3-3


 まるで軽トラックの衝突のようだった。


 いつまで経っても腰の辺りから取れない痛みに顔をしかめながら、桐谷佳恋は茶髪のポニーテールを揺らして立ち上がる。壁に手をついてでも、今一度両の足で立つ。


 白いステッキを構え、再び漆黒の翼を持つ女性を睨みつける。


 一方のクセニア=ラブニャリアは、小学四年生の眼光など気にも留めない。


「……ギブアップ、しないの?」


「あり得ない」


「じゃあ……バイバイ」


 翼が限界まで伸びる。廊下など優に埋め尽くすほど巨大な翼が今度こそ佳恋の命を刈り取るための予備動作を開始する。


 そして、今度こそ佳恋はガードなんか考えなかった。


「ふっ!」


 腰を蝕む痛みすら黙殺して、魔法少女は前へと駆ける。


 無謀な突貫ではない。


 左からの翼をガードして、右から薙いでくる翼をジャンプして避ける。同時に気球の要領でふわりと体を浮かばせて、クセニアの背後の壁へと突進していく。


「フローラ、開けて!」


『了解』


 単調な機械音が響いた。


 音源は、エレベーターの扉だ。両開きのドアが開くが、しかしそこに立方体の箱はない。ただワイヤーが剥き出しになった暗いエレベーターシャフトが存在するだけだ。


 そこに滑り込み、佳恋は逃亡を図る。


 下に姿を消していった魔法少女を見て、無表情だったクセニアの目がわずかに細くなった。


「……面倒臭い」


 クセニアは小さく呟くと、エレベーターがやってきてしまう前にシャフトの中へ身を躍らせる。どうやらその躊躇のなさを鑑みるに、黒い翼はやはり飛行が可能なのだろう。


 が。


「ようこそ鳥籠へ‼」


 シャフトの中が見えていたのは、両開きのドアの狭い範囲だけだ。下に落下したと思っていた佳恋が廊下に立っていたクセニアの死角を縫って、すでに上に位置取っていた事までは、クセニアの予想を超えたらしい。一〇歳の少女は上から思い切りのしかかり、ポニーテールのリボンを髪から引き抜いてワイヤーの一つとクセニアの手首を縛るように巻き付ける。


 蝶々結びや固結びをする必要はない。ドレスアップの時に自動的に髪を結うように、このドレスマターは簡単に物を縛り上げられる。


「な……」


「その翼、本当に生えている訳じゃないよね。どこかの誰かみたいに体の一部を利用した兵器って感じじゃなさそうだし。それに厚さを調整して大きくする事はできても、ある一定の大きさから縮める事はできないでしょう、扇子みたいにね」


「っ」


「潔く諦めて翼をイジェクトすれば助かるかもしれないよ」


「こんなものすぐに断ち切って……!」


「すぐに分かるよ。じゃあね」


 翼に薙がれないよう気を付けながら、佳恋は身を捻ってクセニアの眼前を落下していく。おそらくすぐに追い駆ければ良いとでも考えているのだろう。まずは翼を手首のリボンの方へと集中させるが、そこでクセニアの頭上から巨大な影が降ってきた。


 エレベーター。


 しかも、明らかに安全装置の外れた、凄まじい速度でもって。


「あの、コスプレ娘め……っ‼」


 翼でエレベーターのワイヤー自体を破断させて、リボンの手錠から手首を引き抜く。火花が大きく散るが気にしていられない。下手をすれば金槌よりも重たいエレベーターに頭の頂点を叩かれてシャフトを落下するよりも早く命が散ってしまう。


 しかし左の翼がわずかに食われ、さらに右の翼からも強烈な金属音が響く。隣のエレベーターも落下してきて、右の翼まで巻き込まれていく。


 タイミングが悪魔的過ぎる。


 優秀なプログラムがイントラネットに介入しているとしか考えられない事態であった。


(……っ、こうなったらエレベーターそのものを破壊して体勢を……ッ‼)


 頭の中で打開策を練り始めるクセニア=ラブニャリアだったが、そこで信じられないものを目撃した。


 下から、火花が散っていたのだ。


 どうやらあの魔法少女が太いワイヤーに身を擦りながら落下しつつ、わざと火花を大きく散らしているようだった。文字通り、身を切る危険すらある中で死と隣り合わせのダイブを敢行していたのだ。


 さて。


 そんな事をする理由は?


 合理的に考えるとこうなる。




 無理な落下によって、ステッキから発する攻撃の『源』となるものを調達している、と。




 ぞわりと、クセニアの背筋に気味の悪いものが走ったのと同時だった。


 その声が下方から聞こえてきたのは直後だった。


発射ファイアぁ‼」


 ご丁寧にさっきまで開いていた扉が閉まり、退路すら断たれて。


 上からは巨大なエレベーター、下からは赤黒い爆炎が逃げ場のない空間に襲い掛かってきた。

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