4-5
「ちょっ、きゃ……っ‼」
『佳恋様。地震ではありませんのでテーブルの下に逃げ込んでも意味がありません』
「じゃあなに⁉ 近くのガス管でも爆発したの……っ⁉」
『現在調査中……』
「ブレスレットの完成までは⁉」
『すでに製造工程には入っています。約一五分です』
「全体的に急げっ‼」
桐谷佳恋はパニック気味にそう叫びながら、這いずるように移動して中央の丸いメンテナンス用の機材に置かれたピンクゴールドのブレスレットを摑み上げる。
手首にそれを装着すると、彼女はモノクルとリボンだけを装着する。
「状況は⁉ さっきのは爆発だよね、ニトログリセリンを主材料にした爆破音に似てた‼」
『佳恋様のお察しの通り、桐谷本社のある当オフィス街で四ヶ所の爆発を検知しています。避難
「と、とにかく脱出しよう。ブレスレットができたらすぐに報告して、回収するから」
『心得ております』
幸い、桐谷社が爆破されている訳ではないようだった。衝撃で扉が歪んで開かない可能性もあったが、ドアノブを回してみると普通に開いたため安堵の息を吐く。
この会社にいれば大丈夫。モノクルに表示されている被害の場所を見て、そう皮算用していたハーフ少女だったが、しかし佳恋に貸し与えられている部屋から出ただけで、甘い考えはすぐに塗り潰された。
「うそ……」
当然ながら、爆発には爆風が伴う。
爆熱は届かなくとも、空気を押し退けて突き進む爆風だけはここまで届いてしまったのか。有り体に言おう。窓ガラスを叩き割って、爆風がガレージのような巨大な部屋を席巻していたのだ。どうして佳恋のいたメンテナンスルームまでその余波が届かなかったのかが不思議なくらいだった。
「……日頃の行いの結果かな。ツイてたよフローラ」
「じゃあ……私は日頃の行いが悪かったって、事になるのかな……」
不思議な所から返答があった。
一〇歳の佳恋の身長よりも低い位置から声が聞こえてきて、背筋が丸ごと凍り付くかと思った。そう、体育館よりも遥かに巨大な空間にいたのは誰だったか。その声色だけで、佳恋はそちらを向くのを躊躇っていた。
ぎしぎし……と首の骨が擦れるような、あるいは錆びついた歯車が力なく回るような動きで佳恋は視線を移動させていく。
「……おり、ヴぃあ?」
「たっはは、やられちゃったよ。これ何が起こっている訳……? つーか、やばいな。これちょっと……血が止まらないんだけど」
「オリヴィアさん‼」
車の下敷きになっているツナギを着た女性がいた。
スカイブルーの作業着は半分以上が血に染まっていて、オリヴィア=ポートレフィアが床と車の顎に噛みつかれていたのだ。どうやら上半身が呑み込まれていないという事は、車の腹に上半身を突っ込んでいた時ではなく、爆風によってひっくり返ったマシンに喰われたのだろう。
顔を真っ青にしながら、佳恋はオリヴィアの側まで駆け寄る。モノクル越しに動けなくなった女性を見やる。
「……フローラ、怪我の具合は? お姉ちゃんは無事だよね? 助かるよね⁉ いいえっつったら何もかもぶっ壊すぞ‼」
『ええ佳恋様。現時点では生命維持機能にそこまでの損傷はありません。しかし』
「しかし何よ⁉」
『このままでは下半身が壊死する可能性もある上に、止血などの処置もできません。原因不明のオフィス街の爆発による二次災害が来るかもしれません。いずれにせよミスオリヴィアの体の上から車を除去する必要があるでしょう』
「万全のドレスがあれば……ッッッ‼」
ギリギリ‼ と歯噛みの音を響かせながら、佳恋はタイヤが二つ外れた車を睨みつける。
一方で、鮮やかな青の作業着を纏うオリヴィアは、驚きと喜びが混じり合ったような表情へと変わっていた。
「佳恋ちゃん、あなた、それ……?」
「……パパが残してくれたんだ。秘密だよ」
溢れそうな涙を抑え込んで、静かにニッコリ微笑んで。
そして彼女はこう言ったのだ。不完全だけど、初めて人前でこう言い放つ。
「ドレスアップ」
それは半身だけの変身であった。
私服を内側から弾き、覆うように右腕と右足に赤と銀、桃色のドレスが纏わりつく。ステッキを取り出してもおそらく意味はない。大した出力も出せなければ、車をバーナーのような炎で焼いても効果は得られないからである。
「フローラ。半壊していない状態でドレスアップしたら力はどれだけ出せる?」
『ええカレン様。筋力の増強という意味であれば、一五〇キロ程度が限界でしょう』
「なら今は単純計算で七五キロ……。車の重さは?」
『桐谷社のスペック表では約一二〇〇キロとなります。タイヤが二本欠けているため、その分の重量は引く事ができますが、そう相違はないでしょう』
「完全状態でも難しいか。車のタイヤを交換する時に車体を上げるリフターなんかがあれば……」
「無理、だよ」
ハンドルをぐるぐる回して車を浮かす事ができる、小さなリフターを探すカレンの足首を摑む手があった。
口の端から血を滲ませながら、優しい瞳をしたオリヴィアはそう言った。
「うちの整備場では……まあ整備場にもよるんだろうけどさ、巨大なああいうリフターを使って車を上げるから、人力で動かす小さなリフターは、備え付けられてないんだ……」
オリヴィアが指差す方向を見てみれば、確かに床に埋め込まれたような、地面と一体化したリフターが搭載されている。
徹底的にツイていないようだった。
だけど、そんな事では諦めない。運勢や物のあるなしは命を投げ出して良い理由になんかならない。理想論だろうと、どれだけ多くの人に笑われるとしても、彼女は胸を張って生きる道を選んでみせる‼
「……やってやる。フローラ、リボンを紐の形に変化‼」
『ええカレン様』
ポニーテールの赤いリボンが質量そのものをメチャクチャに壊して、細く長く変形していく。強度と長さを確認しながら、次にカレンは上に目を向ける。
何のためにあるのかも分からない足場、配管、換気用ダクト……天井を見上げると普段何気なくあるものが目についた。
リボンの長さを伸ばして裁断、長いロープをいくつも作り出しながら、
「フローラ。天井が崩れ落ちないようにリボンを引っかけるよ。演算開始、どこに通せば良い?」
『同様に視界内にマークいたします。先端にステッキを結び付けて放り投げれば上手くいく確率が上がりますよ』
「よし、そのアイディア採用」
『カレン様がバトン選手のようにステッキを上へ放り投げている間、フローラは何をいたしましょう』
「安心して、やる事はいっぱいあるよ。フローラ、その辺りの車はまだ動く? 無事な自動車を掌握して操作できるかしら」
『可能です。どこにぶつけますか?』
「なんか思考回路が暴力的になってない?」
ブレスレットから飛び出した白い杖を摑み、リボンを巻き付けるカレンはそんな風に言う。
換気用のダクトと足場に下からステッキを通しながら、モノクルに指示を飛ばす。
「作業用のリフトがある位置に一台移動させて。計算が合っていれば一台で良いはず。あとリフトの高さを最大まで上げておいて」
『なるほど。カレン様が何をしようとしているのかフローラにも分かりました』
AI制御の自動車が動き出し、爆風でグチャグチャになったガレージの中を完璧な動線を描いて移動し始める。エレベーター型の駐車場でよく見るようなリフトの元へ到着すると、そのまま電気の力を借りて一メートル近くまで上昇していく。
三分かけて何本ものリボンを天井に通すと、最後にそれをリフトの上に乗った車とオリヴィアを拘束する車に結び付けて、限界まで締め上げる。
「上手くいけ……」
呻くように呟きながら、カレンは壁に埋め込まれてあったリフトのスイッチを操作する。自動車を載せたリフトをゆっくりと下げ始めたのだ。
そう、即ちそれはシーソーだった。
天井を支点として、リフトに乗っていた車がオリヴィアにのしかかった車を上へと引っ張る。二台で二〇〇〇キロ以上の車を引っ張り上げると天井の支点が崩れてしまう懸念があったが、いくつものリボンで重量を分散させているため、実質的には一ヶ所に掛かっている力は四、五〇キロだろう。時にはヘルメットの役割だって果たせるリボンだ、どうやら強度も問題ないようだった。おおよそ同じ重さの車でもオリヴィアの車の方が引っ張られているのは、高さを均等に保とうとする力が働くためである。
「上手くいけ‼」
ぶぢぶぢ、という音があった。
ひしゃげた車が浮かんでいるせいで、奇妙な音が響いていたのだ。それでも上手くいっている。車がゆっくりと上に引っ張られて、オリヴィアは自由を取り戻しつつある。
しかし、音源は一つではなかった。
二つ。
天井からである。
「ま、さか」
『支点となった天井が耐え切れないようです。崩壊まで二秒』
「っ‼」
判断は早かった。
すぐさまドレスアップを解いて、ピンクゴールドのブレスレットの中にドレスマターを収納する。
二秒あれば、足りる。
魔法のブレスレットを手首から外して、床を滑らせるようにスローする。細かいコントロールは必要ない。ボーリングのように彼女の体に当たれば何の問題もない。
スカイブルーのツナギを着た女性の足にそのアクセサリーが触れた途端だった。中から質量保存の法則を崩壊させたドレスマターが噴き出し、初めて主人以外の体に纏わりついた。そのドレスは、オリヴィアの両足と腰を覆いその身を保護する。リミットに達して、支点となっていた天井が崩壊する。ただ垂直に吊り上げられていただけの車が二つとも地面に落下する。
リフトに落下した方の車はどうでも良い。
「オリヴィアさん!」
急いで横たわる彼女の元に向かう。
動けないオリヴィアは再び車の下に挟まれていた。しかし先ほどとはもう状況が違う。一瞬でもできた隙間を使って、車に噛まれていた部分を魔法少女のドレスが覆っている。
すぐ側までやってきてから、佳恋はモノクルを指先でノックしながら相棒を呼び出す。
「フローラ、まだ車はオリヴィアさんに接触している?」
『いいえ佳恋様。ドレスで足と腰は保護しています。現在は鎧のように纏りついたドレスマターが車体の重量を支えている状態となっています』
「なら引き抜けるよね?」
『ええ佳恋様。ただし慎重にどうぞ。ミスオリヴィアは高い確率で骨折していると思われます』
「了解」
佳恋は怪訝な顔をしたオリヴィアの背後に回り、後ろから脇の下に両腕を通してホールドする。
「か、佳恋ちゃん……?」
「オリヴィアさん、そのドレスはつっかえ棒みたいに車を支えてくれているから、今からオリヴィアさんだけを引っ張るね。脱皮みたいにドレスだけを残して車の下から抜けるはずだから足を動かさないで」
「わっ私は何をしたら良いっ?」
「私の力だけじゃオリヴィアさんを動かせない。腕に痛みがないのなら、這う感じで何とか後ろに下がってみて」
「……どうせ私は重いですよーだ」
「いじけないの。今度一緒にダイエットすれば良いでしょ」
せーの、という掛け声があった。
ずるりずるる……という音と共にストレートパンツのような形を取ったドレスマターから女性の体が抜けていく。大人の女性の体を一〇歳の体で引っ張るだけで、佳恋の腕の筋肉に鈍痛が走ったが気にしていられない。
そしてたっぷり三〇秒かけて。
「はあっ、はあっ……」
「抜けた……。抜けたわね」
「私が外に出たら救助をこっちによこすよ。オリヴィアさんは手近な車の中に入ってじっと待ってて」
「どうして車の中に?」
「まだ爆発が起こる可能性だってあるでしょ。大人しく言う事を聞いてください」
「……むう、私の方がお姉ちゃんなのに指示されているこの屈辱」
唇を尖らせるエンジニアの女性にくすりと笑いながら肩を貸して、オリヴィアを苦しめていた車の中に移動させる。今度は車の方が彼女を守ってくれる存在になる訳である。
佳恋が扉を閉めようとした時だった。
オリヴィアがドアの開閉を拒むように、その手を伸ばしてきた。いいや、それだけに留まらず、彼女はハーフ少女の手首を摑んできたのだ。そう、ピンクゴールドのブレスレットが装着されていない左の手首部分を。
「……待って」
「オリヴィアさん、ごめんね」
「あなたもここに残りなさい」
「行かなきゃ」
「駄目よ……。どうして佳恋ちゃんが危険な所に率先して行かなきゃならないのよ⁉ 絶対に駄目、もしあなたに何かあったら私は師匠にも萌花さんにも顔向けできない‼」
「それでも」
ゆっくりとその手をほどいていく。
一本一本、指を剥がすようにして、優しく温かい枷を外していった。
「それでも私は、行かなきゃならないんだ」
扉が閉まっていく。
確実な別れを示すように、扉のロックが内側から外せないように電子的な工夫すら加えて。
桐谷佳恋という小さな少女は、再び危険な外の世界へ飛び出して行った。
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