魔法少女はこう言い放つ。




「パパの謎の死。まずはこれから紐解こうか?」



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