4-9


 黒い翼を持つ『マーメイド』のメンバー・クセニアを退けたからといって、安心できる要素は一つもなかった。


 こうしている今もあちこちから腹に響く爆発音が聞こえてくる。音に従ってオフィス街のビルがいくつか倒壊しているが、おおよその避難が完了しつつあるのだろう。モノクル越しに注意深く観察してみるが、人のいるビルが倒壊している様子はなかった。


 それでも、だ。


 それでも安心はできないのだ。


 爆破の音や炎に混じって、異音がオフィス街を震撼させていた。キン、キン、と。甲高い金属音が空間を震わせる。それは、一等背の高いビルの向こう側、大通りから響き渡る。


「……」


 釣られるように、カレンはふわりと金属製のドレスを翻しながらそちらに飛んでいく。


 凄惨な光景が広がっていた。


 車が横転し、一般人や警察官が何名か寝転がっていた。夏の陽射しのせいで鉄板のように熱せられたアスファルトの上に転がっているというのに、彼らはぴくりとも動かない。苦しそうに呻く動作すらも。その時点で背筋に冷たいものが走るが、問題は悲惨な景色そのものよりも、台風の目のように中央に佇む一人の女性だ。


 長い銀髪に薄い紫のスカート。ワニ柄の黒のTシャツを腰元で絞ってお腹を出したような格好。手元や顔周りでギラギラと光り輝くのは、高級な宝石類のアクセサリーか。服装は闇に溶け込めるように黒を基調としているが、所々に紫色を取り入れているのが特徴と言えば特徴か。しかし、最も目を引くのは、その妖艶なボディラインではなく彼女の両手に握られたもの。


 鎌。


 それも二メートルを優に超す、両刃の大鎌。


警報アラート


「……ええ」


 もはや出会い頭の奇襲が通じるような相手ではないだろう。


 ステッキを握る手にじっとりとした汗が浮かぶ。本能的な危機感が告げている。あれはまずい。地震や台風なんかの自然災害と同じだ。出会わないのが一番、家にこもって災厄が通り過ぎるのを待つのが正解だ。


 だというのに、カレンは静かにアスファルトの上に降り立ち、その女の前へ立ち塞がった。


 それだけで自殺行為にも等しいと、さてハーフの少女は実感できていたか。


 禍々しい黒の瞳と魔法少女の青みがかったグレーの瞳がビタリと合う。


「……あなたが『マーメイド』の頭かしら」


「桐谷カレンか」


 一発で正体を看破された。


 その事実に魔法少女が息を呑む前に、薄いピンクのインナーカラーが入った長い銀髪に額を出した、イギリス辺りの顔立ちをした大人の女性は高いヒールでアスファルトを打ち鳴らしてこう続けた。


「ママの哺乳瓶とパパのお小遣いで満足していりゃあ、そんな格好をせずに済んだものを」


「……私を知ってるのね」


「ハッ、モノクル一つで誰でも欺けるなんて思ってんじゃないでしょうね?」


 呆れたような調子で大鎌をくるりと振り回す『マーメイド』のボス。


「こういう著名人の検索が即座にできないとこの世界では生き残れないのよ。……まあ秘匿性を愛する組織だし、すぐに検索ができる人間ってのも大した事はないんだけれどね」


「べらべらしゃべってくれるんだね。シェリー、だっけ」


「へえ、どこで私の名前を? この道一〇年のプロでも私の事は検索できないはずよ」


「クセニアが怖いって言いながら名前を出していたよ。今こうしてみると彼女の言ってた事がよく分かる」


「ったく、あいつどうせ殺すからって油断して口を滑らせやがったわね。……で、今クセニアは?」


「屋内プールで優雅に日向ぼっこを楽しんでいるよ。熱中症になる前に迎えに行ってあげた方が良いんじゃないかしら」


 カレンからすれば、これは挑発のつもりだった。


『マーメイド』の一人を倒し、仲間を打ちのめしてやった。部下は大した事なかった。お前も倒してやるという、安くあっても揺るぎない事実による挑発。


 だというのに、煽られたシェリー=S=ハミルトンはこう言い放ったのだ。


「私からすりゃあ、別にあんなのどうでも良いわ。メンバーが少ない分、山分けのギャラは配分が多くなるんだし得しかないっつーか」


「……、……」


 思わず、仮にも天才の頭脳を持つカレンの思考に空白ができた。


 心の底からそう思っている声であった。『マーメイド』というグループの内情は一体どうなっているのか。カレンも『ゴースト』に所属して間もないが、付き合いの浅いジュリア=セピアバーグが倒されたとなれば心配や怒りを覚えるに決まっている。


 たとえ安藤大雅から甘いと言われようとも、この魔法少女はそういう人間だし、周りの他人だって大小の差はあれ、そういうものだと信じている。


 だけど。


「……クセニアが心配じゃないの? 同じグループに所属する仲間なんでしょ⁉」


「青いわねえ、甘いというよりもそれは青いっていうのよコスプレ少女。大人の闇に仲間意識そんなもんが存在するとでも思ってんの? はーやだやだ、小学生ってこんなに純粋なもんだっけ? 家にこもってゲームでもやっているのがお似合いね」


 この辺りの認識に同じレベルを求めるのは、間違っている事だと分かっていたはずだった。


 ロザリア=マリアーニにだって常識は通用しなかった。彼女は自身の歩く日陰の道を好んで突き進んでいる印象があった。自分を受け入れている人間には、こういった種類の説得は通じない。仲間は大切なんですよと告げても、なら面倒だから仲間じゃない事にしよう、なんて言い出しかねない。それくらい互いの常識には開きがある。


 だから互いの認識に関して拘泥するのはやめた。


 欲しいのは真実。


 ずっとカレンが追い求めてきたのは、父のデータを含めた全ての事実だった。


「……『マーメイド』のバックにいたのはBランカーズ。海外の爆破解体を請け負う会社だった」


 両刃の大鎌を握る女は静かに口に笑みを刻むだけだった。


 だが構わない。答え合わせさえできれば問題ない。


「そしてサーバールームにいたアンドロイドはこう言っていた。認証に連続で失敗すると爆破する、ってね。私の魔法少女ライブのおかげで巻き起こった陰謀論にこんなのがあったよ。似たような女の子が複数の地点で目撃されている。つまり」


「ふっ」


「メアリーが爆弾だった。『マーメイド』、私を炙り出すためにこんなテロを敢行したのか。ふざけるなの一言だ‼」


「ふっは、あはははははははははは‼」


 オフィス街にどうやって爆弾を仕掛けたのか、ずっと気になってはいた。


 それなりにセキュリティもしっかりしているだろうし、何より人の目がある。不審な爆発物が置かれていれば警戒されて当然だが、そんな情報は耳にした事がなかった。


 だが、不審な『物』ではなく、セキュリティも易々と突破できる技術力がある『者』ならば? 話は大きく変わってくる。メアリーならば服装さえ整えれば、大抵どこにでも溶け込めるだろう。


「秘匿性はどうした、裏で活動する暗躍部隊のはずでしょう⁉ ここまで表に出てきたら世界の目は欺けないわ!」


「秘密にも色々とあるのよガキが。ただコソコソするだけが暗躍部隊だとでも思っている訳? だとしたらご愁傷様! ここまでの混乱を起こせば、その間に大手を振るって活動できるってものよ。地震が起こっても震源よりも津波や被害者数の方が気になるものでしょ。だからアンタを殺したって『マーメイド』に繋がるラインは存在しない。何せガキの死体が一つ見つかったって不自然なトコなんて一つもないんだからね‼」


「そのガキの死体一つ作るためにここまでの事をした。許されるとでも思っているのかァ‼」


 バヂィ‼ という静電気を散らすような音がステッキから響く。あまりの怒りにドレスマターの操作が意志から離れ、軽い暴走状態に入ったのだ。体には微弱な電気が流れているというのは有名な話。だが、それがここまで表面的に噴出するなど前代未聞である。


 生体電流を電撃のように垂れ流し始めるカレンに、モノクルの中でフローラが数値を調整しながら警告情報を飛ばすが、魔法少女は気にしない。


 むしろ暴走程度で今までにない電撃という武器が手に入るのであれば、願ったり叶ったりである。


「思い上がるなよクソガキ、アンタの死体のためじゃない。私達はこのデータを完全に手に入れるために行動しているのよ。金魚のフンみたいにくっついてくるアンタが邪魔なだけ」


 そう言った銀のロングヘアのシェリーの手には、香水のような瓶が握られていた。


 中にはスノードームのように小粒の宝石が重力を感じさせない動きでパラパラと躍っていた。一〇センチにも満たない小さなそれを睨みつけると、フローラがステッキのセンサーを使ってこう鑑定してくれた。


『USBメモリのような記憶媒体だと思われます。PCでの閲覧を防ぐために、ハードに特殊な機材を使わなければ読み解けないものを採用したのでしょう』


「……パパのデータね」


「ええ、これに全てが詰まってる。仕方がないからガキと遊んであげるわ。ただそうね、アンタはこれを取り返したい訳じゃないんでしょ」


 シェリー=S=ハミルトンの言う通りだった。


 カレンはすでにデータの元となるPCを破壊しているし、Bランカーズのサーバールームの役割を担っていたメアリーの保有したデータを削除している。


 残ったデータはシェリーの持つ記憶媒体一つ。


 つまり、壊すだけで良い。


 取り返してスノードームのような瓶を解析する機材を探して……と再びデータを巡る旅をする必要すらないのだ。


 ここが正真正銘のゴール。あれを叩き割るだけで全てが終わる。


「だったら何だっていうの」


「こうしてやる」


 一〇センチにも満たないそれ。


 少し大きめのネックレスのチャームくらいの記憶媒体をシェリーは軽く宙に放り投げる。


 そして。




 ごくり、と口で受け止めて喉を鳴らし、胃の奥へとそれを嚥下したのだ。




「……ッッッ⁉」


 あまりにも唐突なアクションに、カレンが唖然とする。


 その表情を見たかったとでも言わんばかりにニヤニヤと薄気味悪い笑みを浮かべる『マーメイド』のリーダーは、大鎌を地面に垂直に突き立ててこう口を動かす。


「これで私をビルや地面に叩きつけただけじゃデータは壊せない。一番怖いのは急所を突かれる事よりもポケットを叩かれる事だったからね」


「あなた、普通じゃないわ……っ‼」


「当たり前だろうが」


 ぞっ……ッッッ‼ とカレンの背筋と言わず、全身、頭の先から爪先まで今度こそ怖気と寒気が爆発していく。


 やはり本能が黙っていなかった。急げ、逃げろ。脳がそんな信号を出すのを止められない。


「こっちは遊びじゃねえんだよ、ガキの思いつき一つでどうにかなる世界だとでも思ってんの?」


 対して。


 搦め手も奇襲も封じられた中、カレンはステッキを握り直す。


 生きている父から最後にもらったものを、今一度強く。


 それだけの事で、無限の壁に立ち向かえるような気がした。どんなハードルだって超えられる。どれだけ強い敵でも相手取れる。


 だから、その底知れぬ勇気でもって。


 言い放つ。




「こっちも遊びじゃない。馬鹿には手に余るそのデータを返せ、腹黒人魚」




 敵意と殺気が交差した。


 地を揺らす衝撃があった。再び近くのビルで人型の爆弾・アンドロイドが爆発したのだろう。悲鳴と瓦礫の散る音があったが、二人の女性がそちらを見る事はなかった。


 それが合図になったのだ。


 ステッキと大鎌を握り締めた両者が地面を蹴り、互いに吸い込まれていくように衝突した。

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