終章 魔法なんてないけれど

X-1


「チッ」


 シェリー=S=ハミルトンの心底機嫌の悪そうな舌打ちがあった。


 その小さなアクション一つで『マーメイド』のアジト全体の空気が重たくなる。マンションの最上階のワンフロアを丸ごとぶち抜いた、下手をすれば庶民的な一軒家よりも遥かに大きい部屋だった。プール付きの一軒家と同様に豪華な隠れ家である。この辺りはこなしてきた仕事量と報酬が多くなってくると天井知らずな部分があるのだが、そんな事を気にしていられない程度には『マーメイド』の構成員、リーダー以外の他三名がわなわなしていた。


「何なのよー、何なんだあのコスプレ女は⁉ ガキのくせに調子づきやがって! 結局奪い取った技術はなし、ペナルティもあり、科学戦争の順位はこれで何位になったのよーっ⁉」


 ガダガダガダーッ‼ と家具が揺れる音がした訳だが、地震が収まるのを待つかのように、広いマンションの部屋の隅に他三名が集合していた。そう、どいつもこいつも一癖も二癖もあるメンバー・クセニア、ロザリア、メアリーの二人と一体である。


 赤毛で獣耳を作ったロザリア=マリアーニが顔を青くしながら遠い目になっている。


「さーって、リーダーが大鎌を持ち出して大暴れするのはあと何分だと思う? あたしは二分後! 三〇秒単位で賭けをしよーぜ。もちろんクセニアさんもな!」


「じゃあ……わたしは、一分後……」


「当機はアンドロイドであるため口座や現金を保有していません。ベットするのであればネットの金融からお金を回収する形になりますが、それでよろしければ三分後に賭けましょう」


「捕獲報酬も撃破報酬もなーんもねーから今回はほぼタダ働き……。こんな賭けでもしてラッキーを見ねーとやってられねーぜ、ちっくしょー」


「今回は……やられ、たね」


「当機はしっかり仕事をしました。アンチのリーダーらしき人物にも一泡吹かせましたし、ロザリアを窮地から救ったのも当機です。どやあ」


「まーそれは感謝なんだけど。……それよりドヤ顔機能ついてんのが驚きだ」


 そんな事を言っている間に、部屋の中央では大鎌を持ち上げて床をドスドス叩き始めたので、一分後に賭けたクセニア=ラブニャリアが大勝利してロザリアが死ぬほど落ち込む運びとなった。


 こんな遊びで動く金額がコインではなく分厚い札束なのだから、まったく十代の女の子のやる遊びではないのだった。


 インターネットを使えばお金だって稼げちゃうメアリー=ミレディアーナ=クラウド=ブロックバスターは、シェリーに負けても特に凹む事もなくこう言った。


「ハニー、まもなく定時連絡の時刻です」


「もーそんな時間だっけ? リーダー、リーダーってば!」


 己の筋肉を抑え込むサプレッションスーツを纏う少女は超絶不機嫌な死神に近づいて、何とかなだめようと試みる。感覚的には興奮したゴリラをどうどうと収めるのに近かった。


 そして背後から近づいた結果、自分の世界にトリップしていたシェリーが第六感にも匹敵する達人的な勘の鋭さで的確にロザリアの首を刈り取った。いいや、正確には凶器がその軌道を描いただけだ。猛獣みたいな少女が間一髪のところで金属の爪を使って鎌を受け止めたため、死体が一つ転がる事はなかった。……つーかこの二人のカテゴリはもう人間よりも狂暴な動物の方が近いのかもしれない。


「あぶっ、危ね⁉ 背後から近づくと危ない存在なんて馬だけだと思っていたのに⁉」


「誰に向かってあんな筋肉の塊の獣だっつってんだゴラ?」


「だから定時連絡‼ 仲介業者の電話は出ねーとやばいでしょーが!」


「ああもう分かったうるさい。メアリー、繋いで良いわよ」


「かしこまりました、ハニー」


 連絡手段は電話だが、通話が常に会話を必要とするとは限らない。


 高層マンションの最上階は、ただ広く大きいだけではない。壁や天井には液晶パネルやスピーカーが埋め込まれており、部屋のどこにいても電話ができる仕様になっていた。本来は映画やネットサーフィンの際に活躍する機材なのだが、定時連絡の通話では常に真っ暗の画面に沈黙と決まっているのだった。


 大きなマッサージチェアに座り込みながら、シェリー=S=ハミルトンは見えない誰かに話すようにこう告げた。


「桐谷社のデータは奪い損ねた。引き続き奪えってのは無理な話ね。おそらくデータは削除されているでしょ。結局、人が記憶する事ができれば媒体なんてものは必要ない訳だし」


『……』


「テロを起こし、邪魔者を排除した上で再びメアリーに情報を記録させる。……もうこの策は使えなくなったんだし、ええそうね、認めるわよ。今回は惨敗。細かいレポートはメアリーが文書で提出するわ」


『……』


「ま、減給は免れないのは分かっているけれど、ペナルティがあればメールなさい。それと情報の提供依頼を一つ。桐谷社とその周辺に関しての情報があればすぐに教えなさい。以上」


 最後の一言で、メアリーが通話を切ってしまう。定時連絡といっても生存確認の意味がほとんどだ。


 必要な情報はアンドロイドの少女を経由してメールのやり取りで済ませてしまえる。傍受されやすい電話なんかよりもずっと秘匿性がある手段である。


「桐谷社のデータはアンチ暗躍部隊に取られたよーなもんだろ? どーしてまだ桐谷社に執着する訳?」


「シェリー……らしくも、ない」


「あら、随分と私らしいと思うけれど」


 くすりと、いいや、そんな表現では不適切なほどにどす黒い笑みが刻まれているのを見て、幾重も修羅場を潜り抜けてきたはずの少女達が凍り付いた。


 それと同時に安心感も湧き上がる。


 本当にこの女性が敵ではなくて良かったと安堵しているのだ。


「だって、ほら。あのクソガキに借りを返さなきゃ、腹の虫が収まらないものねえ?」


 闇は深い。一度踏み込んでしまえば、二度と出られないほどに。


 その意味を、果たして魔法を作り出した少女は自覚しているだろうか。

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