4-10
「よっこらせー」
という間の抜けた声と共に、ロザリア=マリアーニは巨大な箱を四つほど担ぎ上げたまま、真上へ跳躍していた。
自身の余りある筋肉を抑制するサプレッションスーツに赤毛の髪で作られた獣耳。見た目だけなら可愛らしい少女のようにも見えるが、今まで歩んできた道のりはその辺りの不良より何倍も険しいものであるはずだ。
ロザリアもロザリアでオフィス街を闊歩していた。
赤毛の獣耳少女がいるのは、『トイズストラッカー』という企業のビルである。オモチャの棚で壁全面が埋め尽くされている遊び心のくすぐられるそのビルは、オモチャ産業を支える会社の一つである。
小さい女の子がさらに真上に跳び上がる。
エスカレーターを飛び越えたのだ。手すりを飛び越えた、という意味ではない。たった一度のジャンプで一階上まで辿り着いたのだ。体重だけではなく、一メートルを超えた大きな箱を四つも抱えた上での挙動だ。
オフィス街の爆破のせいで、ビルの中は蜂の巣をつついたような騒ぎになっていた。人の流れが一階の方へと雪崩れ込んでいるため、エスカレーターやエレベーターは利用したくても使えない。そして彼女にとって必要ないのも事実だった。エスカレーターの隙間を潜り抜け、ロザリアは目的の階を目指す。
コンクリートの壁を削るような音があった。少女の十指にはめ込まれた金属の爪、その内の五本が壁の中へとめり込んだのだ。片手一本でロザリアは己の体重を支えながら、
「ふう……これでよーやく二〇階っと」
担いだ箱を一つ手放す。
何も人で溢れたフロアに投下しようという訳ではない。間髪入れずに蹴りを繰り出し、体感的には宙を浮いた箱を目的のポイントに着弾させる。箱が地面や壁に激突する事はない。その一メートル超えの箱は位置取りが完了すれば、自動的に箱が内側から弾けて、その中から少女が躍り出る。いいや、弾けるというのは語弊があるか。あるいは、箱が3Dパズルのように解けて、アンドロイドが飛び出す現象を正しく説明する言葉などないのかもしれない。
あっという間にプロの動きでもって、メアリー=ミレディアーナ=クラウド=ブロックバスターは雑踏の中に溶け込んでしまう。
「設置完了。残り三つは全部この上のフロアに置いておけば良いんだっけ、メアリー?」
「はいハニー。お気をつけて」
敬礼をするアンドロイドの女の子に口笛で返事をしてから、壁にめり込んだ指のパワーだけでさらに上の階へと辿り着く。サプレッションスーツで身体能力を押さえてこのパフォーマンスだ。スーツを脱いで筋力を全て解放したら、一体どこまで動けるのやらである。
ここで三つの箱をメアリーに変化させれば、爆弾の設置係であるロザリアの仕事は終わりのはずだった。
だが、邪魔が入った。
「……あァ? こんなトコまで追ってきたのか?」
「どうもこんにちは」
「名前何だっけ。魔法少女からはお兄ちゃんとか呼ばれていたよーな気がするけど」
「悪いが確実に無力化できる保証がないため名乗るのはやめておこう。しかしロザリア君、君の身体能力は本当に称賛に値するよ。俺の予想したルートと確保のタイミングを六九回も狂わされたのは君が初めてだよ」
異物が混じり込んでいた。
黒のパーティースーツを纏った、大学生くらいの青年だった。
秘匿性を重視する暗躍部隊が名乗る事、それ自体が珍しい。中には魔法少女を嬉々として名乗る素人暗躍部隊員もいるようだが、安藤大雅はロザリア=マリアーニと同様にプロだ。そんな愚行はやらかさない。
「リミテッド実験」
「ほーお、殺して欲しーみてーだな」
「人体の限界を目指すのではなく、人体の限界を突破させた上で肉体改造を行った闇の実験。つまり君の体は強さを求めたのではなく、限界の『次』のステージを求めた訳だ。全くどれほどの痛みだったか、想像すら難しいよ」
「……」
もはやロザリアが無言になった。
いきなり地雷を踏みつけられた者の表情だった。喜怒哀楽の単純な感情ではカテゴライズできない、複雑極まる心の動き。
「睨みつければ止まるほど大人というのは簡単な生き物ではなくてね」
そう続ける大雅は止まらない。
一発殴られただけで内臓が破裂する危険な『マーメイド』のメンバーを目の前にしているというのに、その冷静さが崩れる事はない。
「一応言っておくと、メアリー君が『マーメイド』を裏切った訳ではない。機械というのは基本的に中立なんだ。善悪二元論なんて語るつもりはさらさらないが、完全平等主義の機械の采配ならば情報がこちらに流れてくる事もあり得たのではないかな」
「……」
「メアリー君は便利かもしれないが君達の懐を引っ掻き回す危険な存在だ。テクノロジーに頼り過ぎると人は駄目になっていくのさ。パソコンで文字を打つ人が漢字を忘れていくようにね。ああ君には不要な忠告だったか、あらゆる大切なものをかなぐり捨ててリミテッド実験に身を投じたロザリア君には」
「黙れ」
「言ったはずだよ。生憎、何でもお願いを聞いてあげられるほど俺はできた人間じゃない。くっだらねえ下の下の下の実験に手を出したゲス女の頼みなら尚更だなあ?」
「黙れっつってんだァッッッ‼」
ロザリア=マリアーニが担いでいた三つの箱が地に落ちる。
叩き割る勢いで床を蹴り、前へ駆け出そうとする獣耳少女だったが、そこで真横からのさらなる異物に彼女の瞼が不自然に震える。
「っ⁉」
見た事もない、リクルートスーツを着た職員だった。
動きも素人に近い。格闘技や暗殺術を極めているとは到底思えない、体重だけを頼りにした捨て身のタックル。
だが攻撃のタイミングが悪魔的だった。気づいていても体のテンポが遅れてしまい、どうしても対処に一秒以上かかってしまう。
「……っやろ、邪魔だ‼」
腰の回転だけでタックルしてきたリクルートスーツを薙ぎ払う。
しかし、さらに面倒な事が起きた。
雑踏の中から眼鏡をかけた男性が飛び出してきて、ロザリアに足払いをかけたのだ。体幹が丈夫な獣耳少女はその程度では転ばないが、わずかながらバランスが崩れる。そもそも平素のロザリアであれば、素人の攻撃など当たらないため意に介さない。口笛を吹きながら回避、爪で引っ掻いて凶器に塗られた毒で無力化する、というのが普段の流れだ。
しかし、
(……あたしの動きが鈍くなった訳じゃねー。こいつらが攻撃してくるタイミングが絶妙過ぎて避け切れねっ⁉)
心当たりは一つしかなかった。
目の前で薄ら笑いを浮かべているパーティースーツのその男。格闘技などできそうにもないほど線の細い青年だが、おそらくこいつが彼らに指示を飛ばしている。
いいや、そもそも。
「こいつらは……っ‼」
「俺にはカレン君やジュリア君のような表舞台が向いていなくてね。こういった計算しか取り柄がないが、それでも君達を捕らえるに足る技術は持っているつもりだ」
パチン! と指を鳴らす小気味の良い音が空間を支配する。
左右から襲い掛かるように一〇人を超える『トイズストラッカー』の職員が殺到したのだ。どいつもこいつも悪夢のようなタイミングで突っ込んでくる。ロザリアが左に重心を傾けた時に右から、右の対処に追われている時に背後から。
「有象無象どもが……っ‼」
「精鋭だけが暗躍部隊の条件ではない。何せ秘匿性を愛する組織だ、一般市民に溶け込むというのも十分以上に必要なスキルでね。こうして大量の味方をあらゆるポイントに配備していれば君のような怪力少女にも対抗できる訳だ」
「ぐっ、そがァ‼」
ロザリア=マリアーニも多対一の状況には慣れているのだろう。
片足を振り上げ床を叩く。それだけでリノリウムの床が大きく割れるが、問題はその大音響だ。怪力の少女の踵落としはその動作だけで恐怖を刻み付ける。有象無象が怯んだ隙にロザリアがその場でターンする。
まさにハリケーンだった。
猛獣のような少女を押さえ込もうとしていた大の大人が引き剥がされていく。
「ハッ、この程度でこのあたしを捕らえよーなんて虫が良過ぎて笑え……」
パーティースーツの青年、安藤大雅に向き直ったロザリアだったが、そこで彼女の時間が止まった。クセニアがターンしたその一瞬の隙を突いて、青年が次の一手を放っていたのだ。
小さな卓球ボールくらいの手榴弾が眼前にあった。おそらく本物の爆弾ではないのだろう。この場で爆発すれば避難中の無関係な市民、さらには『ゴースト』の下っ端連中にも被害が出る。
ならば、その極小の物体の正体は?
「よく大雑把な人間だと言われないかい?」
それを放り投げた青年がやはり涼しく笑っていた。
「カレン君との戦闘でも性格は十分にプロファイリングできたよ。格闘技術はその辺りのプロボクサーなんかよりもあるんだろうが、確実に一人一人を振り解くような面倒な事はしないと思っていた。どこかできっと隙ができると踏んでいたよ。大雑把に振り解く、少々予想通り過ぎて怖いくらいだ」
卓球ボールを叩き落そうと腕を動かすが、遅い。
ロザリア=マリアーニが速度で負ける。襲い掛かってきた有象無象同様、やはり悪魔的なタイミングでもってその凶器は投擲されている。
「やめ
「そいつは聞けないお願いだ」
ガス管が弾けるような音が炸裂した。
卓球ボールサイズの手榴弾から噴き出したのは、白いガス。その鼻につく独特の匂いだけでロザリアの意識がぐらりと揺れる。
「煙⁉ いいやただの煙じゃねー……っ‼」
「神経を麻痺させるものだ。筋弛緩剤のようなものだよ。こんなものを散布すれば本物のテロリストになってしまうから、極小のサイズでしか使えないんだがね。ともあれ」
ガグン! と筋肉の塊が膝をついた。
ロザリアの体がその動かし方を忘れたかのように、行動不能に陥ったのを大雅は確信していく。青年がその懐からさらに何かを取り出す。女性の痴漢対策に普通に販売されているものを独自に改造したスタンガンだった。
前にロザリアと対峙した時には、彼はサバイバルナイフを持っていた。おそらく武器には何の執着もないのだろう。不要、不得手。そう判断すればすぐに道端に放り捨てるくらいの意識しか持っていない。
手の中でスタンガンを弄びながら、大雅はロザリアの首筋にゆっくりとそれを近づけていく。
「さて、情報を吐いてもらおうか」
「断る」
「では拷問だ。改造したスタンガンで何ができるかその体に教えてやろう」
膝をついたロザリアの胸から顎へ、凶器が上っていく。まるでキスでも迫るかのように、その童女の顎のラインをなぞるようにして、青年は的確な恐怖を刻んでいく。
スイッチに力を込めた瞬間だった。
ばしゅっ‼ と大雅とロザリアの足元にあった三つの箱が爆発する。中から飛び出してきたのは―――いいや箱そのものが『それ』に変わったというべきか―――くるぶしまで伸びたサファイア色の髪の毛に、ペイズリー柄のバスローブを纏ったアンドロイドの少女だった。
その髪が不自然に蠢き、青い槍のように大雅の元へ突貫する。
完全に予想外の事態にパーティースーツの青年が驚きの表情に染まる。もう為す術もなかった。計算可能な範囲内であれば派手な大立ち回りができる安藤大雅だが、そもそも直接戦闘には向いていないのだ。
そのまま注射針よりも細い髪の毛で上半身を貫かれる。
「がっ、ぶぁ⁉」
「失礼、ダーリン。この辺りが平等主義である当機の境界線です」
アンドロイドは一体ではない。
三体の内の一人が大雅を貫き、もう一体のアンドロイドがロザリアを抱える。そして残りの一体の行動に青年は目を剥いた。
抱き着いてきたのだ。
アンドロイドだというのに、女性らしいその感触に感心している場合ではない。そもそもこのテロリズムにおいて、メアリーの役割は何だったか。
そう、
「全員伏せろ‼ 爆発に体を叩かれたくなければ‼」
メアリーの目的は、この階の人間を殺害する事ではなかったのだろう。
そのまま窓を叩き割り、ビルの外へと弾き出される。アンドロイド少女と共に高層階から落下していく。
内臓が持ち上がる嫌な感覚を味わいながらも、大雅はポケットからスマートフォンを取り出し必要な操作を完了させる。ジャケットの胸ポケットに忍ばせていた卓球ボールサイズの手榴弾がもう一つ爆発し、青白い電気が目の前で弾ける。
メアリーを引き剥がし、それぞれが別々の方向へと吹っ飛ばされて行く。何とかアンドロイドとの心中だけは避けられたが、すでに重力には捕まっている。落下は避けられない。
「うおあ‼」
ぐるぐると回転しながら、パーティスーツを纏う青年は何か柔らかいものに直撃した。トランポリンのように柔らかいクッションの感触が全身を包む。
それは倒壊したビルと赤い紐によって繋がった気球であった。とある魔法少女がオフィスビルの倒れる角度を変えるために努力した結晶がその場に残っていたのだ。
気球の生地が化学繊維で編み込まれているのか、中の空気の熱さがスマートフォンを握る青年に伝わる事はなかった。もし伝わっていれば全身が大火傷である。
「ぐっ、痛っつ……」
スーツの上半身に開いた穴から、何か黒いものが見て取れた。本当ならば赤黒い傷が見えていなければおかしい場所には、特殊な繊維で編み込まれたベストがあった。弾丸の衝撃もなるべく吸収する仕様の防弾チョッキだったが、大雅の体の方が貧弱過ぎて普通に呼吸困難で死にかけていた。本格的にジムに通おうと静かに決意する青年は、パーティースーツを乱したまま必要なタスクを完了させる。
耳にはめ込まれたインカムに手を押し当てて、目的の人物にコンタクトを取ったのだ。
「ああジュリア君、俺だ。ロザリア君の確保は失敗した。だけどポイントは絞れたよ。『トイズストラッカー』の二一階に爆弾を仕掛けたのであれば、パターンNの設置位置だと思われる。座標は送るから『除去』を頼むよ」
『食えない男でございますわね、本当に』
「誉め言葉だよ、ジュリア君」
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