2-4


 しばらく意識を失っていた。


 そう気づいたのは、桐谷佳恋が目を覚ました時に、先ほどの飲み屋街とは全く違う光景が目の前に広がっていたからだ。


「あ、うぐ……?」


 椅子に座らされている。


 顎に強い痛みを感じたが、それよりも重要な事に気づいて顔をしかめる。


 右手首にあったはずのピンクゴールドのブレスレットがなくなっていたのだ。金属製のドレスもいつの間にか脱がされており、代わりに少女は花柄のワンピースを纏っていた。後ろ手に回された両手は結束バンドで拘束されているようで、両腕を動かそうとするとギヂギヂと奇妙な音が手首から返ってくる。


 わずかに片方の視界がピンクがかっているのは、モノクルと赤いリボンだけは身に着けてあったからだ。


「ここは……」


 室内なのは把握できた。


 黒い天井に壁。広さだけで言えば教室よりも随分と広いが、薄暗い明かりが奇妙な圧迫感を醸し出している。生活感のなさ、窓が一つもない部屋……とにかく佳恋の肌には合わない空間だった。


 と、たった一つ、部屋の中央で椅子に座る佳恋の真正面にあった扉がガチャリと音を立てて開く。


「拘束部屋でございます」


 入って来たのは、飲み屋街で背後から襲ってきたミントグリーンのワイシャツを着た女子高生(自称)だった。


 そして、彼女を見た瞬間、反射的に椅子に縛り付けられた佳恋はこう言った。


「あ、タコ女」


「だっ誰がタコでございますか⁉ 失礼なっ! こっ、この装備のコンセプトは天使でございますのよ⁉」


「えっ、どの辺りが?」


「人間の体ではない部分を意志だけで動かす部分が、でございます! 鳥の翼からヒントをもらったのでございます、決して侮辱する事は許しません!」


「せめて翼の形に整えなきゃ分かんないよ……。それに脳波で動かすならもっと数を減らさないと処理し切れないんじゃない?」


「ふふん、その辺りはしっかり対抗策を立てているのでございます」


「ああ、筋肉の動きと連動させているパターンかしら。微細な動きは脳、大雑把な動作は体をコントローラーにしていれば確かに問題は解決だね。義手だってそうだったっけ。腕の方向を肩の筋肉で動かして、指先は脳だけで動かす実験は桐谷社でもやっていたはずだし」


「……、あなた本当に一〇歳?」


「よく言われる。パパからは言われた事ないけどね」


 目の前の女子高生を観察すると、飲み屋街で会った時の格好とは異なり、全身から噴き出していた触手はなくなっていた。


 その視線を受けて、目の前の少女は身をよじっていた。


「な、何でございますか、そんなにジロジロ見て。わたくしの装備が不思議でも機密情報はバラしませんわよ」


「血管兵器」


「へ」


「全ての血管を繋げ合わせたら地球をぐるりと二周はさせられる長さ、なんて話は有名だよね。その長さを使えばあんな芸当もできる訳ね。しかも血管には神経が通ってないから千切られても痛覚は刺激されない」


「……」


「でも血管だけじゃ耐久性がないからそれを覆うようにしてカーボンか樹脂でコーティングしているんでしょ。だから切断されたら中の血液が流れ出して心拍数が上がっちゃう」


「……、ご明察。ちょっとムカつくけど、ここは素直に拍手をしておいて差し上げましょう」


「ありがとう。でもだいじょうぶ? 感染症とか失血死とか、色々心配が尽きないよ」


「……あなたお人好しでございますわね。私の心配をしている場合でございますか。気絶する前に何が起こったのか記憶が飛びまして?」


「これは心配してるんじゃないよ。技術的な脆弱性を見つけたら頭にメモを残す癖があるだけ」


 それに、と佳恋は一度言葉を区切って、


「このモノクルを回収しなかったのは失敗だったね。これ、私の秘書と繋がってて、音声コマンドだけで指示を出せるんだよ」


 つまり、と形勢逆転を確信して不敵に笑う桐谷佳恋はこうネタバラシした。


「フローラ、私の現在位置を拾って警察に通報。こいつに一杯食わせてやれ」


「あら」


 ミントグリーンのワイシャツの女子高生がおどけた表情になった。


 くすくすという彼女の笑い声だけが薄暗い部屋の中に響く。明らかに虚を突かれた様子ではない上に、そもそもモノクルからフローラの返答がない。


「あまりわたくし達をナメない方が良くってよ。壁紙には電波遮断用の鉛が埋め込まれていますから、桐谷社に置いてあるスパコンやあなたの鞄の中のケータイとの情報の行き来はできないのでございます」


「っ……」


 まずい、と歯噛みする佳恋は、そこで女の言葉の違和感に気付く。


「わたく、し……?」


「そういう事さ」


 女子高生の口調が乱れた訳ではない。


 佳恋の真正面の扉の向こうから、くぐもった声が聞こえてくる。足音もなく入ってきたのは、ミントグリーンのワイシャツを着た女と同年代くらいの青年だった。


 というより。


「ウソ、でしょ……」


 佳恋は、その男を知っていた。


 大きく両目を見開いた一〇歳のハーフ少女は、唇を震わせながらこう呟いた。


「……、この世界は狂ってる」


「かもしれない。だから俺達のような人間がいる」


 黒髪に全身黒のパーティースーツ。


 よく見知ったその高校一年生の青年は、必要もない自己紹介を口にした。


「久しぶりだけど忘れてないかな? 俺だ、安藤大雅。久しぶりだな佳恋君」


「……お兄ちゃん、一度私の顔面を全力でぶん殴ってくれないかしら。もしくは一発ぶん殴らせて」


「よしてくれ、俺は全部のお願いを聞いてあげられるような人間じゃない」


「全部説明してくれるよね? あとさっさとブレスレットを返して、私の宝物なの」


「もちろんだ。結束バンドは樹脂製だ、熱で溶かすと良い」


 ピンクゴールドのブレスレットが放り投げられたので、椅子に縛られたままの佳恋は器用に膝でキャッチする。


「元々は佳恋君、君がいきなり暴れ出さないために『回収』しておいただけなんだ。それにしてもすごい技術だな、回路基板がもはや近未来だった」


「お兄ちゃんに褒められるのはやぶさかじゃないけど、女の子の私物を覗くのは大減点だね」


 ドレスアップと呟き、そして後悔した。


 内側から花柄のワンピースが弾け飛び、魔法少女のドレスが身に纏うまでのその一瞬だけ佳恋の生まれたままの姿がお披露目されてしまったのだ。いくらサブリミナル効果的な瞬時の出来事とはいえ、縛られた状態で裸を御開帳させるなんて乙女としてあり得ない。


 顔だけではなく首から胸元、腹から足先まで全部真っ赤にして、ついでにその熱エネルギーを数倍にしてステッキの先端を手首の辺りに押し付け、結束バンドを焼き切った。


「……こ、ここがどこか知らないけど施設丸ごとぶっ壊してやる……ッッッ‼」


「八つ当たりにも程がある。ぜひやめてくれ」


「大体お兄ちゃんもふざけてんのか⁉ 街でいきなり襲ってくるとか頭おかしいでしょ!」


「それに関しては済まない。ジュリア君は反抗されると熱くなる悪癖があってな」


「熱くなる前の話をしているんだよ……っ⁉」


 あははと笑っていた黒いパーティースーツを纏う安藤大雅だったが、おそらく地面から飛び出した血管兵器が佳恋の顎を打擲した時にできた傷だろう、ハーフ少女の顎が軽く腫れているのを見て隣の女性に鋭い視線を向けた。


「ジュリア君、佳恋君に怪我はさせない約束だったはずだ」


「げふん、そうだったかしら? この子が思ったよりも厄介だったものでして」


「佳恋君、こちらはジュリア=セピアバーグ君。君が見抜いた通り、身体改造で血管装備を扱う、うちのメンバーだ」


「うちのメンバー? 人を襲うサークルでもやってるの?」


「それについて説明させてくれ。言いたい事はたくさんあるだろうが、俺の顔に免じて今だけは押さえ込んでくれないだろうか」


 ここで着いて行ってしまう辺り、自分は随分と大雅に懐いてしまっているらしい。


 桐谷佳恋、安藤大雅、そして街で襲ってきたジュリア=セピアバーグの三名で電波の遮断された部屋を出る。出た途端、一〇歳の少女は軽くお説教モードに移行した。モノクルに向かって文句を言う。


「フローラ、電波障害くらいで私から離れて行っちゃうなんてガッカリだよ」


『無茶を言わないでください、佳恋様。むしろあの状態でフローラが返事をすれば立派な怪奇現象です』


 そして説教されたついでに、自作AIはこんな風に告白した。


『そもそも佳恋様のお母様からの偽装メールを、第三者による悪意的な工作だと見抜けなかった時点で今回は佳恋様の負けかと』


「ああん? それフローラが見抜いたのはいつなの?」


『もちろんメールが届いたその瞬間ですが』


「ようしフローラ、帰ったらプラグラムコードの書き換えという名のお説教ね? ……いやほんとどうしてその時に報告しなかったの」


『調査が終わるまで余計な口を挟まなくて良いと仰せつかっておりましたので、その通りにいたしました。フローラはご主人様の命令を守れる良い子です、えっへん』


「……、この娘はちょっと駄目かもしれないなあ」


 遠い目になる桐谷佳恋だったが、それでも脳を休ませる事なく室内を観察する。


 まるでワンルームマンションだった。手洗い場に小さなキッチン、最低限のサイズのテーブル……無駄のない空間は、電波を遮断する拘束部屋とは違い、明るいリビングといった印象である。


 佳恋がブレスレットを撫でながら、モノクル越しに周囲を見てある予測を立てる。


「お兄ちゃん、ひょっとしてここって地下?」


「だよ。それにしても嬉しいね、半年ほども会っていなかったのに、まだお兄ちゃん呼びで懐いてくれているとは。俺の弟もそれくらい素直なら良いんだが」


「睦月は定期的に構ってあげないと心の扉がどんどん閉じていく子だからね。私くらい懐いて欲しいのなら毎日三時間は遊んであげないと駄目なんじゃない?」


「がんばってみるよ」


「あら大雅、できもしないくせに無意味な宣言をすると、嘘つきお兄ちゃんとしてこの子からも嫌われてしまうのでございますよ?」


 ジュリア=セピアバーグの横槍に、やや困ったような笑みを見せる安藤大雅。


 緑がかった黒いショートヘアの女子高生が大雅に話しかけるだけで、やや佳恋的にはイラッときているのだが、今は可愛く嫉妬している場合じゃない。


 少女の疑問は尽きないのだ。


「……ここは何なのかしら」


「アジトだよ」


 サラッと言った睦月の実兄は、手にレジ袋を持っていた。


 佳恋が母からのお使いだと信じ込まされて、スーパーで買った卵と鶏肉が入っている例のレジ袋だった。それを持った大雅はキッチンのスペースに足を踏み入れながら、


「二人ともお腹は減ってる? 俺は親子丼以外上手く作れないけど、そんなもので良かったら振る舞うよ」


「お兄ちゃんが作ったものなら何でも食べる」


「わたくしはダイエット中でございますから小盛りで」


「ジュリアさん必要ある? 胸もあるし腰も足も細いんだからだいじょうぶでしょ?」


「ふっ、分かっていませんわね、お嬢ちゃん。女の子は努力を怠ると三日でアザラシみたいになってしまうのでございます」


 彼女の発言から察するに、ひょっとしたらジュリアのお弁当箱は小さな拳二つ分の例のアレかもしれない。


 包丁を持って料理に取り掛かりながら、大雅はさてと一度会話の流れを切った。


 必要な事を話すために、彼も彼で頭を回してこれからの話の構成を整えていく。


「ジュリア君、例の映像を出してくれ」


「ん」


 黒い壁に映像が現れる。


 映像を投影する佳恋の部屋のプロジェクター方式とは異なり、壁に埋め込まれた液晶パネルが映像を映しているようだった。


 薄暗い室内を華やかな格好の少女が駆け抜ける様子が映されていた、それ。


 ビルの中を走り、最終的には大鎌に追い駆けられながらも、それでも窓を突き破り生還を果たした少女の姿……と見覚えどころか身に覚えがあり過ぎる映像に佳恋の手と背中の汗がえらい事になっていた。魔法少女のドレスに搭載された熱射病予防機能を起動して、内側に涼しい風を送る。物で言えば、炎天下の中で肉体労働を行う作業員が身に纏う、送風機付きのジャケットにも似た機能かもしれない。人知れず汗を乾かしていると、包丁を動かしながら大雅が言葉を続ける。


「これは君だろう、佳恋君? また随分な大立ち回りを見せたものだ」


「……まあ、今のこの格好を見られたのなら何の言い訳もできないよね」


「頭が良いとは思っていたが、ついにこんなものを作り出したか。予想以上だよ、俺は素直に驚いている。そしてこれを見たら世界も驚く」


「ニュースではこんな映像は出てなかったよね。朝のテレビじゃ警察は私の素性を摑めていない様子だった」


「俺達が公開を阻止したんだ、感謝してくれよ。君の起こしたトラブルシュートが忙し過ぎて俺とジュリア君は徹夜だよ」


「そして腹ペコでございます」


「ジュリア君、大盛りにする?」


「しねえっつってるでございましょうわたくしを豚にさせたいのか」


 モノクルの奥で佳恋は目を歪める。


 読めない。その頭脳でもっても、まだこの二人の真意を読む事ができない。


「……どうして公開を阻止したの。いいえ、そもそもどうやって⁉ 高校生のお兄ちゃんにどうしてそんな力があるの⁉」


「その質問に答える前に、『現状』について説明させてくれ」


 卵を割って調味料を入れながら味を調えつつ、安藤大雅はそう言った。


「佳恋君、おそらく君は桐谷社の自動運転車、そのライバル企業が君のお父上のPCを狙ったと予測をつけている。違うか?」


「そうだけど」


「でもそれだと少しおかしい。盗まれたパソコンの在り処は君の優秀な秘書が割り出したんだろうが、臨海社は自動車産業なんて扱っていないよ」


「……、それは」


「それは分かっていた、疑問にも思っていた。だけど取り戻すのが先決だったから、この際些細な事は無視した、というところかな」


「どこかの企業が売り飛ばしたのかなとも思ったんだけどね」


「いいや。企業ではないんだ」


「?」


「暗躍部隊」


 壁に映る画面の映像が変わり、佳恋がビルの窓から落下する直前のものが流れる。そこには四人の警備員だけでなく、巨大な得物を持った女が一〇歳の少女に攻撃を仕掛ける様子が記録されていた。


 佳恋が首を傾げると同時、フライパンに油を注ぎながら近所のお兄ちゃんはこう続けた。


「君の家に押し入ったのはまだ下っ端だけど、あの大鎌を持った女。あれが社会の闇の部分、暗躍部隊の人間だ。あれはヤバい、関わっちゃ駄目だぞ佳恋君」


「部隊じゃない、一人だったよ。あの取り巻きみたいな警備員はあの女の仲間って感じじゃなかったもの」


「それでも彼らはあの時だけはチームを組んでいた。下っ端とはいえ邪魔だと思えば平気で切り捨てるんだ、冷酷さに底がないぞ、こいつ」


「……分かった。この人が暗躍部隊ってヤツに所属しているなら、じゃあ何をしているの? ジュリアさんみたいに人を襲うのがお仕事な訳?」


「当たらずとも遠からず、でございます」


 指先をいじくりながら、テーブルに腰掛けたジュリア=セピアバーグはそう断じた。


 半分冗談で言ったつもりが、これ以上なく真面目に返ってきて佳恋の頬が引き攣りかける。


「これはあなたが思っているよりも重大な事態の渦の中にあるのでございますよ、お嬢ちゃん。残念ながらプラスじゃなくてマイナスの方向に傾きつつあるのが哀しいところでございますが」


「なにを……」


「科学戦争」


 いつの間にか卵も鶏肉もフライパンに投入し、ほぼ料理を完成させていた大雅はそう切り出した。


 何か、重要な意味を持たせるかのように一拍の間を空けて。


「技術競争、企業摩擦とも言い換えられるかもしれない。信じられるか、佳恋君。この国の裏側は真っ暗だよ。銃と刀を持っていないだけで、世界の薄皮を一枚めくればドロドロの黒い腹が見えてくる」


「……技術、競争。つまり、パパの技術を狙ったあの強盗みたいな事が日本のあちこちで起こっているっていうの⁉」


「何を言い出すかと思えば、随分と他人行儀な台詞でございます」


「?」


「……佳恋君、君も昨夜その一員に加わってしまったという自覚はあるかい? 他人の目から見れば、君も技術が欲しいがためにビルに不法侵入したお尋ね者だよ」


「なっ……‼」


 目を剥く桐谷佳恋に、あくまで『近所の優しいお兄ちゃん』のポジションをキープしたままの大雅は親子丼を完成させる。


 まるで父親代わり、保護者のような目線から彼は言った。


「大丈夫、安心してくれ。ビルの映像の公開は防いだ。大鎌の女から暗躍部隊へと情報は伝わっているだろうが、逆に言えば佳恋君に目を付けているのは彼らのみだ」


「じゃ、じゃあママに知られるような事はないのね⁉ 絶対に‼」


「ああ、君が一番に心配するような事案は全て予防線を張っておいた」


「……ふー。ありがとう」


「どういたしまして。いつも弟と遊んでもらっているお礼だよ」


 ホッと安堵するのはまだ早い。


 世間の目からは逃れられても、暗躍部隊とやらの問題が宙ぶらりんである。


「……私を危険から遠ざけたかったって訳じゃないよね。だったらブレスレットだけを回収したら良い。これがなければ私は一〇歳のガキでしかなくて、フライパンで殴られるだけで倒れちゃうような子どもなんだから」


「そうだな」


「科学戦争の事も暗躍部隊の件も言う必要はなかった! 映像を見せたのは私に恩を売るためね⁉ 私のミスを徹夜で帳消しにしてやった、世間に知られないで済んだのはお兄ちゃんとジュリアさんのお陰だって分からせるために私を連れてきた!」


「それだけじゃない。……それくらい、君なら予想がついているか」


「……」


 わずかな思考。


 凡人ならば二桁の足し算程度しかできない時間にして、魔法少女のドレスを身に纏う少女はおおよその事態を計算し切っていた。


「私を取り込むつもりなんだね、暗躍部隊に。それもお兄ちゃん達の組織の仲間になれって事でしょう?」


「大正解。ただし、ただの暗躍部隊とは似て非なる」


 ニヤリと笑って、料理をテーブルに置いてから格好良いお兄ちゃんは両手を広げてこう告げた。




「我々はアンチ暗躍部隊『ゴースト』なり。ようこそ天才ハーフ少女・桐谷佳恋君」




「……科学戦争をやってるのに『幽霊』ときたか。私がネーミングし直してあげようか?」


「「それを魔法少女が言う?」」


 半眼で二人からそう言われて、佳恋は全力で目を逸らす運びとなった。


 箸の使い方に慣れていないのか、ジュリアにスプーンを渡しながら大雅はこう続けた。


「見えない、悟らせない、匿名性が高い。これが暗躍部隊を取り締まるためのコツなんだよ。……それにショックだなあ、佳恋君ならこの名前を気に入ってくれると思っていたのに……」


「べっ別に気に入らないとは言ってないよ⁉」


「お嬢ちゃん、気にしなくて良いのでございます。別に大雅が考えた名前でもありませんし、ちょっとあなたを困らせたくて意地悪しただけでございましょう。……それより大雅、七味どこ?」


「ジュリア君、俺は作ってもらった料理に調味料で手を加えるのはどうかと思う。佳恋君が変に影響されたらどうするんだ」


「ジュリアさん最低、お兄ちゃんの料理は多少焦げようが青紫に変色していようがそのまま美味しくいただくのがベストに決まっているのに……ッ‼」


「このアジトには過保護しかいねえのでございますか」


 ジュリアのテーブルの真正面で『佳恋君は昔から良い子だなー』『えへへー』なやり取りをしつつ近所の憧れのお兄ちゃんから頭を撫で回されて幸せそうな佳恋を見て、ジュリアの目が寒々しいものに変わっていく。


 色々あって大変だが、佳恋としては棚から牡丹餅的なこの状況は嬉しくないと言えば嘘となる。そんな訳で大雅から箸を受け取った少女は、料理を堪能する事にした。


「いっただっきまーす!」


「その日本独自の挨拶、割とサボッている人いるのでございます」


 一仕事終えて満足したのか、黒いパーティースーツの青年はマグカップにコーヒーを注いで佳恋とジュリアに向き直る。


 小学四年生の少女にはどこがどう美味しいのか分かりもしない飲み物だったが、一息つく大雅は、料理を味わってはふーうと可愛らしく息を吐く佳恋にこう切り出した。


「じゃあ佳恋君、お仕事の話をしよう」


「はいお兄ちゃん、私はまだ一〇歳です! 労働基準法に引っかかるどころかぶち当たるんだけどどうしよう!」


「残念ながらお金にならないサービス業だ。さらに言えば、俺達も高校生なのに徹夜している時点でアウトだよ」


「うう、わたくしは違法でも良いから給料出して欲しいのでございます……」


「ジュリア君はブランド品の購入を抑えたら多少は財布に余裕ができるんじゃないかな」


「嫌でございます、ライガー=ライガリーの夏の新作がわたくしを待っているう‼」


「さて、高級品中毒者は置いておくとして」


 大雅はコーヒーをもう一口すすってから、


「Bランカーズ。海外の建築物の爆破解体なんかを請け負っている会社な訳だけど、次の標的はここだ」


「……ママの会社の取引先だ」


「その通り。Bランカーズは実行犯ではないんだけど、大鎌の女はこの企業が雇った可能性がある。本当の黒幕というヤツさ。さて、この三名でどう攻略していくかだね」


「……へ?」


 と、ここで佳恋の中で予想だにしなかったレールへと話の流れが変わった気がした。


「待っ、待ってお兄ちゃん。なんかおかしいよ、情報をくれればそれで良いんだよ? なのに今お兄ちゃんとジュリアさんが私と一緒に動くみたいな言い方を……」


「そう言ったんだよ。悪いが君はこの業界では素人過ぎる。下手をすれば今日の朝にはそのコスプレが世界に発信されていたんだよ」


「もう防犯カメラには撮られないようにする。さっき少し閃いたの。ドレス表面を加工して光を屈折させればレンズでは捉え切れないようになる。スマホでPCの画面を撮影するみたいにね。フローラもアップグレードさせて、ある程度のシステムに割り込めるようにさせれば……」


「大人の言う事を聞いてくれ、佳恋君」


 両手を広げて今後の対策を発表しようとする魔法少女の言葉を遮り、パーティースーツの男はマグカップをテーブルに置いた。


「昨夜の一件で大鎌の女を警戒させてしまってる。盗まれたのはあのレヴィア=キリタニの技術だ、『ゴースト』としても失敗したくない案件なんだよ。どこぞの下っ端が君の家に強盗として入ったのかは問題じゃない。今どこにあり、最後に誰が手にしているのかが問題なんだ。分かってくれ」


「……、そう」


 かちゃ、という簡素な音があった。


 佳恋が持っていた箸を器の上に置いたのだ。一気に食欲の失せる話だった。別に少女は一匹狼を気取りたい訳ではない。未知の場所に飛び込むのであれば、頼れる人間が隣にいる方がずっと良いに決まっている。


 ただし、この件に関しては話が違う。


 誰だって持っている譲れないもの。それが佳恋にとっては『これ』なのだ。


「……私は大嫌いなんだ」


「?」


「子ども扱いされるのが、じゃない。自分は大人だから、この子どもは言う事を聞くに決まっているって思い込んでいる年上の人がね!」


「佳恋君」


「変わったね、お兄ちゃん。変わらない人なんていないのかもしれないけどさ。いいや、ひょっとしたらお兄ちゃんから見たら私の方が変わっちゃったのかな」


「参考までに教えてくれないか。……俺はどう変わった?」


「昔はパパと一緒で私を対等に見てくれた。幼稚園児でしかない私の事なんかをお兄ちゃんは優先してくれた。今も変わらず優しいけど、優しいだけだね。メリットとデメリットの計算ばかりしてるように見えるよ」


「あの時とは状況が違うんだ」


「奇遇だね、私もだよ」


 その場から立ち上がる。


 話は終わりだ。知りたい情報も聞く事ができた。


 拘束部屋の方ではなく、もう一方、おそらく出口に繋がっていると思われる扉の方へと佳恋は歩き出す。


「もちろん『ゴースト』が動きたいのなら好きに動けば良い。映像の公開を防いでもらった恩も忘れないし、組織に入れっていうのなら別に構わない。だけどこれは、これだけは私が果たさないといけない責任なんだよ」


「……死ぬかもしれないよ。ビギナーズラックと未熟は別物なんだ」


「もしそうなっても」


 こんな事を言うと、母親に初めて頬をぶたれるかもしれないけれど。


 それでも、一度区切った後、少女は心のままにこう言ったのだ。


「構わない。パパに会いに行ける」


 ガチャリと扉の開く音が響き、ワンルームマンションくらいの空間にいた人数が一人減った。


 ハーフの小学生を見送ったジュリアがお行儀悪く箸の先を口に咥えながら、ふうと鼻から息を吐いた。非常に複雑な顔色のまま、彼女は同僚の青年にこう問いかける。


「力尽くじゃなくて良かったのでございますか」


「これ以上嫌われたら合わせる顔がなくなるよ」


 目を細めつつ、安藤大雅は人差し指で頬を掻いていた。


「パパに会いに行ける、か。……そんな言葉が一〇歳の子どもの口からすぐに出てくるものかな」


「これ、つまりは単純な話でございましょう」


「?」


「彼女をナメ過ぎていた。大人の目線から色々と語ろうが、わたくし達も立派なガキでございましょうに」


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