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 三ヶ月後。


     2


 夏休みの初日。


 決行は深夜だった。


 父の部屋から拝借したインカムを耳につけた桐谷佳恋は、自室のベランダから高いビル群を眺めていた。


 抜け出した事が母にバレたら即説教、警察に見つかれば瞬時に補導、という厳しい条件付きではあるが、どうしても今日中に何とかしないといけない案件があるのだから仕方がない。


「フローラ。条件を確認するね」


『ええ佳恋様』


「三ヶ月前、家に強盗に入ったのは臨海グループに雇われた人間と思われるけど、詳細は不明。だけど拾ったパパのパソコンの位置情報から、盗まれたデータは臨海社にあるはず」


『そしてお父様のノートパソコンには厳しいセキュリティが敷かれています。しかしそれも永遠には保ちません。フローラの計算ではこの一週間が勝負です』


 そう、つまり。


 こんな時間に佳恋が夜空の下に身を躍らせている理由とは。


「技術を盗まれる前に盗み返す」


『佳恋様。ブレスレットに収納されたドレスマターは十分なデータが取れていません。強度シミュレーションだけではなく、何度か実用テストを重ねるべきなのですが』


「そんな事してる時間がないよ、ぶっつけ本番で行く。フォローしてよね」


『いつでも承ります』


 右手首に着けたピンクゴールドのブレスレットに触れる。


 音声コマンドを入力する。


「ドレスアップ」


 直後、小さくまとめられていた金属の輪っかが質量保存の法則を壊し、そこから飛び出した物体が全身に纏わりつく。『着替え』には必要のないノースリーブのシャツやホットパンツは内側から弾け飛び、代わりにブレスレットの中に収納されていく。


 赤と白のミニスカート、膝まである純白のブーツに、肘まである手袋。ピンクに銀色を織り交ぜた上半身のドレスは、所々に薔薇の意匠を取り入れてある。魔法少女に恋する乙女・桐谷佳恋渾身の傑作であった。さらに長い茶髪が邪魔にならないよう、金属質な赤のリボンでポニーテールにまとめられる。


 インカムから簡素な女性の人工音声が響いてくる。


『ドレス展開完了』


「ようし、オールグリーン」


『ドレスのスペックを確認しますか?』


「面倒臭い」


『佳恋様は取扱説明書には目を通さずにゴミ箱に捨てる方ですね』


 赤と白を基調にしたドレスは金属製、薄い紙吹雪くらいの鉄板が何枚も体に張り付いているようなイメージだ。夏以外では許されない薄着だったが、ブレスレットが壊れない限りこのドレス状態は永遠に維持できるので風で引き剥がされて真っ裸になる危険はない。


 そして前に一歩踏み出した佳恋はうっと顔をしかめた。


「あ、歩きづらい……」


『一応金属が全身にまとわりついている状態ですからね。関節部分のドレス質量を低く調整します。そのまま適当に歩いてください』


「その辺は任せるよ。臨海社までの距離は?」


『直線距離にして一二キロです』


「了解、飛ぼう」


 ここは家のベランダだ。


 落下防止用の柵を乗り越えれば、地面がなくなり重力に捕まって下に落ちていく。しかし、足場のない場所へと向かっても、一〇歳のハーフ少女が地面に激突する事はなかった。


 ふわりと。


 上に引き上げられるかのように、桐谷佳恋の華奢な体が浮上したのだ。


「ホントに浮いたーっっっ⁉」


『心拍数とテンションが上がってしまうのは仕方がありませんが、体勢だけはきちんと保ってください』


「はふ、ふぁうはふ‼ ひゅめがかなっひゃあ‼」


『フローラにも分かる言語でお願いします。それはイエスですかノーですか』


「魔法少女フローラちゃんみたいに美しく飛べるのならイエスに決まってるわ‼」


『おや、フローラのネーミングの由来はそんな所からだったのですか』


「今パパと同じくらい大好きな私のフローラちゃんをそんな所呼ばわりしたわね、この馬鹿秘書‼」


 謎のステッキの力で飛んでいるテレビ画面の中の魔法少女とは違い、理論ありきで浮遊しなければならないのが現実だ。


 佳恋の纏う赤白銀桃色のドレスは、よく見ると周囲に蜃気楼のようなものが出ていた。熱い空気が下に出力され、それが上へと押し上げているのだ。即ち、金属のスカートを気球の要領で扱っている訳である。


「……火傷するんじゃないかってヒヤヒヤしていたけど大丈夫だったね」


『体温と周囲の熱を取り込み、数百倍にして出力していますが不安定です。フローラの提案した通り、ドレスマターのデザインに翼を追加する事を強く推奨します』


「魔法少女に翼なんかついてたまるかあ‼」


『佳恋様は何に必死なのでしょう?』


 熱エネルギー保存の法則をメチャクチャに壊しながら、ドレスから熱風を噴き出しての飛行。前述の通り気球と何ら変わらない原理だが、一〇歳の体重しかない佳恋だからこそ可能な芸当でもあった。


 まだ慣れていない空中をふらふらと飛びながら、臨海社へと向かう。


 渋滞ばかりの道とは異なり、空中を滑空しながらだと辿り着く時間も短縮できる。最終的に佳恋が再び足を着けたのは高い建物の屋上だった。


「フローラ、モノクル展開」


『了解』


 鈴のような金属音が響き、着けていたインカムがブレスレットに収納される。ポニーテールを結んでいた赤いリボンから銀色の片眼鏡が飛び出し左目を覆う。薄いピンク色のカラーレンズには、臨海社に侵入するためのガイドラインがAR方式で表示されていた。


 モノクルは顔を隠し骨伝導で音声を受け取るためのものだ。さらにハンドメイド品である、ドレスマター入りのブレスレットを管理するセカンドデバイスでもある。


「目標の回数は二五階だったはずよね」


『ええ佳恋様。一八階ほど降下する必要があります』


「外側から窓をぶち破って入ったらダメな訳?」


『ダメかダメではないかで言えば絶対にダメですが、理由としましては騒ぎを起こすと警備員が来てしまいますよ』


「そのためにこのドレス作ったんじゃない。魔法少女にはバトルが付き物なんだし、警備員くらいならドンと来なさいっての」


『危険です』


「シミュレーションじゃ頭さえ打たなければ三〇階から落ちても耐えられるドレスじゃなかったかしら。金属製なんだし老いた警備員なら平気だと思うの」


『佳恋様、先ほどから念願の魔法少女になったせいか、お口が過ぎます。ミス萌花が聞けば泣き出してしまいますよ』


 ロックされた扉の前に向かう。


 質量を操作できるのだから、ドアを小さくすれば簡単に解決☆ ともいかない。父の残した数式は、スマートフォンのような精密機器に落とし込まなければその成果を発揮しない。つまり食べ物をそのまま大きくしたり、サイズの合わない服を小さくしたり、なんて風には使えない。


 だからこそ、この三ヶ月間、母に隠れてコソコソとブレスレット型のデバイスを作っていた訳だが……。


「くっそう、アナログ錠だね……。デジタル錠ならフローラが解除できたのに」


『どうなさいますか? スペック上ではドレスマターを纏っている状態であれば扉の破壊は可能ですが、先ほども申しました通り破損の音に反応して警備員が来る可能性があります』


「ステッキを放出」


『了解』


 ガジャン‼ というブレスレットからさらに金属が飛び出す音が屋上いっぱいに炸裂した。


 出てきたのは、先端に星型の飾りをつけたプラスチックのオモチャのステッキ。ずっとずっとオモチャ箱で眠っていたものを引っ張り出し、ドレスマターを纏わせて強度を高めたもの。


 これは数年前にテレビで大ヒットした、アニメ番組の魔法少女のコスプレグッズであり。


 そして。


 父から最後にプレゼントされた贈り物だ。


『佳恋様。オーダーをどうぞ』


「ドレスマターに溜まった熱を四五~五〇倍に増加させて一五〇〇~二〇〇〇度の炎を放出。燃料もない、私の体温だけが頼りだけど熱エネルギーの法則を壊せるドレスマターならできるはずだよ」


『ええ佳恋様。そのためにドレスマターを大量に搭載したステッキを製作したのです。問題はないと思われます』


 頷いた桐谷佳恋は改造したステッキを施錠部分に押し当てて、


「フローラ、火傷させないでね」


『お任せください、佳恋様』


「ライターっていうより、ほら、なんていうの? パパとバーベキューに行った時に使ったヤツ」


『ガスバーナーのように杖の先端から出力します。佳恋様の体温が元ですので、体調が悪くなればすぐに言ってください』


「別に私の体温を吸い取るって訳じゃないんだから大丈夫だよ」


 しばらく杖からバーナーの炎を出力して、施錠部分とドアノブが真っ赤になるまでステッキを押し付け続ける。


「ようし、次は冷やそう」


『了解』


 一転、ガスバーナーの炎から冷たい氷の粒子へと変わる。ステッキの先端からスプレーのように放出される。当然、これもステッキにあらかじめプログラムされているからこそできる事だ。決してこのブレスレットに万能物質が詰め込まれている訳ではない。


 熱して、冷やす。この工程を五回ほど繰り返すと金属部分がボロボロに破断して、すんなりと扉が開く。


 警報に警戒して、二〇秒ほどその場で留まってみるが、それらしい騒ぎは何もない。


 視界に表示されるガイドラインに従って、非常階段の方へと向かう。これほどの高層ビルであればエレベーターを使いたくて仕方がないというのに、一八階分もの下り階段は途方もない道のりに見える。


「マジか」


『ファイトです』


「疲れちゃうよ馬鹿」


注意コーション。全体的に警戒心が足りていないと警告させていただきます』


 一度大きくため息をついてから、父のパソコンが眠っているはずの二五階を目指す。


 ピンクのカラーレンズが入ったモノクルを暗視モードに切り替えてから、明かりの点いていない階段を下りる。


 幼馴染の安藤睦月よりも体力のない佳恋だ。開始一〇分、八階分を下りて残り一〇階を残したところでくたばった。


「ぜえ、ぜえ、はあ、はあ……ッ!」


『上りではなく下りだというのにそこまでになりますか』


「もう良い、飛ぶ……ッ‼」


『了解』


 再び蜃気楼を体の周りに発生させながら、気球の要領で体を浮かす。


 そのまま螺旋を描くように非常階段を順調に下りていく。たった三分で二五階に辿り着いた佳恋は、ふんと鼻から息を吐いて全く膨らみのない胸を張っていた。


「そうよ、魔法少女なうなんだから存分にこの力を使わないと」


『無駄遣いです』


 初めての事だらけだった。コスプレしながら深夜の空中移動に不法侵入。


 割と心臓はバクバクだが、フローラがいるのはかなり安心要素となっていた。


 話し相手もいるし、ドレスに何か異変があっても即報告、しかも臨海社のシステムを監視しているため警備員がどこに配置されているかも漠然とではあるが把握できている。


 つまり、ガイドラインに従えば、簡単に目的に辿り着く。


 薄っすらと白い光で照らし出されたそこは、あるいは秘密の隠し場所としては歪だったのかもしれない。


『佳恋様、そのガラス張りの部屋です。中央にあるデスクトップ型PCが目的のものだと思われます』


「……間違いないね」


 見間違える訳がなかった。外側から見ただけで、それが父の遺産だと確信した。


 機械に詳しい佳恋は不用意にガラスの壁に触れたりはしない。むしろ天井や床に注目して、センサーの出力装置がついていないか注意深く観察する。


「フローラ。これ壊しても大丈夫かしら」


『ええ佳恋様。壊しても警報が鳴る事はありませんが、ガラスが割れる音で警備員が来る可能性はあります』


「……どうせいつかは露見するんだ。さっさとPCを拝借して行こう」


『薄型とはいえ、佳恋様の筋力では重たいはずですが』


「拝借の意味にも色々あるんだよ、フローラちゃん」


 前述の通り、質量保存の法則だけではなく、熱量などのエネルギーを操作する事ができるドレスマターの手をガラスに押し当てる。熱エネルギーを壊して炎や氷を出すのは、ステッキの力が必須となってくるが、身に纏っているドレスだからこそできる事もあるのだ。


 やる事は一つ。


 なるべく高音で。できるだけ適度な音量で。


 歌う。


『割ります』


 ピシィ‼ という音と共に佳恋の身長よりも背の高い透明なガラスが砕け散った。まるでワイングラスを割るオペラ歌手のように、音エネルギーを適切に出力した結果だ。


「ひゃうっ」


『どうして佳恋様が驚かれているのです?』


「に、人間っていうのは不思議な生き物なの。結果を予想できていても本当にガラスが割れたらビックリしちゃうものなのよ」


『失礼、フローラには分かりかねます』


「喜怒哀楽まで理解し始めたらそれはそれで怖いよ」


 ガラスを踏みつけながらPCに向かい、電源のスイッチを押す。端の接続部分に金属ドレスのポケットから取り出したUSBメモリを突き刺して秘書に向かって言う。


「フローラ、情報を抽出して。終わったらパソコンは壊すよ」


『よろしいのですか? お父様の遺品であり遺産です』


「どうせパソコンを奪っても、また強盗に狙われちゃうよ。それじゃ堂々巡りになる。家の中、それもママの前でドレスを身に纏う訳にもいかないでしょ」


『では』


 フローラには父の作ったソフトウェアの一部が組み込まれている。


 腕利きのエンジニアでも苦戦したセキュリティシステムでも、父のものであればフローラは侵入できる。なぜならフローラ自体が父の作ったプログラムだからだ。


「フローラ。終わったら報告ね」


『心得ております、佳恋様』


「おっ、書類発見」


 盗まれた書類の束を見つけたが、こちらは暗号化されていた。


 その上、佳恋の父の手書きの文字だったので、おそらく見られても問題はない。PCの中身と照合すれば、価値ある情報として扱えるかもしれないが、これ単体では大した事はないだろう。


「フローラ、念のため撮影しておいて」


『モノクルは常に情報を記録しています。すでに記録は完了』


「じゃあ燃やそう。スプリンクラーや煙感知器は?」


『この部屋の中にはありません。あまり多く煙を焚かなければ、人が来る心配もないでしょう』


 再びステッキからライターのような火を出力させて、十数枚にも及ぶ紙を燃焼させていく。


 一仕事終えると、佳恋は燃え屑をヒールで軽くつついて修復が不可能なレベルまでボロボロにする。


「……さて」


 視界内に表示されていたAR方式のディスプレイを視線だけで操作して、モノクルを赤いリボンの中に引っ込める。代わりにブレスレットからインカムが出力されて耳に装着される。


 体育館の半分ほどもあるガラス張りの部屋の中には、ざっと見て一〇〇を超える精密機械の数々が転がっていた。


注意コーション。不法侵入している最中に匿名性を高める変装用モノクルを外す事は推奨できません』


「この部屋に防犯カメラはないからだいじょうぶ、人が来たらすぐに着けるよ。……それよりフローラ、これ全部が盗品って可能性はあるのかしら」


『どうでしょう。中に眠っている全てのデータを覗けばその辺りの真偽はハッキリするでしょうが、今は何とも言えません』


「……今夜は他の技術はどうでも良いわね。パパのデータだけ奪ってさっさと逃げ……」


警報アラート。佳恋様、警備員が規定ルートを外れて巡回を開始したのを防犯カメラから察知しました。数は五名』


「モノクルを」


『了解』


 再びインカムが引っ込み、ポニテを結う赤いリボンから左目を覆うモノクルが飛び出す。


 シルバーのフレームに埋め込まれたピンクのカラーレンズにデータが表示される。USBにPCの中身がコピーされるまでの残りの秒数は四〇秒。


「ピンチかな? 警備員がこっちに来るまでの時間は?」


『残り三〇秒です』


「……交戦も覚悟で行こう」


『了解』


 覚悟はしていたつもりだった。ただ忍び込むだけなら、飛行が可能なドレスと扉を破壊できる工具でも持って来れば良いのだ。


 交戦となれば、手に握ったわずか二〇〇グラムのオモチャに嫌でも意識がいく。


「フローラ。ステッキのスペックをアナウンス」


『ええ佳恋様。薄い服装程度の質量でもバーナーや冷却ガスを出す事は可能ですが、杖や傘のような棒状のものを介せばさらにその自由度は上がります。この辺りは、フィルターを何枚も通した水がより純度を増す水質濾過装置を思い浮かべていただければ分かりやすいでしょう。エネルギーを増加させるも減少させるも、長くデバイスを通した方が良いという訳ですね。強度を補強するために表面と内部を改造し、九〇%以上がドレスマターで構成されていますが、耐久テストでは鉄パイプ程度の硬さとなります』


「……やっぱり説明書は良いや。つまりこれがあればシミュレーション通り『あれ』ができるんだよね?」


『ええ佳恋様。フローラが確約いたします』


 ドタドタという足音が遠くから聞こえてきた。


 都合五人分の足音らしいが、一〇歳の佳恋にとっては軍隊が接近してくるかのような圧迫感に襲われる。


「だいじょうぶ、私はだいじょうぶよ……」


『心拍数上昇中。佳恋様、発見される前に逃亡するという手もありますが』


「今夜成功させないと警備が厳しくなる可能性が高い。そんな事はできない!」


 幼稚園児や小学生が持つと似合いそうな白いステッキを構える。


 たった一〇秒で良い。


 ほんの少しだけ警備員を足止めすれば、USBメモリを摑んで全力で脱出ルートを駆け抜ければ良い。


「やろう、フローラ」


『お力添えいたします、佳恋様』

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