エピローグ:■■のある人生

 本当に体が限界でうんぬん。

 街に墜とさないのが精一杯でかんぬん。

 相手が強すぎたのだから勝っただけで許してどうのこうの。


 つらつらと並べた申し開きを、全部『うるせえ』の一言で切り捨てられた薊は、しょんぼりして、その勢いでぶっ倒れた。

 いっぺん心臓潰れたのだから当たり前である。

 霞と桂湖も、『人』の字でようよう歩ける有様。

 伸夫は、なんとか骨を並べ直しただけの手で、薊を背負って帰る羽目になった。


 乳袋の感触を楽しむ余裕などない。

 最悪なことに、近くに置いておいた補給食が、暁の大暴れで消し飛んでいた。

 怒りも悲しみも麻痺するほどの疲労感。

 誰だ街から離れようって言ったの。

 全員だよ。


 時刻は深夜。

 とにかく歩くしかない。

 襲いかかる虫。

 すれ違う警察。

 貧血のまま延々歩いた桂湖は、途中で一回吐いた。

 ほとんど胃液だけだが、水もない。

 タクシーが通り掛からなかったら、冗談抜きで動けなくなっていたかもしれなかった。


 それからがまたひどかった。

 変装も隠身もできない、半剥けエロ忍者。

 血まみれになる車内。

 エチケット袋に吐く桂湖。

 病院での言い訳。

 家に置いてきた保険証。

 再びのタクシー騒動。

 足りない現金。

 おまけに二日連続サボりでブッツン切れてる妹。


 最後のやつが本物の地獄だった。

 霞でさえ、丸め込むのに二時間かかった。

 誰ひとり、なにをどうやって寝たのか記憶にない。

 起きたやつが最低限食えるだけの飯を作り、断続的に食っては寝て、起きては食って、一回買い出しに行って、ひたすら栄養と休息をむさぼり――


 都合四日目、日曜日の昼になって、ようやく全員がゾンビ状態から脱却した。



◇◇◇



「ほい、あーん」

「んあ」


 水玉パジャマの桂湖が、ジャージ姿の伸夫の口へ、野菜スティックを突っ込む。

 自分でも人参を咥えた。

 ソファに並んで、ぽりぽりと野菜を齧る。


 なにが悲しゅうておやつに生野菜を食わねばならんのかと思うが、仕方ない。

 二人とも、極度の飢餓状態に陥ったせいで、まだスナック菓子なんぞを食う胃腸の余裕はないのだ。


「ほい」

「んあ」


 ぽりぽりと生野菜を齧る。

 リビングのテレビで、アニメのエンドロールが流れた。


「……うち、なんでこれ買ったんだっけ」

「改変ポイント確認っつってなかったか」

「あー、そんなだったかも。……努力賞、て感じ」

「素直につまんねえっつえよ」

「原作のクソさと、アニメスタッフの努力は別だもん」


 溜息をついて、桂湖はプレイヤーを停止した。

 薊たちが、洗い物と洗濯をする音が聞こえる。

 平和だった。


「なーんも起こんないねー」

「だな」


 暁との戦いからこっち、『死の呪い』は発動していない。

 よって魔族組は、単なるお手伝いさんと化している。


「霞たち、さー。帰れないんだよねー」

「らしいな」


 勇者二人の転生と引き換えなら、戦力的には大幅に得なのだろう。

 だがそれと、異世界に置き去りの境遇とは別の問題だ。

 憂き世に居残りの境遇とも。


「はー。生き延びてみても、大してイイことがあるわけでもなし、かー」

「わかってたことじゃねえか、そんなの」

「まーねー。そーだけどさー、やっぱそーなんだよねー」


 桂湖がぐーっと伸びをする。

 やっぱり胸はつるんぺたんだ。

 しこたま血を抜かれて、痩せたくらいかもしれない。

 極度の疲労とストレスで、隈も肌荒れもできている。

 眼鏡も、卸した初日でだいぶ傷が入ってしまった。


 それでも伸夫には、なんだか桂湖が可愛く見えた。


「ん?」


 桂湖が目を合わせてくる。

 気付けば、けっこうじっくり見詰めてしまっていた。

 ふっと桂湖が目を逸らす。

 それから、ギプスで固められた手に、自分の手をそっと重ねた。


「この手、さ」

「あん?」

「治ったらさ……どうしたい?」

「どうもこうも……」


 とりあえず、久々に一人でゆっくり風呂に入りたいというのはあるが。

 そういう話でもないだろう。


 桂湖が、さりげなく身を寄せてくる。

 ちょっと硬い。

 だが、温かい。


 一歩踏み込めば、関係せかいが変わる。


 ――その時だった。


「なんッ……だ、この音」

「――ひええええッ?!」


 空気を轟かすローター音。


 

 

 かのように。


 窓の外に、ヘリコプターが迫っていた。


「伏せてくださいッ!」

「おおおおおッ!」


 ローターが窓ガラスを叩き割る。

 機体がベランダを突き破る。

 咄嗟に桂湖を抱えて床へダイブ。

 無理な動きで手の骨がちょっとズレる。

 ガラスの破片が降り注ぐ。


「んぎゃあああああああッ!? 手ぇッ、バキッつった、ぐえええええッ!」

「ちょっ、暴れたらガラス刺さるってぇ~~! 立って、ほら、おっもい!」


 わちゃわちゃする二人に、ベランダから声が飛ぶ。

 騒動が街中へ広がりつつある。


「す、すまぬ! 負傷の影響で止めきれなかった!」

「爆発の危険があります! 早くこの場を離れてください!」

「中の者を救助したらすぐに追いつく! ええい、ど、どこに降ろそう……」

「それと消防に連絡してください! 119! ケイコ、早く電話を!」


 どうやら、ヘリを受け止めたらしい。

 おかげでマンションへ突っ込むのは避けられたが、部屋の中はメチャクチャだ。

 いよいよ住むところもなくなったらしい。

 どっこいそれでも、人生は続く。


「まあ、退屈だけはしなくて済みそうだな」

「前向きかー! あっはっはっはっは」

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