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「クレイジーだとは思っていたけど、まさかここまでとはね。流石はパパ……」


 褒めるような言葉とは裏腹に、桐谷佳恋は自分の部屋の勉強机に肘をつきながら頭をグシャグシャに掻く。


 一応、いつ消えるのか分からない立体映像から白いノートに書き起こしてはみたが、実際に手を動かして数式を書いてみるとちょっと今をトキメク小学生・乙女な佳恋ちゃんは泣きそうになっていた。


 素直な感想はこうだ。


 何だこれ。

 頭おかしい。


 本当に中学生や高校生で習う物理の授業内容を根底から覆している。天才だという事は知っていたが、ここまでぶっ飛んでいると流石にドン引きする。


 ただし、だ。


 これをくだらないと切り捨てないからこそ、この少女もまた父の遺伝子を引き継いでいると言えるのだが。


「……この数式で何をさせようとしたの?」


 いいや、大切なのは。


 誰をどんな風に守りたいのか、だ。


 自分は大人びているように見えて子どもらしい。なるほど、確かに父の見立ては間違っていないようだ。


 こんな突拍子もない、子ども臭いアイディアが頭に浮かんでいる時点で、もはや自分はクソガキ以外の何者でもない。


「構うもんか……」


 大好きな人が認めてくれた。


 自分の本質をそれで良いと無条件で認めて、それを丸ごと包み込んでこんなイカれた数式を残してくれた人がいる。


「……で……、って、やる」


 自室のノートパソコンを起動させて、マウスとキーパッドに手を掛ける。


 自分の体の芯が燃えるように動き出すのを感じる。


 打ちのめされて、凹まされて、落ち込むのはここまでだ。炎のように熱い視線でもって、ノートと白い壁に映し出されたPC画面を睨みつけながら、彼女はこんな風に宣言した。



「科学で魔法を作ってやる……ッッッ‼」



 壁に投影された画面に齧りつく。


 桐谷社のシミュレーションソフトを立ち上げ、例の数式を入力する。特殊な物理法則が働く世界と仮定して、何ができるのかをシミュレートする空間を成立させる。ただし、何が必要で何が要らないのか、すでに佳恋の頭の中ではハッキリしていた。


「何も重力が消えたり指を鳴らしたりすれば人の命を奪えるようなものじゃない……。壊せるのは質量保存の法則と熱エネルギー保存の法則か」


 呟きながら、一人の人間のアバターを表示させる。


 そいつに服を纏わせながら、佳恋はふむと息を吐く。


「ゴムは劣化しちゃう、プラスチックは耐久性がない、『あれ』を忠実に再現するのなら布がベストなんだろうけどそれじゃあ普通の服と変わらないよね……」


 残る材質は金属だ。


 質量保存が壊れる数式。


 これがあれば、一が一〇にもなるし一〇〇が〇にもなる。漠然とした概念的な話ではない。想像してみて欲しい。パチンコ玉の質量が突然一〇〇〇倍になれば、建物を破壊できる鉄球へと変化を遂げる。大きな人間にこの数式を使えば、非力な小さな人間になる。


 と、そこまで思考したところで、手元のキーパッドからエラー音が鳴った。


 入力した数値が間違っていたのだ。


 いいや、というよりも、入力する『対象』が間違っていたと表現した方が正しいか。


「……生物には使えないんだ。やっぱりデバイスにして実用性を上げないと使い道はないって訳ね」


 トライアンドエラーを繰り返す。


 まずは質量保存の法則からだ。金属をどう収納して、どのように膨張・展開させるのか。下手をすれば自らの身を切り刻まれてしまう可能性だってある危険な行為だったが、今の佳恋に迷いはなかった。


 これは人を守れる技術だ。


 絶対に上手く使ってみせる。


「……そうか、装飾品に見せかけたデバイスにすれば持ち運ばなくて良いんだ」


 ネックレスにブレスレットにピアス……は一〇歳にして耳に穴を開けると母が卒倒すると思われるので、せめてイヤリングに留めておくべきだろう。


 そして再びエラー音が響く。


「セレナ、問題を報告。どうしてエラー判定されたの?」


『申し訳ありません、私では処理し切れません。専用の人員を雇う事を推奨します』


「……セレナじゃアナウンスし切れないか。家事をするのが関の山ね、まあそれが仕事なんだし仕方ないけど」


 ノートパソコンを何度も見直してみるが、プログラムにミスは見当たらない。桐谷社のエンジニアにシミュレート結果を見せれば、ひょっとしたら力になってくれるかもしれないが、正直気は進まなかった。


 母親は思い至ってはいないようだったが、あの二人の女が桐谷社からの差し金だった可能性だって十分にあるのだ。いくらCEOだといっても、彼女の知らないところで別の勢力が動いていて今回の事件を企てた、なんて事もあり得ないとは言い切れない。


 優秀な監督が必要だった。


 一旦壁に投影された画面の中のソフトを切り替えて、ポケットに入っていたスマートフォンとPCを繋ぐ。そしてベッドサイドに置いてあった小さなIoTのランプとも接続する。そこからセレナの情報を抽出して、家具の管理AIのプログラムを抽出する。


 小腹が空いたのを誤魔化すために、テーブルの端に置かれていたガムを手に取り、一枚引き抜いて口に放り込みつつ。


「家具とスマホの管理AIを接続すれば、秘書としての役割は十分に果たせるはず……」


 スーパーコンピューター並みの演算が必要であれば、桐谷社にあるメインコンピューターの演算領域を借りれば事足りる。セレナの家具の操作性、さらにスマホの会話性能があればシミュレーションのどこが間違っているのかを診断できる。はずだ。


 天才だった父ならば、一からそれ専用のAIでも作ってしまえるかもしれないが、流石に人の手も時間も足りない。


「セレナ、設定が完了したなら教えてね」


『……』


「セレナ?」


 何の返答もなかったので、AIの融合に失敗したと確信した。額をテーブルに叩きつけて、ちょっと寿司かピザでも注文してヤケ食いしてやろうかと思う。


 一応、見直してみてもそれらしいミスは見当たらない。つーかやっぱり小学生には無理だったのではないか。天才少女でもしっかり限界はあるし。


 そんな風に思っていた佳恋だったが、ふと思い出した事があった。


「あれ……?」


 ミスは見当たらない。


 であれば、前提条件が間違っている。つまり、AIの『設定』の部分が上手くいっていないだけだとしたら。


「セレナとスマホのプログラムが融合しているとしたら、もうそれはセレナじゃ、ない、のかも」


 人工知能を調整する設定画面を表示してみると、まるで彼または彼女は生まれたての赤ん坊だった。


 有り体に言おう。


 名前がないのだ。そこにあったのは、間違いなくまっさらで新しい人工的な知能だった。


 生んだのは佳恋だ。であれば、母親の彼女が命名するのが筋だろう。


「……、これ以外、あり得ないよね」


 名前はすぐに決まった。


 キーパッドに指を躍らせて、何の迷いもなく名前の欄にこう入力した。



「フローラ。これからよろしくね」


『ええ佳恋様。ご命令をどうぞ』



 聞こえてきた声は、セレナの人工音声でもスマホの管理AIの声色でもなかった。完全に新しい人工的な音声。音声ソフトの設定、呼び方の設定……名前を呼んだだけでは完了しないはずのプリセットがすでに完成されている。


 ただのプログラムのインストールでこんな事が起きる訳がない。


「パパね。……まったく、あといくつサプライズを仕込んでいるんだか」


 彼の作り上げたセレナに他のAIをインストールすれば、全く別の顔をしたAIに化けるようプログラムされていたと見るべきか。ソフトウェアを全て紐解けば、きっと父の真意は明らかになるだろう。


 だが、あえて佳恋はそうしなかった。父を信じる。完璧な科学のマジシャンを前に、そのタネと仕掛けを暴くなど、そんな無粋な真似はしない。


「フローラ、問題を報告。エラーの原因が分からないの」


『金属の質量を変化させる場合、他の物質に比べて熱エネルギーが発生します。対策を用意しなければ発生した熱により佳恋様がお怪我をなさってしまいます。それがイヤリングなど小さな物であれば、その熱はさらに大きくなるかと』


「ああ、安全機能が働いたのね。パパがよく安全装置は大切だって言ってたっけ……」


 佳恋には父の残した数式がある。


 質量保存の法則を壊す数式があるのであれば、少々手を加えればこんな事にだって手が届く。


「熱エネルギー保存の法則も壊れてたよね、フローラ。それを使えば問題は解決だよ。今から言うコンセプトに沿って金属量と熱量を調整して。私は必要な装備を整えて使えそうな物をピックアップするから」


『了解です佳恋様。しかし、ただ金属が一枚張り付いている状態では、それは中世の鎧と変わりません。より動きやすいものを実現するのであれば軽量化が必要です』


「だいじょうぶ、ワンピースくらいの布面積になると思う」


 すでに少女の中では、明確なビジョンが決められているようだった。


 当然、金属板を体に張り付けるだけでは佳恋の理想は実現しない。机上の空論を現実にするためには、この数式を発揮できる回路基板や出力装置を組み込んだ上でアクセサリーに収納しなければならない。


 そこから延々とアイディアを出し、コンセプトをまとめ上げていく。


「……大体、こんな感じで良いかな。フローラ、一旦データを保存しておいて」


『ええ佳恋様』


 と唐突に、ポン、という電子音が鳴った。


 エラー報告でもバグでもない。よく見れば、画面の中に一輪の花が躍っていた。3Dモデリングされたそれは、ダンスでもするかのように楽しそうにクルクルと回っていたのだ。


「なにこれ?」


『お父様からの贈り物です。当数式を使用したデータを保存した場合、ロックが解除されて表示されるようプログラムされていました』


「また天国からお出ましね。まったく、これ以上はもう十分なのに」


 そして一輪の花をクリックしたところで物凄いものが表示された。


 数式を使用した完璧な『それ』が表示された。そう、今の今まで桐谷佳恋が必死こいて製作していた『それ』が、すでに完成された状態で映し出されたのだ。


 そしてメッセージが一つ。



驚いたサプライズド?』



 つまり。


「……今までの工程、ほどんとが無駄だった訳⁉ 何だパパの野郎、一度睦月のヤツを彼氏だって言って連れてきてやろうか‼」


『おそらくガチ泣きされると思われます。それに全てが無駄という訳ではありません。こちらのデータは一五歳の佳恋様に向けたものとなっていますので、ご自身の手でカスタムする必要があります』


「く、くそう、微調整なんて数日あれば終わっちゃうよありがとう馬鹿パパ……ッ‼」


『製作期間は四~五ヶ月の時間を要します。ガレージで作るにしても、様々な部品が必要となりますのでホームセンターに通わなければなりません』


「通販も利用すればもっとスムーズにいくはずだよ。フローラ、全世界のあらゆる通販サイトから欲しい部品があるかをピックアップして。私は微調整をして……それと、ちょっと思いついた事があるから小さい頃のオモチャ箱をひっくり返してくる」


『了解しましたが、しかしよろしいのですか?』


「何が?」


『もう朝ですが。眠らないと学校の授業がキツいですよ』


「はァあ⁉」


 慌てて窓の方を見ると、確かにカーテンの端から朝陽が差し込んでいた。


 どうやら夢中になっていたらしい。


「……徹夜なんて初めてやった。ママに怒られちゃう……ッ‼」


『まだミス萌花が帰ってくるまで二時間ほどあります。おやすみください』


「はあい。アラーム掛けておいてね、フローラ」


『それと一つお聞きしたいのですが、佳恋様は一体何をお作りになろうとしているのですか?』


「うん? まだ教えてなかったんだっけ」


 たった一言で大抵の人間がイメージできるにも拘らず、完全に空想として扱われる、それ。


 だけど、小さい頃に憧れた大好きなあの姿。


 優しく笑んで、桐谷佳恋はこう告げた。


「魔法少女。あれに変身するのずっと夢だったんだ」


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