決戦:ここに立つ理由
薊は、神社の本殿の中に横たわっていた。
激突によって壁は破れ、神体の鏡へ風が吹き込んでいる。
薊の口から血が噴き出し、床を赤く染める。
すでに呼吸は停止している。
それでも、死にかけの虫のようにもがき続ける。
(霞……牙を使わせたか……すまぬ……)
霞の復活は、感知できていた。
望んで血をむさぼる霞ではない。
桂湖を傷付けて、悔いに身を焼かれながら戦っていることだろう。
(だが、それだけでは太刀打ちできぬ……戻って戦わなければ……ノブオたちを護らなければ……)
霞は恥を忍び、桂湖からの信頼を失う覚悟までして立ち上がった。
伸夫も桂湖も、勇気を振り絞って、成すべきことを成したのだ。
薊だけが役目を果たさないまま、全てを無に帰すなど、あってはならない。
なのに――
(体が利かぬ……! 彼らを護りきるまでは、朽ち果てるわけにはいかぬというに……!)
それでも動けない。
霞の心臓は破壊されている。
まだ生きていることが奇跡――体内の血流を操作して、身体機能を取り戻そうとあがく、薊の努力が繋いでいる奇跡だ。
だから、薊が薊でなければ。
ここまでに、奇跡の理由を積み上げていなければ。
次の奇跡には、繋がっていなかったのだ。
『異界の者よ。なにゆえ、この地に踏み入り、戦うか』
薊の脳裏に、声が響いた。
この場には、誰もいないはずだ。
意識朦朧として、正体も掴めない。
だが、敬意を払うべき者だと、薊は感じた。
意識を声の元へ向ければ、ぽつり、ぽつりと、想いが形を成して浮かび上がる。
(私は……同胞を護って戦うことを、父に許されなかった)
薊の母は、勇者から薊を護り抜いて死んだ。
母の血にまみれた薊は、駆け付けた父によって、命を拾った。
それで、娘だけは喪うまいと誓ったのだろう。
言葉を交わすことは少なく、幽閉同然の暮らしとなったが、父の愛を疑ったことはない。
この時勢、安穏とした生などは、並大抵の苦労で得られるものではないのだ。
だがそれでも、薊は戦いたかった。
死にゆく同胞を護るために、己の命を使いたかった。
ゆえに鍛えた。
とことん鍛えた。
せめてもの心の慰めとしてか、あるいはこの城すらも陥ちる時のためにか、父も師は宛てがってくれた。
使い途もなく、ただ己を鍛え続けるのみの日々。
(しかし、勇者の転生を防ぐという計画については別だった。無駄飯食らいを差し出せと言われては拒みきれなかったのであろう。なにしろ戦時だ)
死なせぬようにと囲い込んだ結果、異世界へ行ってしまったのだ。
父にとっては、実に皮肉な話だろう。
薊も悲しかった。
父にも、師にも、従僕たちにも、複雑な関係だが大事な兄弟姉妹にも、二度と会えない。
それでも、薊は前向きだった。
これで護れる。戦える。
『同胞を護るために戦うか、異界の者』
(そうだ。その通りだとも。たとえ二度と故地を踏むことができずとも、それが蹂躙されるのを眺めるのみの日々は、なおつらかった。魔王の子たる私が、同胞を護るのは当然だ――だが)
あらゆる魔族にとって、勇者は恐怖と憎悪の対象。
まして薊は、幼い日、直にその悪意を受け、目の間で母を嬲り殺されたのだ。
薊は、まだ見ぬ『勇者候補』を、深く激しく恐れていた。
もしも母の仇の如き者だったら。
強姦や拷問で済むものかどうか。
自分はそれを護ることに耐えられるのか。
不安を笑顔に押し込めて、薊は伸夫に
そして、真実を知ったのだ。
(ノブオは、普通の者だった。それは、理解できぬ振る舞いも少しは……いやかなり……沢山……あったが、それでも、私を言葉交わすべき者として扱ってくれた。認めてくれたのだ)
薊は、死んでいないだけだった。
自分の命を使えていると思えなかった。
故郷で同胞に囲まれていながら、寄る辺がなかった。
薊の心をわかってくれたのは、霞だけだった。
――なんでだ?――
伸夫は、それをわかろうとしてくれた。
きっとわかるはずもない。
こちらの世界での立場も違う。
生まれ育った世界さえ違うのだ。
――神社で茶ぁしばくのは、しばらく先にしろ。――
それでも言ってくれた。
ここで生きろと。
共に生きろと。
薊には、それがどれほど嬉しかったか。
(ノブオは……ケイコは……友だ。霞と同じ、我が親愛なる者だ)
彼らと生きる。
共に生きる。
それが薊の命の使い道。
そのためならなんでもできる。
命を懸け、なお生にしがみつける。
石に齧りつき、噛み砕いて飲み干してでも生き抜いてやる。
彼らと共に。
ただ、ひとつの魂持つ命として。
(私は護る! 我が友を! それが、我が身がこの地に在る理由だ!)
薊の命の灯火が、これを最後と燃え盛る。
その熱は、確かに、その存在へと届いた。
『――よかろう。異界の者。我が子らと
莫大な力が、薊の体へと流れ込む。
『我らが力、そなたに託す』
◇◇◇
「あああああああッ!」
霞が叫ぶ。
牽制の掃射。
追撃の拳打。
二発もらう代わりに一発返す。
『位相遷移』で躱される。
カウンターを『障壁』でどうにか逸らす。
限界が近い。
「いい加減にッ……滅せよ、邪悪ッ!」
念動力の連打を必死に避ける。
暁の動きが雑になっている。
精神的に追い詰められている。
『位相遷移』のパターンも、ようやく掴めてきた。
必敗の情勢を覆す。
(ケイコたちの称賛は私が独占しますよ、薊!)
愛おしい声援が苦痛を押し流す。
満身創痍の霞は、力強く地を蹴って突進した。
「無為! 無為、無為、無為だとッ!」
走りながら左腕を打ち振るい、牽制の掃射。
両腕で弾かれる。
構わず前進。
念動力が至近で炸裂。
鼓膜が破れる。
声援が聞こえなくなる。
構わず前進。
左拳を繰り出す。
「無為――ッ!?」
左拳が加速。
『翼』からの魔力噴出によるロケットブースター。
薊に習った隠し手だ。
無理な加速により肘が挫ける。
受け損ねた暁が姿を消す。
ここからが詰み手だ。
先程弾かれた赤光の矢。
隠し手の二、遠隔操作。
矢の側面を炸裂させ角度調整、後尾を崩壊噴出させ加速推進。
ロケットブースター第二弾。
赤光の
「無為ィィッ――!」
再度の消滅。
その場でターンするだけの動きがもどかしい。
間に合え、間に合え、
間に合え――!
「無ッ――!?」
再度の出現。
『翼』を口の前に構えた霞と目が合う。
既に
管部の一端を咥え、渾身の魔力を吹き込む。
吹き矢。
隠し手の三。
「――為ィィィィッ!」
矢が素通り。
三度の消滅。
だが四連続はない。
それがようやく掴んだ勝機。
出現予測地点へ向け、霞は疾走を開始する。
次弾は
最後は肉弾。
一打で倒せるとは思っていない。
倒れるまで何度でも叩き込む。
食らいついたら逃さない。
だが――
「が、あああッ!?」
ぶちんと音を立てて、霞の右ふくらはぎが切れた。
限界を超える力の代償。
それはもはや、払いきれないところまで来ていた。
己が肉体への罵倒が脳裏を吹き荒れる。
疾走の速度が鈍る。
拳に速度が乗り切る前に、暁が出現する。
その精緻な美貌に、嘲弄の笑みが浮かんだ。
「無様」
繊手の捌き。
カウンターの掌打。
飽きるほど見せ付けられた動き。
わかっていても避けられない完成度。
それでも霞はなお抵抗した。
打点に左腕を挟み直撃を防ぐ。
飛び退って衝撃を緩和する。
腹に魔力を集中して強度を増す。
衝撃。
「ぐあッ――――!」
霞の左腕が『翼』ごとへし折れ、体が真後ろへ吹き飛ばされる。
長々と地面を削って停止、たたらを踏む。
その口から、ごぼりと血がこぼれる。
膝が折れ、地面に付き、うつ伏せに倒れる。
即死を避けるのが精一杯。
魔力暴走によるダメージで、全身がまともに動かない。
今度こそ、霞は立ち上がれなかった。
折れた『魔剣』が、青い粒子に解けて消える。
「かっ、おぇっ、かす、みぃっ……!」
「おっおいっ……クソッ!」
よろよろと霞へ駆け寄る桂湖を、後ろから追いついた伸夫が引きずっていく。
どのみち、薊と霞が両方やられたら、それで終わりだ。
倒れ伏した霞をひっくり返す。
その瞳は、焦点を失っていた。
再度の戦闘不能。
致命傷はなさそうだが、放っておいたらたぶん死ぬ。
「うわっちょっこれっ……血ぃいる!? 飲める!? 大丈夫!?」
雑に巻き直した包帯を解こうとする桂湖を、霞は弱々しく押し留めた。
「いえ……もう、必要ありません……」
「は、はぁぁっ!?」
それは、死を覚悟した仕草のように見えた。
「苦痛に喘ぎながら浄化を拒む。愚か。愚か。愚か。無為。無為。無為」
どんどん言動がおかしくなってきた暁が歩み寄る。
桂湖は霞を抱きしめ、伸夫はその前に立ちはだかった。
勝ち目はゼロ。
攻撃も防御も不可能。
なにもできない。
何の役にも立たない。
それでも、
それでも――!
そんな伸夫の姿を、霞は鼻で笑った。
「また……早とちり、ですよ。ノブオ……」
地を揺るがす轟音。
風を切り裂いて、なにかが飛んでくる。
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