3-7


「やだっ、やだぁ‼ お兄ちゃん、それだけは嫌ぁ‼ そんな太いの入らないよお‼」


「大丈夫、全部入れる訳じゃない。痛いのも最初だけだ。それにこうしないとドンドンひどい事になっていくぞ? もう我慢できないだろう?」


「とにかくそれだけは嫌なの‼」


「あっコラ、ドレスアップしてまで抵抗する事かい⁉ やめっ、熱い熱いっ、カレン君、ドライヤーよりも激しい熱風が来てるって‼」


「毒なら輸液を繰り返せばいつか排出されるから放っておいて‼ とにかく注射は嫌ッッッ‼」


「輸液だって点滴で注射な訳だけどそれは良いのか」


「というか解毒剤って⁉ 精密な検査もしていないのによく分からないもの打ち込んでだいじょうぶな訳⁉」


「痺れを取る薬品だよ。対症療法にはなるだろう。あとは君の言う通り、毒が体内から排出されるのを待とう」


 怒涛の注射なのだった。


 解毒剤を打ち込まないと最悪死ぬっつってんのに、魔法少女カレンちゃん大暴れであった。気になる人の前だというのに、一度裸になっちゃうドレスアップまでして腕部分を金属で覆うカレンにジュリア=セピアバーグと安藤大雅は全力全開の救命活動中である。


「ほんとに熱っ⁉ これだから子どもは嫌いでございます! ああもう、大人しくなさい‼」


「ジュリアさん、駅前のお高いケーキ屋さんでご馳走してあげるからこのお兄ちゃんの関節技を解いて‼」


「カレン君、この注射は表面に麻酔が塗ってあるから、異物感があるだけだ。本当に皮膚を貫く時しか痛みはない。だからだね冷たい痛いっ、それ液体窒素か何かか⁉ 俺の手を壊死させるつもりかって⁉」


「今度お兄ちゃんにも欲しいって言ってた腕時計買ってあげるからジュリアさんの触手を解いてえ‼」


「小学生の台詞じゃないぞカレン君」


「そして誰の何が触手でございますかまだわたくしの事をタコ女だと思っておりますわね⁉」


『カレン様、大人しくしてください。そろそろ毒が回って白目を剥く頃です』


「フローラまで私の敵なの⁉」


「……もう面倒臭いからこうするか」


 腕ばかりに気を取られていた魔法少女カレンのブーツを脱がす安藤大雅。足首の辺りにも太い血管が通っているので、とりあえずそこに注射針を突き刺してみる。腕にばかり集中していたカレンが文字通りの意味で目を剥いた。


「ぎゃう⁉」


「カレーンくーん、今動くとヘタをしたら針が折れて血管の中に入っちゃうぞー。もう大人しくするしかないんじゃないかな」


「怖過ぎる……ッッッ‼」


 何とか白目になって口から泡を吹き出す展開だけは避けられたカレン。


 むしろ大雅とジュリアの方がぜえぜえはあはあと荒い息を吐いていた。大人の方が運動不足なのはいかがなものか。


 ちなみに、場所は変えていた。


 アジトである。ただし、大通りの歩道橋の階段、その影に設置された扉から入れるアジトではなく、デパ地下にある『関係者以外立入禁止』と書かれた扉の奥にある部屋であった。どうやら『どこかの店の誰かが使っている扉なのだろう』という心理的な効果が作用して、踏み入れてくる者は意外といないようだった。


 ギリギリの目と鼻の先、しかし秘匿性の高い場所。暗躍部隊らしい場所のチョイスだった。


「……やられた」


 ボロボロになった赤とピンクと銀と白の金属のドレスを収納して、ホットパンツに黒のTシャツといった夏らしい格好になった佳恋は疲れた調子でそう吐き捨てた。


 顔も腕も足も、あちこち擦り傷や切り傷まみれの一〇歳の少女は、ポケットからスマートフォンを取り出す。


 苦手な注射を打たれた、という意味ではない。


 もっと大きな戦局を眺めた上での感想だった。


「パパのデータはロザリアに奪われた。Bランカーズに保存されている内が勝負だったんだ。なのに外に運び出されたら拡散を止める術がない」


『ええ佳恋様。すでにクラウドにアップされている可能性もありますし、SNSに流出しない確約もありません。状況は悪化したと見るべきでしょう』


 八人も座れる大きなテーブルの上に置かれたスマートフォンから聞こえる人工音声に、桐谷佳恋は遠い目であった。


「……最悪だ死にたい……」


「せっかく死から逃れた子どもが言う台詞かい? それに、そう絶望する事もない」


「?」


「ロザリア君がサーバールームをこじ開けてくれた穴から、俺達もメアリー君に会う事ができてね。そこで手に入れたよ、『マーメイド』をね」


「うん? それって何かで聞いたね。何だっけフローラ」


『サーバールームにて。アンドロイド・メアリーのパスコードです』


「それが?」


「暗躍部隊『マーメイド』。大量に出てきたよ、有用な情報がゴロゴロとね。まあ検索には相当に骨が折れたが」


 テーブルの上に、東京の路線図よりも複雑な情報の網が映し出される。


 中央にアンチ暗躍部隊『ゴースト』。そこから派生しているのは『マーメイド』と呼ばれる組織である。


 構成員としては、ロザリア=マリアーニにクセニア=ラブニャリア、そしてメアリー=ミレディアーナ=クラウド=ブロックバスターというアンドロイドまで組み込まれていた。


「メアリーも『マーメイド』とやらの一員なのかしら」


「微妙なラインだ。パスコードがProtected by Mermaid、人魚に守られている、だったからね。ひょっとしたらBランカーズはマーメイドの良い金庫として利用されていたのかもしれない」


「ああ、メアリーが情報の保管庫だった訳でございますね」


「対話形式でオフライン。ハッキングの心配もなければ、持ち出されれば自爆機能の起動一つで木っ端微塵という代物らしい。優れた情報金庫だよ、まったく」


「あのサラッと言ってた自爆云々のくだりってマジだったのね……」


『ええ佳恋様。AIに冗談を言う機能なんかありません』


 そして別の方向に伸びている線の上には、大鎌の女がマークされていた。


『マーメイド』と大鎌の女、さらには父のデータ。少なくとも、『マーメイド』を攻略しない限り、遺産のデータは返ってこない。


「これのどこに希望があるの」


「『マーメイド』は情報の保管を全てBランカーズに任せていた。そう仮定すれば、科学戦争の要にすらなる情報をオンラインに接続するとは思えない」


「そうか」


 わずかに希望が見えたのか、佳恋の脳が本来の機能を取り戻す。頭脳をフル回転させながら、ハーフ少女はテーブルに齧りつくようにしながら大雅とジュリアにこう言った。


「つまりしばらくはロザリアとクセニアが記憶媒体を持っている! その可能性が高い。それまでにヤツらを叩いて情報を奪い取れば……ッ‼」


「そう上手くいくものでもない、というのが残念なところでございますがね」


『「マーメイド」のメンバーも馬鹿ではありません。易々と見つけられるような場所にはいないでしょう。「ゴースト」のように街の至る所にカモフラージュを行ったアジトを構えている可能性も十分にあります』


「ヴぁー……」


 がしがしと長い茶髪を掻き、喉の奥から奇妙な声を出す佳恋。


 椅子に深く腰掛けて、額に手を当てる仕草は実は父親から譲り受けた癖だったはずだ。


「何か方策は?」


「今の所は特にない」


 安藤大雅は冷酷にそう告げた。


「クセニア君とロザリア君に発信機でもつけられれば良かったんだが、佳恋君の解毒が先だったからね。尻尾を摑み損ねた訳だ」


「私のせいかしら」


「君に責任を押し付ける訳がないだろう、言葉の綾だ」


「……」


 細く長い息を吐く。


 近所の頼れるお兄ちゃんと口喧嘩をしている場合ではない。思考回路を無理矢理にでも切り替えて、佳恋はスマートフォンの画面をノックする。


「フローラ。あなたもお兄ちゃんと同意見?」


『ええ佳恋様。「マーメイド」、「リミテッド実験」、さらにはクセニア、ロザリア両名の名前でも検索をかけていますが、現在地やアジトに繋がる情報はヒットしていません』


「……流石は秘匿性の塊な暗躍部隊って訳だ。フローラ、何か摑めば即報告」


『了解』


「Bランカーズに戻ってきてアンドロイド・メアリーに情報を再保存する可能性も高い。常に警戒ね」


『心得ております、佳恋様』


 手掛かりも足掛かりも消えた。


 そんな状況だった。あちらからボロを出すとも思えない。『マーメイド』が何人で構成されているのかなんて知らないが、クセニアとロザリアだけで十分以上にイカれた科学技術を保有する怪物だった。しかも、あの目。人を傷つけるどころか、殺す事すらどうでも良いと思っている、ドス黒い光を宿していた。


 どん詰まり。確か、父にチェスで追い込まれた時もこんな気分だったか。


「……もう一度ロザリアかクセニア辺りが襲撃してきてくれるとありがたいんだけど」


「母親を危険に晒すような発言が君の口から出てくる辺り、相当に追い込まれているようだから現実を教えてあげよう。すでに技術は奪われた後だしもうあちらからやってくる線は薄い。来るとすれば君に一杯喰わされた私怨だけど、そう簡単に私情に流されるような連中でもないだろう」


「言ってみただけだよ。机上の空論じゃダメなのは分かってる」


「その通りでございます。そうですわね、ヤツらの言葉や行動……即ち痕跡として次に繋がる『何か』を見逃してはいませんか」


「そんなものがあればフローラが見抜いているよ」


「で、ございましょうね。わたくしも言ってみただけでございます」


 テーブルの上ではまともなアイディアなんか出ないようだった。


 風呂やベッド、全く関係のない場所で別の事を楽しんでいる最中にこそ、盲点を貫くような考えが思い浮かぶものだと、その天才少女は知っていた。


 時計を見ると、すでに夕方に差し掛かっている時間帯だった。


「……今日はもう帰るよ。ママが家に帰ってくる前に出迎えないと色々と詮索されそうだし」


「そうでございますか。送りましょうか?」


「ううん、だいじょうぶ。ジュリアさんもお兄ちゃんも、助けてくれてありがとう。だけどこれは私の戦いだからね? 介入と干渉はノーサンキューです」


「お礼を言いたいのか反抗期を全うしたいのかどっちだい」


「どっちも。じゃあね」


 魔法少女のドレスは飛行装置も壊されてズタボロのポンコツ状態だったので、デパートの地下の出口を潜っても飛んで家に帰る事は敵わない。仕方がないのでスマートフォンを駅の改札にかざして電車を利用する運びとなった。


 三〇分もすれば最寄りの駅につく。五分で家に着くルートを歩きながら、佳恋は己の体の調子を確かめる。


「はあ、疲れた……。まだ指先が痺れてる」


『長い三時間でした』


「機械の時間に対する認識は変わらないはずだけど」


『仰る通りです。お疲れ様でした。帰ってよくお眠りください』


 ポケットの中のスマートフォンを叩いて、適当な返事を返しておく。


 ノロノロとした動きで家に帰ると、門を開けてから玄関のドアノブに手を掛ける。その時、ぶーぶーとホットパンツのポケットの中身が振動した事にもっと警戒するべきだったのだが、体の勢いのまま扉を開けてしまったのだ。


「佳恋?」


「っ、ママ、帰ってきて……」


「ちょっと佳恋、どうしたのその怪我⁉ ボロボロじゃないの‼」


「お、落ち着いて、ママ。これはなんというか、ただ転んだだけだから」


 バクバクとうるさい心臓を抑えつけながら、佳恋はポーカーフェイスのまま嘘を考える。おそらく今日一番の左脳の酷使っぷりだったが、父以外に嘘を見抜かれた試しがない。


 佳恋はポーカーフェイスから困ったような笑みを浮かべて、


「いやあ、たはは、参ったよ。睦月とはしゃぎ過ぎちゃってさ。あいつが滑り台から思い切り突き飛ばすから……」


「佳恋。ついさっき、睦月君から家に電話があったわよ。夏休みに遊びに行く予定を決めたいって。……今の今まで一緒にいたのなら、そんな電話かかってくる訳がないわよね?」


「……っ」


「それに最近、あなたパパの部屋に忍び込んでるでしょ。私が気付かないとでも思った? この六年、パパがいなくなってから私が毎日掃除しているのよ。人が入ればすぐに分かるわ」


「ぱ、パパは」


 こんな時だけ嘘が露呈するのは、今までの日頃の行いの悪さでも祟ったか。


 何かを言おうとして、やめる。歯を喰いしばって、結局はこんな言葉が口を突いて出た。


「別に、良いでしょ」


「何が」


「パパは私に全部くれるって言っていた。ママにじゃない、私に全部くれるって‼ だから私が全部もらう! 部屋に入っちゃいけないなんて一度も言われてないでしょう⁉」


「なら教えなさい、何をしていたの⁉ パパのパソコンにロックを掛け直していたのは佳恋でしょう⁉」


「言いたくない」


「何をしていたの佳恋! 答えなさい‼」


「正しい事をやってるんだ、これ以上事態を悪化させないために‼」


「な……」


「パパは信じてくれた」


 母の顔なんて見られなかった。


 自分が壊している事なんて分かっている。だというのにどうしても、大切な人を傷つけるのをこの時の自分はやめられなかった。きっと、くだらない保身のためだった。衝突したら自分も傷つくと分かっていたから、真正面からぶつかる覚悟がなかったのだ。


「パパは私を信じてくれた! その信頼に応える義務があるんだ、何としてでも。今の私が持っているものは全部パパからもらったの。それを私が勝手に手からこぼして良いはずがない。……誰に何を言われようともやり遂げてやる、世界の誰に反論されてもだッッッ‼」


「……に、……のね」


 ポツリと、水滴が落ちるくらいの小さな呟きがあった。


 それは聞き取れなかったのか、それとも脳が母の言葉を認識するのを拒んだのか。ともかく、言い直した目の前の女性はこんな言葉を紡いでいたのだ。


「……その『全部』に、ママは、含まれてないのね?」


「ッッッ‼」


 そこが限界だった。


 どんな顔をしているのかなんて、大体の想像がついてしまった。玄関の扉をもう一度開けて外の世界へ。まだ夕陽が昇るには早い時間だった。ひた走る。後ろを一度も振り返る事なく、全力で家から離れて行った。


 駅の方に向かい、帰宅中のサラリーマンや学生達の雑踏の中を抗うように進み、たった一〇歳の茶髪の少女は適当に辿り着いた建物の外壁に背中を預ける。そのまま、ズルズルと力なく座り込む。


 涙腺を崩壊させながら、桐谷佳恋は薄暗い空を眺めていた。


「……違うんだよ」


 歯を喰いしばって、己の無力を呪いながら。


「あんな事を、大切な人にあんな事を言って、傷つけたかった訳じゃないんだよお……」


 爪が掌を抉るほど強く握り込んだその拳を硬いアスファルトの地面に叩きつける。痛みを感じたかったのに、ブレスレットの安全装置が起動して腕全体がドレスアップしてしまう。


 よく見ると、地面の方がひび割れて壊れていた。



「……ふざけやがって、天才野郎が」



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