2-5


「ああもうっ、お兄ちゃんの馬鹿野郎め……っ‼」


 軽く荒んだ気分のまま、桐谷佳恋は十数段の階段を上り切る。


 出口の扉を開けると、外は月が夜空の中央を飾っている時間帯だった。


 ネオンライトの溢れる世界に出る。現在地を確認しようとしたところで、そもそもの出口に違和感を覚える。扉は建物に続いている訳ではなかったのだ。


 大通りを跨ぐ巨大な歩道橋。その階段の影に設置されている小さなドアから出てきた事に、佳恋自身が内心で驚く。


 通行人がこちらを見てキョトンとした顔をしたのは、歩道橋の扉から少女が出てきたからか、それとも彼女の纏う金属製のドレスのせいか。


 とりあえずブレスレットに触れて魔法少女のコスチュームを引っ込ませて、花柄のワンピースを纏い直す。鞄もブレスレットから飛び出してきたので、忘れ物はなさそうであった。


「……帰ろうか。フローラ、今何時? ママが心配していないと良いんだけど」


『七時半を過ぎたところです。スマートフォンの通知にお母様・ミス萌花からのものはありません』


 買い物でも行っているのかな、と適当な推測をつける。


 流石にこの時間に帰ると怒られそうだが、拉致られたのは道草を食っていたとは言わないはずなので今夜は仕方がない。この天才少女、自分が悪くなければ普通にふんぞり返って、だってしょうがないじゃないで済ませようとしちゃう性格の持ち主なのだった。


 大通りの歩道橋は佳恋の家からさほど離れていなかったので、タクシーを拾う訳でも飛行する訳でもなく、いつものように歩いて帰った。


「ただいまー」


「あらお帰り佳恋。もう良いの?」


「うん? 何の話?」


「あら、男の子の家に行くのを隠す年頃になっちゃった? 安藤さんの家にお邪魔していたんでしょう? なんか高校の物理の授業が分からないから佳恋をお借りしますって大雅クンから連絡があったわよ。ちゃんと知ってるんだからー」


「……」


「ご飯は食べてきた? ママ佳恋の分の晩ご飯も作っちゃって……」


 流石は秘密裡に動く情報機関、といったところか。佳恋や佳恋の母に配慮した、というよりも事情を聴かれた少女が『ゴースト』の事を口にしないように工作したのだろう。


 疲れたような息を吐くのを我慢しながら、佳恋は笑ってこう報告した。


「ううん、親子丼食べ損ねたからお腹空いてる」


「じゃあ晩ご飯の時間だぞー。手洗いうがいをしてきなさいな」


 本日の献立はカレーとフルーツ入りのヨーグルトだった。


 娘との楽しい食事にニコニコ笑顔が止まらない母親に、色々と今日の出来事を報告したが、流石に『ゴースト』や科学戦争の事は言い出せなかった。


「あら佳恋、怪我したのかしら。顎が赤くなってるけれども」


「あー、うん、ちょっとヤンチャな子と遊んでたの。まあ敵じゃなかったからだいじょうぶ」


 二人で夕食を食べ終えると、母がお風呂に入っている間に佳恋は父の部屋を覗く事にした。


 ピンクゴールドのブレスレットをテーブルの上に置いて、ワイヤレスで情報を読み込ませる。


「……暗躍部隊に科学戦争、おまけにアンチ組織『ゴースト』……」


 どうやらたった一〇歳の佳恋の知り得ないところで、複雑極まる事情が渦巻いているようだったが、今この時にジタバタしても仕方がない。


 目の前に表示されたものに向き合う事から始めよう。


「フローラ。パパのデータの中に軍事系のものはある?」


『ええ佳恋様。何をなさるおつもりですか?』


「防犯カメラ対策。一応撮られても良いようにモノクルをつけているけど、やっぱり撮られないに越した事はないし」


『データベースの検索完了。いくつかヒットしました。お父様の手によってダウンロードされた動画が一〇〇本以上あります』


「あり、パパってそんなにミリタリー好きだったっけ? とりあえず全部見せて」


『こちらになります』


 そして、ズラズラズラズラーっ‼ と立体映像に表示されたのは。




 迷彩服(布面積三割)がビリビリに破れて、戦場のセットの中でカメラレンズにセクシーポーズを決める巨乳女どもだった。




「ドォォォレスアぁぁぁップッッッ‼」


 魔法少女への変身前だというのに音速の挙動でブレスレットを摑み上げた佳恋は、腕部分だけ金属の手袋で覆うとえっちな立体映像をまんま拳でぶち抜いた。そして立体映像であるがゆえに普通に透過してしまったので、テーブル型のデスクトップを丸ごとぶち壊そうとして流石にフローラが警告情報を躍らせた。


警報アラート警報アラートです、佳恋様。こちらを壊すとデータ復旧に時間がかかります佳恋様どうか抑えて』


「っ‼」


 渾身の力で腕にブレーキを掛けると、何とか少女の理性が勝利し機材の破損だけは免れる。


「ぱ、パパのヤツめ、この立体映像のデスクトップ絶対にこのために部屋に導入したでしょ‼三〇〇〇万円もするくせにっ、というかあれか、VR技術の研究に熱をあげていたのもこっち方面が目的なのかしら⁉」


『真偽の確かめようがありません。そしてこれ以上お父様の尊厳を傷つけるべきではないかと』


「う、うわあ、一〇〇以上の動画これ全部ピンク色だぁ……っ⁉ さ、削除っ、フローラ、この桃色動画を全て削除してええええええええええええええええ‼」


『了解。そうなりますと、他にミリタリー系の情報はありません』


「ふぁっ○‼」


 たまに父が口にしていた言葉を叫んでから、テーブルを操作して通販サイトに繋ぐ。


 素材自体であれば、財布や募金箱にだって入っているものだが、この国ではお金を加工すると犯罪になってしまうのだ。


「ドレスの表面にアルミを塗れば、動くものを見つけてオートで起動するセンサーは無力化できる。まあ露出している頭部や太腿に当たればアウトだけど。あ、それと鉛も使えるかな」


『流石に軍事用の光学迷彩のデータは手に入りません。もし手に入ったとしても全身を包む防護服のようなものになってしまいます。代替案としてはタコのように擬態させる方法などもありますが』


「えー」


『何かご不満が?』


「せっかく可愛い衣裳を着ているのに見られないのが不満じゃない訳がないでしょ。それにジュリアさんみたいになっちゃう」


『おや、今理論崩壊したような?』


 見られたいのに撮影はイヤ。


 乙女心は複雑である。


 他にも、ドレスの表面に映像パネルを搭載すれば監視カメラのような荒い映像はすり抜けられる、などの意見も出たが、重たいバッテリーを背負うのが面倒臭いという結論になったのでアイディア的にはボツである。


 今回は安藤大雅にも提案した『カメラに映っても問題なし』の加工だけに留める。これでレンズに姿を捉えられたとしても、パソコンの画面をスマホのカメラで撮影するような、ノイズの多い映像になるはずである。


 ドレスの改良は追い追い考えていく事にしよう。


 今は手に入れた情報を活用していかなければならないのだ。


「フローラ、Bランカーズを検索。ママの会社の取引先だから基本的な情報は頭に入ってる。言いたい事分かるよね?」


『知りたいのは見えない裏側の事情、という事ですね。お調べします。二〇分ください』


「一〇分で調べてよう」


『一五分ください』


「間を取って一二分」


『間を取るのであれば一三分でも良いはずですが』


「その一分の間に何があるの」


『フローラも同じ気持ちです。一分くらいオマケしてください』


「機械が気持ちを語る時代になってきた……っ⁉」


 この三ヶ月で、父の部屋に入るのは慣れた。


 それでも例の数式を利用したドレスマターの製作に集中していたので、部屋の中をじっくりと物色した事はなかった。長風呂の癖がある母親が入浴している内にこっそり部屋に入っているので、きっと萌花は佳恋の行動を知らない。


 そしてそれで良い。こんなきな臭い事に母親を巻き込ませられない。


 フローラが調査をしている間に、茶髪のハーフ少女は父の部屋の中を見渡す。小学校のプールよりも大きなその仕事部屋は、物で溢れ返っていた。


 本棚、クリアガラスでできた冷蔵庫、シガーセットに大量のジッポライター、ワインセラーに観賞用のアメリカンバイクまで置かれていた。総じて趣味の世界を丸ごと詰め込んだような空間だったが、佳恋が惹かれたのはやはり情報と知識の宝庫である本棚だ。


 天井まで壁一面を埋め尽くす本棚を前にしても、少女の視線に応じて上にある本は佳恋の手の届く所まで降下してきてくれる。まるでパズルゲームのようにガチャガチャと音を鳴らして動くその家具に、おおよそ無駄な技術力が使用されている事に佳恋はちょっと残念に思う。


「フローラ、どう思う? パパの事だからまだ何かサプライズを用意しているんじゃないかと思うんだよね。本に手紙が挟まっているとかないかな」


『いいえ佳恋様。部屋に備え付けられたセンサーから赤外線チェックを行いましたが、約一二〇〇冊を超える書籍の中に異物は察知できませんでした』


「本の裏側に殴り書きされている可能性もあるでしょ」


『インクや鉛筆、さらには書籍に刻まれた凹凸などもサーチしましたが、特にこれといったものは見つかりません』


「うーん」


 3Dパズルのような本棚が常に動いているので、目の前に来る本は常時変わる。


 すると、ふと見覚えのあった本を発見する。反射的に手に取ってみる。


「懐かしい本だー」


『ノスタルジーに浸っているところ申し訳ありませんが、そちらは佳恋様には難し過ぎる本ですよ。対象年齢は一八歳以上です』


「へ? これ五歳の時にパパが読み聞かせてくれたよ?」


『……、そうですか』


 英才教育恐るべしであった。


 パラパラと本をめくりながら、桐谷佳恋はドレスマターの構成理論にも役立った知識の載っている白いカバーの書籍に目を通す。何度も読み聞かせてくれた本だったが、こんなものを五歳の少女に教えようとする父親はやや狂っていると評価するべきか。


 と、終盤のページを眺めている時だった。


「あれ?」


 見間違えたかと思い、勢い余って過ぎてしまったページに戻ってみる。


 しかし、何度見直してみても佳恋の記憶と本の中身が一致しない。具体的には、本に掲載されている数値が佳恋の記憶と異なるのだ。


「フローラ。ドレスマターはこの本の数値で機能しているよね?」


『ええ佳恋様。それがどうかなさいましたか』


「シミュレーションのデータや私の計算を参考にしたから、ブレスレットに収納されているドレスマターはこの本の数値なんだよ。それは間違いないの。でも、あれ、どうして気づかなかったのかな。私の頭の中にあるパパの言っていた数値がこれとは違うのよ」


『佳恋様の記憶違いでは?』


「記憶違い? 私が???」


『Bランカーズの情報収集が完了しました。ご覧になりますか?』


 いきなり、話のレールが大きく外れた。


 まあブレスレットの数値が間違っておらず、きちんと作動して問題がないのであれば気にする必要のない事だろう。


 白いカバーの本を元の場所に戻し、水蒸気に立体映像を映すテーブルの方へと戻る。それ単体で快適に眠れそうなほど豪勢な社長椅子に深く座り込み、優秀な秘書プログラムが集めた情報を吟味する事に。


「フローラ。見るだけなら一人でできるよ。アナウンスよろしく」


『了解』


 真ん中にBランカーズの企業ロゴが巨大に映し出される。


 ブレインストーミングのように、とでも言うべきか。中央のロゴから網目のように青い光線が広がり、それは吹き出しを作っていく。次々と情報の塊が膨張していくようであった。


 そして、それが立体映像としてテーブルからはみ出したところで佳恋は眉をひそめた。


「ん、SNSからも情報を拾ってきたのね」


『ええ佳恋様。今の時代、本気でストーキングを試みれば名前から人の素性の多くを調べ上げる事が可能です。スマートフォンを持つ佳恋様もお気をつけてください』


「私の名前は検索したら出てくるよ。一度ママの会社で研究のお手伝いをしてスマート家電の開発に携わった事があるからその関係で」


『佳恋様は人生何度目ですか?』


 そんな会話をしつつも、佳恋はBランカーズの内部情報に注視する。


『Bランカーズは海外などで建造物の爆破解体を担う企業となります。社員の名前、海外の評価サイトなどから可能な限り情報を収集』


「何を掘り起こしたのかしら」


『経歴や仕事内容についてはほぼ真っ白な企業でしたが、二つほど気になる点があります。一つはあまりにも多くの火薬を調達している点です。こちらは改ざんの形跡すらありましたので、ほぼ黒で間違いないかと』


「海外の爆破解体の業者なんでしょ? 別に不思議なトコはなさそうだけど」


『ええ佳恋様。しかし、海外からのオーダーにしては火薬や信管の量が多すぎるのです。企業側は常に火薬を貯蔵している状態なのではないかとフローラは予測します。これについては、社内メールで疑問の声が飛び交っていたのですが、すでに上層部の手によって削除されています』


「……あっちにもフローラみたいにシミュレーションができるAIがいるのかも。ほら、建造物の解体って緻密な計算が必要でしょ。爆薬の量や位置、崩れ方なんかをシミュレートする人工知能。……いてもおかしくないわ」


『フローラもそう思います。そいつがBランカーズにとって不利益な、あるいは知られてはならない情報を隠蔽・改ざんしているのではないかと』


 秘書が同意してくれるだけで随分と心強い。


 さらに水蒸気でできた画面の端っこに位置していたデータが佳恋の目の前に移動してくる。SNSの画面ではなく、とあるニュースの記事であった。


『二点目は、おおよそ三年前にテロリストグループ「パウロ」がBランカーズ本社に侵入している点です。爆薬を盗むのが目的だったと思われますが、プロ集団であるはずの同グループがたった八分で無力化され、当局に引き渡されています』


「Bランカーズが雇っている警備会社は?」


『記録上はあります。しかし民間人の住宅を警備する会社であるため、プロのテロリストを打倒できるほどではないと思われます。警備会社にもアクセスしましたが、それほどの手練れがBランカーズに配属されていた記録もありません』


「ヒットだね」


 その画面を何度も指差しながら、桐谷佳恋は確信を得る。


 この違和感は見逃せない。侵入した者を排除するための戦力を確保している。タイムリーというか、随分と身に覚えのある状況だった。


「暗躍部隊を雇っている。あの大鎌の女かは分からないけど、テロリストのグループを八分で倒せる戦力がこの企業に常駐しているとしたら」


『フローラシステムにも同様の解答が存在します』


 倒すべき敵が見えてきた。


 爆破解体の企業と父の研究していた技術がどう関係しているのかは分からない。だが彼らが暗躍部隊を雇い、この一連の騒動を裏から操っている。そして、PCのデータを爆破解体のシミュレートAIが奪ったとしたら。


 全ての線が繋がった気がした。


「PCのデータはどこにあるんだろう」


『佳恋様。フローラは現在、佳恋様のスマートフォンや家庭内のデバイスを介して、佳恋様とコンタクトを取っていますが、本体は桐谷社に置かれたスーパーコンピューターの演算領域を借り受けています』


「そっか。つまりPCのデータを奪ったAIにも本体がある!」


『ええ佳恋様。佳恋様が目指すべきは、Bランカーズ本社にあるコンピューター本体です。端末にフローラを接続するか、もしくはサーバーの本体をクラッキングするか。いずれにせよ情報を奪い返せます』


「でもそうなると、確実にあっちも警戒している」


『おそらく高確率で暗躍部隊を佳恋様と鉢合わせさせようとするでしょう』


「……、だけどデータがサーバー一つに保存されているのなら、世界に公開される心配はない。逆に言えば、時間が過ぎればBランカーズの情報のダムは甘くなっていく」


『ええ佳恋様。独占したデータを他社に売り払われては、もう拡散に歯止めは効かなくなっていくでしょう』


 時間がない。


 父のパソコンからいつ情報が抜き取られたかが曖昧な以上、もう細かい方策を立てている余裕もない。


『佳恋様、どうなさいますか?』


 そんな質問があった。


 サイズの合わない大きな椅子から立ち上がり、ブレスレットを撫でながら一〇歳のハーフの少女はこう断言した。


「決まってる。取り返すまで殴り込む」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る