3-6


『解析完了』


 モノクルからそんな声が響く。


 スマートグラスの力を借りて視界内でマークされたのは、獣耳少女・ロザリア=マリアーニの身に纏う黒に近い紫のレザー生地の服だった。それは服というよりも帯を何重にも巻いたような格好であった。


『もしもロザリアの俊敏性の秘密が身に纏う衣類にあると仮定した場合、あの洋服を破壊すれば彼女は年相応の膂力になると思われます』


「私がドレスを破壊されるようなものか」


「何をコソコソと話してんのか知らねーが」


 ぐっ、と目の前のケモミミ少女が膝を曲げた。


 構えを取ったようにも見えたが、次の瞬間にはその姿が消えていた。


「は」


「遅せーよ」


 背後、目線よりも上に。


 その両手の十指には銀色の禍々しい爪が装備されていた。まるでふざけてスナック菓子を指にはめ込んだような形をした鋭利な刃物。その左手が思い切り真横に振るわれ、躊躇なくカレンの急所を切り裂きにくる。


(っ、何の躊躇いもなく頸動脈って……っ‼)


 容赦のない殺意。カレンとさほど年齢の変わらない見た目のロザリアだが、おそらく今まで歩んできた人生の道のりが違い過ぎるのだろう。


 もはや動きが速過ぎて、完璧な回避は間に合わない。


 飛行装置を起動させて、ほんのわずかでもロザリアの間合いから体を逃す。だが、わずかに首の部分に痛みが走る。


 ほんの少し掠っただけ。


 そう思ったカレンだったが、指先と足の末端にチリチリとした痺れを感じて顔をしかめる。


「……まさか」


「ヒットしたのは左手の人差し指かー。ザンネン、中指だったら即死系の毒だったのにな」


「づっ……。イカれてるのね。毒が塗ってあるのか、その武器‼」


「ああ、それも十指全部に異なる毒をな。全種類味わってから死ねると良いな?」


 どの程度強い毒なのかは分からない。


 だが痺れようが感覚がなくなろうが、この美しいステッキだけは手放さない。くるりと手の中で回し、先端から溶接・溶断すらできそうなバーナーを放出させる。その長さは約一メートル。元のステッキの長さを含めれば、長剣のような得物になったそれを彼女に向ける。


 対して、圧倒的な速度と膂力を持つロザリア=マリアーニは獰猛な笑みを浮かべるだけだった。やはり場数が違うのか、恐怖に支配されるような事はないらしい。


「どーゆーつもりだ?」


「知らないの? ひょっとして小さい頃テレビとか見なかったのかな」


 質問に質問で返してから、炎の剣を突き付ける魔法少女はこう告げた。


「魔法少女っていうのは、殺されたって諦めないものなのよ」


「笑えるぜ」


 だんっ‼ という爆発のような踏み込みが起きた。


 もはや視覚で捉えるのは諦める。だが獣耳少女の体が高速移動すれば、少なからず空気が動く。それはこんな限られた空間である廊下であればなおさらだ。


 つまり。


『ステッキの溶断バーナーが左に震えました。右方向から来ます』


「オーライ‼」


 即ちアンテナ。


 ステッキを無茶苦茶に振るい、銀色の爪を持つロザリアの手首から先を切断するような勢いでもって攻撃を仕掛ける。


 ……鳥やチーターといった人間よりも速く動く事ができる動物は、一般的に優れた動体視力を持つと言われている。体感的に、という話をすれば、ロザリアはカレンよりも緩やかな光景を見ていた。自分の動きが読まれた事よりも、むしろ肉食獣のような顔をした少女は目の前に迫るステッキのスリルに思わず笑ってしまっていた。


 リスクは無視する。


 どちらが速いのか。


 きっと、今のロザリアの興味はそこにしかない。


「ッらあ‼」


「やァあ‼」


 身を炙る緊張感に、不謹慎にも両者とも笑みを刻む。


 そして直後、何かを切り裂く爆音がオフィスいっぱいに響いていく。さらにぼとり、という簡素な音が続く。血が流れる音ではないのは確かだった。


「ちっ……」


 舌打ちをしたのは、ロザリアだった。


 右の腕から黒に近い紫色の帯がボロリと焼き切れていた。肘から先の強化スーツが破損してしまっていたのだ。ロザリアの右腕に薄い火傷があったが、彼女の表情につらさや苦しさはなかった。むしろ、その獰猛さがさらに増していく。


 これでようやく一歩前進。


 指先を震えさせながらも、カレンは確かな手応えにステッキを握り締める。


「これを繰り返していけば……ッ!」


警報アラート


「へ?」


警報アラートです、カレン様! ロザリアから離れてください‼ とにかく距離を‼』


 モノクルにほんのわずかに気を取られた瞬間だった。


 ズドム……ッッッ‼ と重たくのしかかるような、そんな衝撃が腹部から全身に駆け抜けた。視認できない攻撃。ロザリアからの一撃だと判断する前に、カレンのポニーテールを結わえていた赤いリボンが解けてヘルメットの形を取り後頭部を保護した。背中から後方の壁に叩きつけられるのに備えて、ドレスの安全装置が起動したのだ。


 続けざまに衝撃が来る。


 オフィスを区切る背後の仕切りや壁を叩き壊して別の廊下を転がり、ようやく自分が勢い良く吹っ飛ばされていた事に理解が追いつく。


 うつ伏せの状態から、カレンは両手を床につけて身を起こしつつ、


「あ、がぅ……。な、にが……」


『これは……あの帯型のスーツを壊したのは大きな間違いだったかもしれません。フローラの首が飛ぶレベルの失態です』


「……?」


 目の前にはロザリア=マリアーニが立っていた。


 だが、その一部が大きく変わっていた。具体的には、紫の帯が壊れたその右腕。体積が二倍近く膨らんでいたのだ。カレンのドレスのように質量保存の法則を壊しているのかと見紛うほどのそれ。


 ミシミシ……‼ と何かが軋むような音を発しているのは帯の形をした着物の方であった。


「テメェが悪りーんだぞ」


「なに、それ……ッ!」


「サプレッションスーツで抑え込んでた筋肉が膨張してんだよ。元々の筋力が馬鹿みてーにあるから骨格にダメージがいっちまうが、まー覚悟しとけ。『こっち』の姿で負けた事ぁねーぞ」


「……ふざけてる。普通の筋力トレーニングでつけられる筋肉量を明らかに超えてる!」


「これじゃーファッションもろくに楽しめねーからな。普段は抑えてるっつってんだろ?」


 獣耳少女の肩から先の抑制スーツが悲鳴を上げていた。あの帯の着物の下には、一体どれだけの破壊力が秘められているのか。


 呆然とするカレンの耳にフローラの声が聞こえてくる。


『ロザリア=マリアーニで検索の途中に面白い所からのタレコミ情報が入ってきました』


「?」


『何とメアリー=ミレディアーナ=クラウド=ブロックバスターからです。リミテッド実験。この単語のみしか送られてきませんでしたが、それなり以上に収穫がありました』


「リミテッド、実験……?」


「チッ、嫌な単語が出てきやがった」


「?」


「ああそーだよ。私の体をいじくり回しやがった研究の産物さ。マッドサイエンティストの溜まり場みてーなゴミだったが、一人で生きていく力だけは手に入れたぜ」


「……こんな日陰で、良いの?」


「こんな日陰が良いんだよ。明るい場所だとゆっくり昼寝もできねーだろ」


 強烈な痺れは指先だけには留まらず、徐々に二の腕の方まで上がってきていた。末端から頭脳まで毒が及べばどうなるのか。


 腹の痛みを堪えて何とか立ち上がると、さらに悪いニュースが入ってきた。


『ドレスの損傷率四二%。飛行装置破損、エネルギー変換率は五八%まで低下しています。避難を強く推奨』


「っ……‼」


 もはや熱エネルギーを増幅するためのドレスが傷つき過ぎていて、白いステッキから炎の剣を出力させる事はできなくなっていた。フルパワーで一撃喰らっただけで、頼みの綱のドレスは壊滅状態に陥っている。


 逃亡し、すぐにでも毒に侵された体を病院で診てもらうべきだった。


 それでも。


「……たとえ」


 ボロボロのドレスを身に纏う少女は立ち上がり、そうして。


 今一度、ステッキを構え直す。


「まだ勝つつもりかよ?」


「たとえ、ここで死のうが」


「倒れていりゃあ楽に殺してやれたものを」


「最後まで戦い抜いてやる……ッッッ‼」


 長い、短いなんか一切関係ない。胸を張れる人生を送ってやる。


 全てをくれた父親のために。


 直後だった。


 音もなく、カレンの背後から数百もの槍が噴き出して、ロザリア=マリアーニの元へ殺到する。いいや、それは槍ではなかった。うねうねと動くのは、蛇のようでいて先端に鏃のついた現代兵器だった。


 つまりは、触手。


 それが次々とロザリアの纏うサプレッションスーツを撃ち抜いていく。


「ま、さか……」


 背後を振り返る。


 そこには、ミントグリーンのワイシャツを着た女子高生が立っていた。袖や裾から無数の触手を飛び出させている彼女の名は、ジュリア=セピアバーグだったか。


 リスキーな血管兵器を取り扱っているとは思えないほど、ジュリアは接近戦が得意なロザリアの元へ触手を殺到させていく。


「ジュリアさんっ、どうして⁉」


「君が言ったんじゃないか、カレン君。『ゴースト』が動きたいのなら好きに動けば良いと。だからそうしたまでだよ」


 さらに横合いから見知った青年の声が聞こえた。


 幼馴染の兄にして『ゴースト』のリーダー・安藤大雅のものだった。


「お兄ちゃん……」


「まあここが介入のしどころだと思ってね。怒るなよカレン君? クセニア=ラブニャリア君を撃破した事で君の戦力は『ゴースト』に不可欠なものとなった。……こんな所で手放す訳にはいかないんだよ」


「ハイハイ特大の照れ隠しお疲れ様でございます。素直に弟の友人、可愛い近所の妹を失いたくないと言えば良いものを」


「俺はそこまでできた人間じゃない」


「うぜー」


 言いながら、ジュリアの血管兵器がロザリアの関節部分を射抜いていく。


 たったそれだけで、効果は絶大だった。


 イタリア人の少女が見えない何かに縛られているかのように、その挙動を止めたのだ。高速の回避も爆発的な力も振るえなくなっている……⁉


「サプレッションスーツの損壊部分から筋肉が盛り上がるのであれば、関節部分を塞ぐ良い枷になるのでございます。太腿とふくらはぎ、その一部が盛り上がれば膝は曲げられないのではありません? ええ、確かに全裸であれば問題ないのでございましょう、しかしムチャクチャな筋肉とサプレッションスーツが絶妙なバランスを実現すれば自身の肉体に動作を邪魔されて行動できない。……大雅、あなたの戦略通りでございます」


「どうも。……さてロザリア君、棒立ちのまま殺されたくなければサーバーから抜いたデータを渡してもらおう。君の持つ記憶媒体を回収すれば、この科学戦争は俺の勝ちだ」


「「俺の勝ち???」」


「……『俺達』の勝ちの間違いだった。済まない謝る、だから睨むな」


 サラッと何もしていない頭脳派オンリーの安藤大雅が全力で委縮したところで、ぎりぎりと歯噛みするロザリア=マリアーニが首だけを動かす。見えない拘束具で締め上げられているように見えるのは、己の膨大な筋肉と身に纏うサプレッションスーツとやらが競合を引き起こしているからだ。


「ふざ、けろ……」


「悪いが俺は全てのお願いを聞いてやれるほど寛大な人間じゃない。次の返答を間違えば、心臓にナイフが突き刺さると思え」


 ヒュイ、という風を切る音が聞こえる。


 大雅がパーティー用の黒いスーツの袖から一振りの大きなサバイバルナイフを取り出したのだ。使い慣れている、という訳でもないのだろう。握り方からして素人丸出しだが、それはプロのナイフ捌きよりも別の種類の怖さがあった。小さな子どもが出刃包丁を面白そうに振り回すのと似たような恐怖。


「さて、あまり君に近づきたいとも思えない。火事場の馬鹿力というのもあるしね。できれば君から記憶媒体の方を譲り渡して欲しいんだけど」


「……しょーがねーか」


「賢明な判断をありがとう。それじゃあ……」


「これ以上はここに留まる理由もねーし、魔法少女とやらとケリをつけたかったがこの状況じゃしょーがねー。ここは大人しく撤退するとするぜ」


「っ、ジュリア君! 彼女の足を縛れ‼」


 大雅が叫ぶが一秒遅かった。


 ロザリアが体重移動だけで床に穴を開け、下に落下していく。カレンが急いで追い駆けようとするが、階下を覗き込んで舌打ちする。


「クセニア=ラブニャリア……ッ‼」


「……次は、容赦しない、から」


 階下でロザリアをキャッチすると、黒い翼で飛行するクセニアは視界から消えてしまう。


 次に窓の割れる音が響く。


 カレンが窓の外に視線をやってみると、人の目がある明るい時間帯だというのに堂々と青空を飛行していた。


「くそっ、フローラ! 飛行装置の修復は⁉」


『いいえカレン様。まだです。ドレスマターの一部の構成を変更して飛行装置へと変換していますが、一分以上かかる上に安定して飛べる保障もありません』


「ヤツらを撃ち落とす手は⁉」


「よせカレン君、深追いしたってろくな事がない。その状態で仕掛けても迎撃されるのがオチだよ。ロザリア君はともかく、クセニア君はまだ万全なんだぞ」


「でもお兄ちゃん……っ‼」


「それにそろそろ顎や肩まで痺れてきた頃合いだろう? 脳や心臓に毒が回ってしまう前に解毒しないと手遅れになるぞ。データを取られたまま死ぬ訳にはいかないだろう?」


「……ちくしょう……」


 浅く息を吐く。


 戦争のキーが、再びその手からこぼれていくのをちっぽけな魔法少女は感じ取っていた。


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