2-3


「はあ、楽しかったー」


「どうして遊んでいると時間が過ぎるのが早いんだか」


 日が暮れるまでたっぷり遊んでから、桐谷佳恋と安藤睦月は児童館を後にした。


 いつもならば向かい合わせの家まで一緒に帰って、玄関の前でさようならをする運びなのだが、今日は少し事情が違った。


 鞄の中のスマートフォンから音が鳴ったのだ。


「あれ、ママからメールだ」


「着信音で分かるのか?」


「ふふん、というよりママと睦月以外からメールが来る事がないのよ。委員長ちゃんはケータイ持ってないし。今目の前にいる睦月の可能性はないから消去法でね」


「サラッと哀しいな」


 メールを開くと、帰り道に買い物を頼む旨の内容だった。


 それ自体は普通の内容だが、麦わら帽子を被った佳恋は眉をひそめて唇を尖らせてみる。


「卵と鶏肉? ……んー、珍しいねママったら。普段は材料を買い忘れる事なんかないのに」


「佳恋、悪いけど僕はスーパーに寄る時間はないよ。家に帰る時間が一分でも遅れたら親がうるさいし」


「幼稚園児じゃないんだから大丈夫だよ。私は今夜の夕飯の親子丼のためにスーパーに寄って任務を果たす!」


「日も暮れてるし、気を付けてね」


「うん、睦月も。バイバイ」


 スーパーと家への分かれ道で手を振って、幼馴染と分かたれる。


 歩いて一五分のいつも母と来ているスーパーで必要な物を買うついでに、切れかかっていたガムを追加で購入しておく。


 レジ袋を引っ提げて、スーパーから出た佳恋は薄っすらと星の浮かび始めた空を眺める。


「……結構暗いなあ。近道して行こっと」


 大通りではなく、人気の少ない飲み屋街の方を通っていく。まだ陽の落ちた浅い時間帯であれば、小学生に絡んでくる酔っ払いはいないはずである。


 立ち飲み屋や焼き鳥屋など、一〇歳のハーフ少女でも十分に食欲を刺激される薄暗い道を通りながら、佳恋は右手のブレスレットを撫でていた。


 ピンクゴールドのカラーリングが施された、魔法少女のドレスが詰まった、それ。


 使うのは、昨日で終わりだと思っていたのに。


「……」


 かつこつ、かつこつ、と背後から規則的な足音が響いていた。


 桐谷佳恋が歩を速めるとテンポが上がり、逆にゆっくり歩くとやはり背後から響くリズムは遅くなる。


「……まったく」


 その場でピタリと止まる。すると、釣られるように背後の足音も。


 そして、一拍空けて。


 だんっ‼ とアスファルトを蹴ってこちらに駆け出してくる、凶暴な気配へとそれが変化した。


「ドレスアップ」


 音声コマンドに従って、佳恋の花柄のワンピースが内側から弾け飛んだ。麦わら帽子や洋服、靴までもが質量を破壊してブレスレットの中に収納されていく。


 代わりにその華奢な白い体に纏わりついたのは、紙吹雪のような集合体をした金属のドレス。上半身は桃色と銀色、赤色と白色のミニスカートに膝まである純白のブーツ。全身に薔薇のデザインを取り込んだ、そのハイテクな戦闘服。


 長い茶髪を赤いリボンで一本にまとめ、銀色のフレームに薄いピンクがかったレンズが入った片眼鏡が左目を覆う。


 そして、その右手には。


 誰よりも大切な人から贈られた、最高の武器ステッキが握られていた。


「っ‼」


 振り返ると同時、桐谷佳恋は白いオモチャを思い切り背後に振るう。


 顔や正体を知るのは二の次だ。たった一〇歳の少女でも分かるほどの殺気と狂気を放つ、その背後の人間に対処するのが先だった。


 ガギン‼ という耳をつんざく音が飲み屋街いっぱいに炸裂した。


 ステッキを受け止めたのは、腕。細い腕でステッキを受け止めたのは、一六、七歳くらいの女性だった。佳恋の一・五倍ほどの身長を持つそいつは、その腕にうねうねと蠢く管を巻き付けている。蛇のようにも見えるそれに、ぞわぞわとした怖気が佳恋の背筋に走っていく。


「誰、かしら⁉」


「アクセサリーに目がない、ただの女子高生でございまあっす。具体的にはー、その綺麗なブレスレットとか欲しいのでございますがねえ?」


 ミントグリーンの薄い長袖のワイシャツに淡い青のロングスカート。大きな胸を揺らしながら、わずかに緑がかった黒いショートヘアの高校生はこちらに歩を進めてくる。


 もはや彼女に巻き付いている赤の蛇は触手のようだった。片腕に巻き付いていた蛇のような管が腕から離れ、それらがざわざわと無意味に空中をたゆたう。


 いいや、それは腕だけではない。ミントグリーンのワイシャツの襟首、袖……あちこちから赤い触手が飛び出してくる。


 ただのアクセサリー狂の女の犯行とも思えない。おそらく目の前の女性は、これの『価値』を知っている。


「……これは私のものよ。どこに行っても買えないアクセサリーだから欲しがるのは分かるけど、強盗は良くないんじゃないかしら」


「三ヶ月前にも無理矢理奪われたばかりなのでございますから、もう一つくらい奪われたって変わらないでしょう?」


「っ、待って、どこでそれを⁉」


 警察に被害届は出したが、あの情報はテレビでも新聞でも公開されていない。


 桐谷社というブランドを落とさないために、わざとそういう措置を取ったのだ。確かに株価がわずかに落ちたのを知れば、何かしらの推測を立てる事だってできるかもしれない。


 しかし、強盗という結論を導き出すファクターが足りていない。


 つまり。


「あの強盗の仲間か、もしくはその雇い主って線が濃厚そうね……ッ‼」


「おやまあ怖い。ただそこで恐怖の色に染まるのではなく敵意の色が混じるのは好印象でございますが」


「それはどうも。私からすれば好都合よ。こっちは手詰まりだったの、そっちから会いに来てくれるなんてね!」


 外にテーブルのある立ち飲み屋で酒をあおっていた大人達は、何かしらの催しとでも思ったのか、二人の少女に拍手を送ってくる。


 どのように見えているのかは知らないが、佳恋にとってはようやく見つけた蜘蛛の糸だ。


 絶対に逃す訳にはいかない。


 全力で前へ突進を試みる佳恋だったが、


「うーん、このままおしゃべりしながらでも良いのでございますが」


「?」


「わたくし、子どものお遊びに付き合うほどガキではないのでございます」


 モノクルを介して、視界内に警告アイコンが浮上する。


 斜め右上に注意。


 それは、鞭のようにしなる赤い触手だった。その先端の時速は二〇〇キロにも届く。


「っ‼」


 ほぼ反射的に白いステッキを掲げて、地面に触れたブーツの靴底から昼間の陽射しを溜め込んだアスファルトの熱をエネルギーの源にして、到来してきた触手に向けて放射する。五〇〇度ほどの熱風が触手を焼き、佳恋自身も横に跳んでギリギリのところで事なきを得る。


 女の体から、うねるように飛び出している触手。その千切れた赤い蛇の切断面から、ドロドロと赤黒い液体がこぼれ出していたのだ。


「な、なに、あれ……?」


 モノクルのディスプレイの中では、女の心拍数がやや上昇しているというデータが表示されるが、その異質が過ぎる様子に佳恋の目が大きく見開かれる。


 ボゴ‼ という音が下から炸裂した。


 慌てて佳恋が視線を音源へと向けてみると、ミントグリーンのワイシャツの少女の足元をまるで掘削機か何かのように触手が抉っていた。


「二度も言わせないでください。遊ぶ気はないのでございます、『回収』だけが目的ですから」


 直後に佳恋の足元にも異変が起きた。


 アスファルトを砕き、芽吹く。地面を潜ってすぐ側まで接近してきていた触手が下から突き上げ、魔法少女の顎を勢い良く打ち抜いた。

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