4-11


 本来、鎌とは戦闘に向かない武器だ。


 かつてこの国では農民が一揆を起こす際にその凶器を手にして立ち上がった事があるが、所詮は農具だ。リーチも短く標的を引っかけるような軌道で攻撃しなければならない鎌は、基本的に目まぐるしく状況が変化する戦闘では向いていない。直線の軌道、切れ味も鋭い日本刀やサバイバルナイフの方がよっぽど殺傷能力がある。それは今日の殺人事件や軍人の装備品などから見ても明らかだ。


 だというのに、カレンはシェリー=S=ハミルトンの衝突の瞬間、そんな大前提がぶっ壊れるのを確かに実感した。


「ぐっ、づう⁉」


 ステッキがへし折れる錯覚があった。受け止めた白いオモチャの杖は鉄パイプほどの強度しかないため、二メートルを超す凶器のフルスイングは十分に脅威である。


 それでもステッキが折れなかったのは、カレンが攻撃を受け止めきれず、得物を持った腕そのものが真上に跳ね上げられたからだ。それが奇しくも衝撃を受け流し、切り札であるステッキは事なきを得る。


(……両刃の鎌っ……。引っかけるような軌道を描かなくても、突きだけで十分にヤバい⁉)


 カレンの判断は早かった。


 シェリーの見た目は一〇代後半、多く見積もっても二〇代前半。ただでさえ身体能力には開きがあるのだ。このまま得物同士を打ち合わせても、強度と膂力の問題でいつかは限界がくる。


 難しく考える必要はない。相手の土俵に上がらなければ勝機はある。即ち、シェリー=S=ハミルトンにはないものをアドバンテージに変えれば良い。


 ぶわり‼ という暴風がアスファルトを叩き、魔法少女が地面から足を浮かばせる。


 あっという間に鎌のリーチから逃れるカレン。それも足の速さで詰められる平面の間合いではなく、高度という彼女にしかない特権を存分に利用する。


 その様子に、気だるそうに首を斜めにして視線を上げたシェリーは鎌を肩に担ぎ直す。クセニアで見慣れていたのか、空を飛ぶ少女を見ても特に驚きもしないで死神は告げる。


「うおーい、浅いわねえ」


 白けた瞳だった。


 それは、まだ世界の真実を何も知らない童女を哀れむような色すら含んでいた。


「何を勘違いしているのか知らないけれど、これは格闘技じゃないのよ。間合いや体格差に慎重になるだけでどうにかなるとでも思ってんのか」


「……あなたも空を飛べるっていうのかしら」


「まさか。クセニアみたく背中部分に丸ごと大型デバイスを移植するなんて面倒な事を私がやるとでも?」


 カレンが怪訝な表情を見せた直後だった。


 左から右へ。シェリーがバトンを回すような調子で大鎌を緩やかに振るい、目の前に劇的な変化が起こる。それは肉眼では捉え切れなかった。ただし、ステッキに搭載している赤外線センサーが異常を捕捉し、モノクル越しの視界の一部が真っ赤に染まる。


「な?」


警報アラート。緊急事態につき許可なしに安全装置を起動します』


 フローラが唖然とする主人にそう告げると、魔法少女の体勢がいきなり崩れた。気球の要領で浮遊していたドレスが浮力を失い、カレンを地面に落下させたのだ。熱いアスファルトに激突する前にもう一度飛行装置が起動して、落下速度が急激に減速する。何とか無事に地面に着地すると同時、背後のビルから破砕音が炸裂した。


 危険な行為だと分かっていても、シェリーから視線を外して後ろのビルを振り返る。まるでピザカッターで薄くスライスしたかのような傷がビルの上の方の壁面についていた。距離にして約一〇〇~二〇〇メートル。


 とても大鎌を振るっただけでつけられる傷ではなかった。


「……な、にが」


『衝撃波、というよりも圧縮した空気を振るった武器に乗せて発射しているようです。ビル風などによって揉まれているはずですが、軌道を計算しますに、ほぼ直線上にビルに傷をつけています』


 これでは彼我の距離など関係ない。


 フローラがカレンを地面に落下させていなければ、為す術もなく風の剣を全身に喰らっていたはずである。


 これが『マーメイド』。


 クセニア=ラブニャリアの柔らかくも硬い金属の翼。


 ロザリア=マリアーニの強靭な筋肉と猛獣のような十指の毒爪。


 メアリー=ミレディアーナ=クラウド=ブロックバスターの情報戦力と爆破力。


 シェリー=S=ハミルトンのリーチほぼ無制限の巨大鎌。


 どいつもこいつもやはり一筋縄ではいかない連中ばかりだ。ジュリア=セピアバーグも相当に狂った技術を身に着けてはいたが、それでも『マーメイド』は別格だ。テクノロジーどうこうの問題ではない。それを扱う者の倫理観や命に対する姿勢がどこかイカれている。


 お日様の下を胸を張って歩けない事を何とも思わない、この世界の闇の住人。


 分かっていた。


 分かっていて、この目の前の危険と戦う覚悟を決めたからこそ魔法少女カレンはここにいる。


「……おい」


 背後のビルからシェリーへと視線を移すと、大鎌の死神は片方の目を蠢かせていた。


「何が可笑しい?」


「失礼、ちょっと自分のチョロさに笑えてきてね。きっとこの状況はあのお兄ちゃん野郎にコントロールされているんだと思うと、どこまでも掌の上で踊らされているんだなって今頃になって実感しちゃってさ」


「?」


 意味が分からない。そんな顔をするシェリーに、カレンは快感を覚えていた。


 秘匿された組織なのだ。彼女が理解できないという事は、その組織はきちんと正常に機能している事を意味している。


 おそらく、宣言する意味はなかっただろう。その必要さえも。


 だけど、言った。


「我々はアンチ暗躍部隊『ゴースト』なり。かかってきなさい、シェリー=S=ハミルトン‼」


 ステッキの先端を死神の方へ。


 金属のブーツの踵で熱いアスファルトを打ち鳴らし、火花を散らす。それはテロの爆破の炎にも負けないくらいの熱量を撒き散らし、業火となってシェリーに襲い掛かっていく。


 視界を埋め尽くすブラインド。距離が関係ないといっても、狙いをつけなければ大鎌を振るう事はできない。いいや、『マーメイド』のリーダー・シェリーならば大雑把に狙いを絞って鎌を振るうかもしれないが、それでも命中率は下げられるはずだ。


 そして、この間にもカレンはシェリーを攻められる。


 そう思っていた魔法少女だったが、行き当たりばったりの作戦が万全に機能する保障なんてどこにもない事を忘れていた。


 ヴぅん‼ という空気を割く音が少女の皮膚に寒気を炸裂させた。


 炎の壁のその向こう。


 大鎌がぐるりと回転しながら、フリスビーのようにこちらに突っ込んでくる。


「っ⁉」


 慌ててその場に伏せる。


 頭の上スレスレのところを両刃の凶器が通過していった。ドレスの一部である赤いリボンがあれば頭部だけでも保護できたのにと歯噛みするカレンは、吹き散らされる炎の向こうを見やる。


 唯一の武器である鎌を躊躇なく放り投げたシェリーは、炎の壁の向こうで薄く奇妙に笑っていた。


警報アラート、ブーメランです‼』


「くっそ使い古された手を⁉」


 シェリーではなく鎌の方に注視するべきだった。やや特殊な空気抵抗によって、鎌がぐるりと回転して薄いピンクのインナーカラーに銀髪をした女性の手元に戻ってくる。


 まさしくブーメラン。


 そして鎌とシェリーの間には、カレンが伏せるように蹲っていた。フローラの警告のおかげで回避できるタイミングだった。ドレスに搭載された飛行装置を起動して宙を舞えば、迫りくる凶器から一度は逃れられる。


 だが、


(……一度の回避が何になる)


 覚悟を決めたはずだ。


 この命をどんな危険に晒してでも、あのデータと父の尊厳を守り抜くと‼


(私の体なんか知った事か。腕や足の一本でシェリーに一泡吹かせられるのなら本望だ‼)


 ギャリィ‼ という耳をつんざく音が全身を突き抜けた。


『カレン様⁉』


 主人の非合理な行動が処理し切れなかったのか、秘書が耳元で驚愕の声を発する。


 禍々しい鎌がカレンの腹部を叩き、渋滞していた無人の車の一つに激突する。ドレスのお腹の部分が破れたかのように穴が開いていたが、魔法少女は秘密兵器であるステッキだけは手放さなかった。


「づっ、ぐ……っ!」


 腹筋の千切れそうな痛みがビリビリと続くが、バヂバヂと漏電するような音が聞こえていた。カレンがバンパーに激突した衝撃で、静電気を何倍にも膨らませたような音が聞こえていたのだ。紫電が飛び散る。ドレスに触れる。


「……最大効率」


 無理矢理にでも笑って魔法少女はステッキを掲げる。


発射ファイア‼」


 標的は当然シェリー。電気が流れた直後だった。車のバッテリーパックからドレスに流れる紫電をステッキへ促す。その工程で電気のエネルギーが何倍にも膨れ上がっていく。


 結果こうなった。


 地上と水平の軌道を描いて雷が落ちた。まるで空間に亀裂が入ったよう。青の電撃がシェリーに直撃して、彼女も彼女でその場から吹っ飛んでいく。鎌を持った死神も渋滞していた車に突っ込み、凄まじい轟音を奏でる。


 一連の光景だけを見れば、シェリーを倒したかのようにも見えたが……。


「……こんなもんか、ガキの浅知恵ほど笑えるもんもないわね。アンタ本当にレヴィア=キリタニの娘か?」


 車のボンネットに身を放り出しながら、薄く笑みを浮かべた悪魔はそう呟いていた。


 大鎌が硬いアスファルトを突き破り、地面に突き刺さっていた。


 アース。接地している地上に電撃を流せば、確かに人体に電気は届かない。言わば大鎌は避雷針の役割だ。実は感電などもそうだが、人体に流れる電気は『電圧』と『電流』の双方が高くなければ致命的な結果にはならない事が多い。


 つまり、彼女は電撃を受けて吹っ飛んだ訳ではない。自ら後ろに跳んで危険域から逃れたのだ。


「……うそ、でしょ」


 カレンが愕然とする。


 光の速さで到来する電撃になど反応できる訳がない。だが攻撃が放たれる前に状況だけを分析して、鎌を地面に突き刺したとしたら。


「『マーメイド』……」


「この頭はイカれているだけじゃないのよ。修羅場をいくつも潜り抜けてきた経験とゲテモノ科学の知識が詰まってる。小細工で何とかできると思われているのなら」


 ボンネットから飛び降りて、シェリー=S=ハミルトンは再び大鎌を手中に収めて、


「腹立たしいのよぶっ飛ばすぞ」


「っ」


 続けて大鎌を振るう死神にカレンが息を呑む。


 また圧縮した空気のブレードが身を切り裂きにくるかと思い身を構えたのだが、違った。シェリーは鎌の先端を先ほど激突した車のボンネットに突き刺し、そのまま思い切り振り回したのだ。そう、先端に車を引っかけたまま全力で、だ。


 大重量の金属の塊がまるでラクロスのボールのように放たれ、一直線にカレンの方へと飛来する。


「っ⁉ フローラ、車の重量は⁉」


『約一一〇〇キログラムです』


 受け止めたり弾いたりするのは愚の骨頂。


 素直に真横に飛んで回避を試みるカレンだったが、状況はもう少しばかり複雑だった。


 魔法少女が回避した巨大な金属の塊。その影、ちょうどブラインドとなっていた死角の部分。そう、カレンだって炎の壁を目晦ましにしてクセニアへ起死回生の一手を放とうとしていた事を忘れてはならない。シェリーがその戦略を使うのだって、予想して然るべきだったのだ。


 その車の影から、鎌を持った死神・シェリーが身を躍らせる。


「悪魔め……ッッッ‼」


「よく言われるわ」


 彼我の間合いは二メートル。


 徒手空拳の格闘技で言えば、まだ距離がある方だろう。しかし敵の武器は巨大な鎌、それも二メートルを超す得物だ。それに持ち主の腕のリーチを合わせれば、これ以上なくベストな距離となる。


 ステップを踏むように動く。とにかくシェリーから距離を取る。


 だが死神の女性の動きの方が遥かに速い。真上に跳ね上がったと思った大鎌が、次の瞬間には振り下ろされていた。


 ステッキを振り上げガードするように応じるが、体ごと地面に叩き伏せられる。


「がっ⁉」


 体勢を立て直している暇などない。ましてや飛行装置を起動する余裕など。


 緩やかにカーブを描いた凶器が次は真横から。一度でも防御や回避に失敗すれば、その時点で命がなくなる。その事実を直視すれば体が固まっておしまいだ。武器の先端のスピードは一五〇キロを優に超えている。もはや頼れるのはステッキのセンサーだけだ。視界内に表示される座標にステッキを置くように構えて、必死のガードを成功させていく。


 金属音が何度も響く。


 防御が成功する音は、鎌がステッキを荒く削り取っていく事を意味している。ついには膝をつき、とことん叩きのめされる。一度も柔らかい人肉を引き裂かれなかった事が奇跡であった。


「ハッ、そんなオモチャでこの世界の闇と渡り合えるなんて本気で思ってんのかしら⁉ ナメんなクソガキ! こっちはガキの頃からどっぷり地獄に浸かってんのよ、年季が違うのよ年季がァ‼」


「ぐっ……ッッッ‼」


 白いステッキが壊れていく。


 大切な父からもらった贈り物の一つが削られるように壊されていく。


 それだけでも最悪だったが、ステッキに搭載されたセンサーまで壊されていくのは、鎌の軌道予測もできなくなってしまう。徐々に命綱が削られるような感覚であった。


 ヒートアップした怪物が鎌を縦横無尽に、メチャクチャな軌道で振り回す。


「次はそのコスプレ衣裳かゴラァ⁉ ほらほら、必死にガードしないと腕や足が切り離されちまうけど‼」


「この……っ‼」


 ステッキが持ち手のみになった事で、本格的に追い詰められてきた。


 肘まである手袋で覆われた腕を顔の前で交差させて、亀のように丸まって全身をガードする。強烈な打撃と刺突が繰り返されるが、まともな反撃手段もない。


『このままでは良いサンドバッグです。カレン様、何か打開策を』


「……っ‼」


 手袋も、胸も、腰も、スカートも、ブーツも。


 あらゆる体の部分が鎌で削られていく。柔肌が露出していき、次に一度でもその場所に鎌が振り下ろされれば外側からズタズタに引き裂かれる。だから身を捻り、翻し、何とか薄い鎧のようなドレスで防御していく。


 そして。


 ガギィ‼ という一際大きな金属音が響き渡る。紙吹雪くらいのサイズの集合体であるドレスがその形を失った最後の音だった。


「くだらないオモチャね、桐谷佳恋」


「……はあっ、はあっ!」


「にしても、くっく、桐谷、桐谷か」


 大鎌の刃を首に押し付けられる。


 じんわりと肉を切るかのように、その頸動脈を照準する。佳恋が動けないのを分かった上で、シェリーがこんな風に言う。


「何の巡り合わせなのかしらね。はは、ヤツも予測を外す事があったとはねえ。あいつが生きていればその顔を拝んでやれたものを」


「なに、を、言って……。ヤツ……?」


「やっぱり知らないわね。冥途の土産に教えてやるわ。ヤツっていうのはね」


 慣れてしまった勝利の感覚。


 シェリーはそれを味わう前に、桐谷佳恋にこう告げた。




「レヴィア=キリタニよ。暗躍部隊というこの環境を作り上げたのは、あ・い・つ☆」




「………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………、あ?」


「あの天才だって思いもしなかったのかしらねえ。娘がこんな泥沼に首を突っ込んで命を奪われるだなんて。常に安全装置を組み込む癖のあるあの科学馬鹿だ、アンタの言じゃあアンチ暗躍部隊なんてのも作っていたらしいけど、それが、くっく、そっち側に娘がつくなんてねえ‼」


「……パパの事を?」


「ああ、ようく知ってるわよ。そして今となっては感謝もしているわ。何せ『マーメイド』って生き場を私に与えてくれた神様なんだし?」


 聞いていなかった。


 魔法少女の殻を壊された桐谷佳恋は、もう後半の話を聞いていなかった。


 確かに驚きだ。父親が暗躍部隊を作る、というのがどういう工程を踏んだのか、それは分からない。だけど結果として地獄の暗い海を創造し、そこに怪物が棲みついてしまっている。しかも父自身の家に押し入られて、データを狙われる始末。


 しかし、佳恋が引っかかっているのはそこではない。


 常に安全装置を組み込む。その言葉に何かが引っかかる。彼が大切にしていたのは暗躍部隊でもデータでもない。ヤツが一番に考えていた宝物は、母と佳恋自身だった。何百年経とうが、ハーフの少女は永遠にそう断言できる。


 知っている。知っているのだ、桐谷佳恋が最も彼を理解している。


 安全装置。


 データ。


 全てのパズルが。


 埋まった瞬間だった。


「父親に絶望して死ね、天才の娘」


 死神の鎌が動く。


 次の瞬間だった。桐谷佳恋が何かを呟いた直後、車すら持ち上げる狂気のデバイスが少女の首を刈り取っていく。


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