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「……さーて、どうかしら」


 額に汗を浮かばせ、桐谷佳恋はネット喫茶の個室で浅い呼吸を繰り返していた。


 ライブ動画は終わった。当然、佳恋自身の姿はネットにあがっていない。モノクルは視界内を彩るものであって、撮影者がハッキリと映るようにはできていないのだ。上半身だけを繕った急場のドレスの方もスマートフォンでパソコンの画面を撮影するように、ノイズの多い映像となっているはずだ。


 ネット喫茶でやるべき事は終えた。


「フローラ、出ようか。頭のエンジンがようやく温まってきた」


『ええ佳恋様』


 ネット喫茶の料金をスマートフォンの電子決済に任せて、バーベキューにぴったりな眩い太陽の下に躍り出る。


 なるべく日陰を歩きながら、佳恋は五インチのデバイスに向けて話しかける。


「『マーメイド』側の動きをアナウンス。今もさっきのライブの収録映像を垂れ流し続けているんでしょう? 黙っている訳がない」


『ええ佳恋様。約一五分のライブ中に複数のダミーアカウントを乗り換えながらの配信を行いましたが、いずれも凍結処理を喰らいました。手練れの可能性もありますが、どうもフローラに近い「匂い」を感じます』


「AI……アンドロイドのメアリーの仕業ね。本当に『マーメイド』の一員だった訳か。……あれ? でもリミテッド実験の事をタレ込んだのは彼女だったはず……?」


『確かに行動に一貫性がない部分はありますが』


 フローラは主人の言葉を肯定した上で、


『現在もライブ中の映像を複数のアカウントに分配して配信している状態です。ただし約一〇秒程度で凍結させられてしまっています。本当にサイバー攻撃に対抗しなくてもよろしいのですか?』


「オーダー通り拡散に集中して。メアリーの処理速度を上回れば問題ない」


『了解。他にも気になる点がいくつかありますが、最も重要な部分を真っ先に報告したいと思います』


 スマートフォンに多くの情報が映し出される。


 それは小難しい理論や設計図などではなく、SNSのアカウントの投稿だった。佳恋が即席で作ったダミーアカウントではない。こうしている今も歩きスマホをしながら横を通り過ぎるサラリーマンだって持っている個人アカウントだ。


『「魔法少女のヒミツ」でトレンド入り完了。いくら秘匿性を重視している暗躍部隊といっても、世間の目を全て誤魔化せるとは思えません。佳恋様の狙い通り、SNS上では突発的に陰謀論が巻き起こっています』


「今の時代、トレンドなんてすぐに変わる。フローラ、これは一時的な情報収集の手段でしかない。一つも見逃さないで」


『ええ佳恋様。少し困った事に、大手ハンバーガーチェーン店のミミズ肉仮説にまで発展していますので、取捨選択はフローラにお任せください。ヒット件数一三九八件の内、検索条件に引っかかるのは四五六件でした』


「その中で一番怪しいものをピックアップ」


『ええ佳恋様。不審物の発見。これが最もきな臭いワードです。検索結果の四分の一ほどの件数を占め、異なる座標にて多くの目撃情報がある事から信憑性も問題ないと判断します』


 スマートフォンの画面に情報が大量に映し出される。


 ネットにある情報を鵜呑みにしてはならない。そんなご時世の中、佳恋はフローラの力を借りて、欲している的確な情報を精査していく。


「……微動だにしない女の子? こんなのが至る所で見られているの?」


『そのようです』


「どこで投稿されたのかを突き止めて。その近くに防犯カメラがあれば映像情報を取得、完了したら報告ね」


『すでに完了。おそらくアンドロイドです』


 フローラの言う通りだった。


 スマホに映し出されたのは、デパートの外壁にぴったりと沿って立つ銀色の少女だった。眉一つ動かさなければ、瞬きをしている様子もない。画像が多少荒くて分かりづらいが、呼吸をしているかも怪しい。


「なに、これ……?」


 Bランカーズのサーバールームで見かけた、サーバーの役割を果たすマシン・メアリーに非常に酷似しているのも大きな判断材料となった。アンドロイド。しかも異なる場所で多くの目撃証言があるという事は、デパートの防犯カメラに映るこの一体だけではないのだろう。


 まるで、石像のようにほんの少しも動かない路上パフォーマーの持つ不気味さを何倍にも膨らませた奇妙な光景。


 だけど。


「これが一体『マーメイド』とどういう関係があるの? メアリーの尻尾を摑んだかもしれないけど、私が欲しいのはロザリアかクセニアの足取りだよ。ポストみたいに立っているだけで害のないアンドロイドを追い駆けても仕方がない!」


『しかしこれが唯一の手掛かりです』


「ぐううう……‼」


 頭を抱えて座り込む気が起きなかったのは、やたらと暑い陽射しのせいだろう。こんな熱気溢れるコンクリートの街中で休憩なんか取ったら、体力のない小学生は五分で熱射病にやられてしまう。


 歩き続ける。それだけで次の目的地には到着する。


 汗ばむ額を手の甲で拭いながら、佳恋は目の前の建物を見上げていた。


「ふう、倒れる前に着いて良かったよ」


『桐谷社本社に到着です。しかしよろしかったのですか? 佳恋様のお母様が出社してしまう可能性もあるのですが』


 オフィス街だった。


 近くの駅は巨大な歩道橋と繋がっており、周囲は中小含めた企業群が空に届きそうなほど高いビルを建てて群がる場所。必ずしも企業に勤めているOLやサラリーマンばかりがいるではないが、それでも行き交う人々の多くはビジネスウェアを着ている。


 軽く三〇メートルを超える高層ビルが立ち並ぶ中でも日陰ができていないのは、佳恋の身長よりも巨大な窓ガラスが建物の外壁を覆っているせいで陽射しがあちこちに反射しているからか。少女の方はその眩しさに目を細めながら、


「だから鉢合わせないように事前にチェックしてよーう。ママのスマホのGPSを拾って」


『現在は在宅中です。ミス萌花がスマートフォンを家に忘れてしまっていたら何の意味もない確認となる事を追加で注意コーションしておきます』


「ママが移動したら逐一報告。一応、普段はママが寄らないメンテナンス室で作業をするだけなんだけどね。一応、そう一応! 顔がもの凄く合わせづらいから今‼」


『そんなに必死で言わなくてもオーダーは承認できます、佳恋様』


 熱射病以外の要因で頭が痛い。


 額を片手で押さえながらも、桐谷佳恋は堂々と正面玄関からオフィス街の中でも一際大きな建物の中へと入っていく。


 子どもの頃から自宅のように通っていたので、新入社員よりも勝手知ったる様子である。その辺りの警察官よりも明らかに強そうな筋骨隆々の警備員とハイタッチを交わしてから、美人の受付嬢に手を振って奥へ。


 母の会社といっても、労働契約も結んでいない小学生が無法地帯よろしく周囲を歩き回るのは良くない。佳恋が自由に使って良いと言われているのは、一階の奥のエンジニアルームだった。


 扉の横の読み取り機にスマートフォンを押し付けて、ロックを解除するといよいよ目的地に到着だ。


 体育館の二倍ほどもある空間だった。全体的には凝ったガレージといった具合か。メカニックの仕事場というよりも車の整備士の現場、という印象を与えてくるのは、実際に車が何台も置いてあるからだろう。


 セダンやスポーツカー、SUVにワンボックスカー。様々なタイプの車両がズラリと整列している。


 確か早くも五〇万台の発売が決定しているAI搭載の自動運転車だったはずだ。一つの形にこだわらず、多くの人々に寄り添うタイプの車を発売しているのは佳恋の父の方針である。CEOの椅子に座る人間が変わっても、やはり創設者の色というものは残るものなのだ。


「はぶっ」


「?」


 なんか奇妙な声が聞こえた。


 どうしたのかしらと佳恋が視線を移してみると、小さな少女の頭よりも低い位置でもぞもぞ動いている影を見つけた。一〇台以上もある車、その内の一つに仰向けの状態で頭だけ突っ込んでいる女性がいたのだ。


 作業着を着た頭隠して尻隠さず状態のその人は、茶髪ロングの佳恋の知り合いであった。


「オリヴィアさん、夏休みだっていうのに今日もお仕事なんだね」


「誰かと思ったらやっぱり佳恋ちゃんか。うう、もう昔みたいにお姉ちゃんって呼んでくれないのが私は哀しい」


「よ、呼ばない。二度と呼ばない。なんか恥ずかしい」


 どうやら佳恋の足音を聞いて、姿を確かめようと身を起こした結果、車の腹に頭突きをかましてしまったらしい。こんなドジっ子が命を預ける乗り物の整備を担当しているとあらば少々不安が残る事請け合いだが、桐谷社のエンジニアルームを丸々一つ任されているのだから腕は確かなのだろう。


 薄く汚れたスカイブルーのツナギを纏う彼女の名は、オリヴィア=ポートレフィア。


「そして覚えておきなさい、佳恋ちゃん。オトナの世界に三〇日を超えるバケモノみたいな休暇はないのです」


「わーお、一生小学生が良いなあ」


「宿題は宿題で大変だったけれどね。いつも最終日で泣き喚いていたのは忘れないよ」


「私はいつも半日で終わっちゃうんだよね」


「さっすが、レヴィアさんの血を引いているだけあるね」


 片手に持ったスパナをくるくると手の中で回しながら、エンジニアのオリヴィアはそう言った。


「つーか夏休みほどじゃなくても良いからこのゲリラ繁忙期は何とかしてほしいものね。佳恋ちゃん、お母さんに人員を増やすように言ってくれない?」


「……二日前なら言えたんだけどね」


 佳恋は渋い顔で呟いてから、こう切り返した。


 オリヴィアのメンテナンスしている車をじっくり眺めながら、


「例の自動運転の販売で天手古舞な状況だもんね。手を貸したいけど私が手伝ったら法律違反になっちゃうし。わお、これハンドルないじゃない。本当にだいじょうぶ?」


「一応中には収納されているんだけれどね。縦列駐車もS字クランクも全部オートパイロット。信じられる? エンジンのオンオフもキーの持ち主の所までやってくるのも自動なんだよ」


「パパが見たら興奮しただろうなあ」


「どうかな」


 子どもらしくそう呟く佳恋に、ツナギを纏う女性は再び車の下部に顔を突っ込みながら、こんな事を言ったのだ。


「ロマンを奪うな。師匠ならそう言いそうなものだけどね」


「ふふ、とか言ってパパは乗っちゃうんだよ。最新技術に目がないから」


 見えていないかもしれないが、オリヴィアに軽く手を振ってから、ハーフの少女はさらに奥の部屋へと進む。


 一〇畳程度の空間だった。


 巨大な本社の中で余ったメンテナンスルームの一室を佳恋が借りているだけなのだが、バスケットボール一つできそうにないこの空間でもやれる事はたくさんある。


「ここも久しぶりだね」


『ええ佳恋様。夏休みに入る前は毎日のように来ていらっしゃいましたが』


 中央の丸いテーブル型のメンテナンスデバイスにピンクゴールドのブレスレットを置いて、部屋の隅にあるパソコンを起動する。


 半身しか覆えないドレスでは、戦闘どころか飛行もままならない。エネルギーの変換率もドレスマターが半壊している状態では効率も半減だ。ちなみに、このメンテナンスルームで新たなブレスレットを製作する訳ではない。いくつもの工程を経て、組み立て室で完成品が出来上がる訳だが……。


「ママが来たら面倒だからさっさと終わらせよう。修復開始、もちろんセンサーを弾くドレスマター表面のコーティングは忘れないでね」


『了解』


 キーボードの操作を行いながら、ブレスレットのスペック表を呼び出してふうむと唸る天才少女。


 と、ここで佳恋は思考を巡らせてみる。


 撃退できたクセニア=ラブニャリアはともかく、あのロザリア=マリアーニの怪力はドレスマターの耐久性を遥かに凌ぐ威力だった。もう一度新しいドレスを纏ったとしても、紙吹雪のようなサイズの集合体でしかないドレスマターは粉々にされて終わり……という彼女の計算は、おそらく間違っていないだろう。


「フローラ」


『ええ佳恋様』


「耐久性を上げる事はできないかしら。厚さを増やすとか硬さを上げるとか……」


『いいえ佳恋様。厚さを増やすと質量が増し機動力が下がります。硬度を重視すると比重が上がり、同様の理由でロザリアに追いつかれるでしょう。多少の工夫であの膂力は防げません』


「……、分かった。だったら……」


 続けようとした、その時だった。


 佳恋の知らないところで回っていた時計の針が、ある一定の時刻へ達したのだろう。


 何の予兆もなく。




 ズドゴァ‼ という爆破と破砕の入り混じった音が部屋の外から空間を震撼させた。


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