決戦:命綱
「ぐううッ……!」
衝突した杉をへし折って、薊は墜落した。
脇腹に痛撃。
内臓に損傷はない。しかし被撃部に筋挫傷、肋骨に亀裂。
そして全身に響く衝撃。
立ち上がる膝が揺れる。
甚大なダメージ。
しかし、特務神官は回復を待ってはくれない。
「悪行の報いを受けよ」
数秒で追いついた暁の宣告。
爆撃のような念動力が、空中から叩きつけられる。
「ぐああッ!」
全力で逃れるも、巻き込まれた右足首が砕ける。
片足に損傷。
機動力が大きく削がれる。
「清算を恐れるか、穢れ」
暁が人差し指を真上に向けると、空中に光球が出現した。
大きさはピンポン玉ほど、その数百余り。
それが、振り下ろされた指の合図で射出される。
「う、おお、おおおおおッ!」
避けきれないと悟った薊は迎撃に出る。
『蕾』を前面に回して盾とし、拳と共に光弾を防御。
しかしひとつが、薊の左肩を貫通した。
左拳使用不能。
拳打の半分が奪われる。
「う、ご、これしきッ――!」
「無為」
薙ぎ払う念動力。
何本もの樹木がまとめて粉砕される。
薊の全身に打撃。
肋骨が完全骨折。手足の指に亀裂骨折。軽度の脳震盪。内臓機能低下。
「薊ーーッ!」
あえての霞の叫び。
およそ不可能な奇襲を捨て、暁の注意を引き寄せる。
だが、
「無為」
光弾の雨が降り注ぐ。
赤光の矢を撃ち返す。
霞の矢は全て弾き飛ばされ、光弾が霞の右腕と左腿を射抜く。
「あぐッ――!」
「お、お、おおおおおおおおッ!」
薊が暁へ打ちかかる。
大量の魔力を注ぎ込み、治癒力を増幅、傷を無理やり取り繕う。
だが左拳は使えない。
暁相手に手数を落とせば死ぬ。
ゆえに蹴りで埋め合わせる。
右拳に脚技を織り交ぜコンビネーションを再構築。
「ぐっ、おおおおおッ!」
だがその分走れない。
暁相手に速度を落とせば死ぬ。
ゆえに『蕾』で埋め合わせる。
三連
「がっ、はあっ、せあああああっ!」
霞の治癒力は薊より低い。
大出血を塞ぐもままならないままの援護射撃。
撃ち続けなければ薊が死ぬ。
無事な右脚へ魔力を集中、筋断裂一歩手前で走りながら射線を確保。
血を吐くように矢を撃ち込む。
だが
「無為」
薊は耐えに耐えた。
霞は粘りに粘った。
一瞬たりとも投げず、捨てず、諦めず、勝機を探り続けた。
もしも乾坤一擲という名の怯懦へ逃げ込んでいたら、とうに暁は伸夫たちの元へたどり着いていただろう。
互いの存在が支えになっていた。
自分が死ねば相棒も死ぬ。
自分らが死ねば主も死ぬ。
死は許されていないが、犬死には全く論外だ。
薊たちは、勇敢に戦った。
暁を苛立たせるほどに。
「穢らわしい――穢らわしい、穢らわしい穢らわしい!」
「が、ぐッ……!」
暁が、ガードの上から薊を吹き飛ばす。
すかさず、ほとんど血の気を失いながらも射撃を止めない霞へ、掌を向けた。
そこへ、莫大な力が収束する。
直径1メートルを超える光球が形を成す。
霞の背後には、伸夫たちが暮らす街。
避ければ街まで届くと、霞は直感した。
「ああ――」
そこに主はいない。
そこを護るのは霞の使命ではない。
主さえ無事であれば、同胞の災禍も避けられる。
――できる限り正直でありたいとは思っています――
(あれは偽りではありませんよ、ノブオ)
『あなたさえ無事ならいいので、街の住民が何百人か消し飛ぶのは見逃しました』
そんな恥知らずの真実を隠して、桂湖に仕えることなど、霞にはできない。
(どうかお許しを、ケイコ――)
『翼』の
余力を注ぎ込み『障壁』を展開。
光の砲撃が、防護を打ち砕いた。
「霞ーーーーーーーーッ!」
砲撃は引き裂け、空に逸れて街を外れた。
代償として、全身を焼き焦がされた霞は膝を突く。
致命傷。
薊は援護を失った。
「『勇者候補』ですらない無辜の民を巻き込むか、外道ッ!」
怒りに燃える薊の迫撃。
ボロボロの右拳が、かつてない速度で放たれ――
存在ごと消えた暁を捉えず、空を切った。
30センチメートル後方へ再出現。
「祝福なき化外の者。穢れにあらずも、人ならざり」
薊へ目もくれぬまま、掌打。
胸部へ直撃。
肋骨粉砕。脊椎骨折。肺損傷。心臓損傷。
致命傷。
吹き飛ばされた薊は、山中の神社を破壊しながら墜落。
動きを止めた。
薊、霞、両者戦闘不能。
「暁イイイイイイイイイイイッ!」
伸夫たちが到着したのは、ようやくその時になってからだった。
「お待たせして申し訳ございません。ゴミ共の排除を完了――」
「うるっせえええええッ! この気持ッちわりい手前勝手のサイコ女がああああッ!」
だがまだ、なにもかも終わりではない。
果たすべき役割が残っている。
伸夫にも――そして、桂湖にも。
「……? 勇者候補様、いま、なんと――」
「だぁぁぁぁれが『勇者候補』だクソボケッ! 気持ちわりい手前勝手のサイコ女っつったんだよサイコ女耳付いてんのかコラ!」
仮面の如き微笑みの表情。
その裏で、暁は困惑している。
伸夫が突然大声で喚き始めた理由がわからないために。
伸夫の怒りの理由も、そもそも怒っているということすらも、暁の意識にはない。
「――仰せの通り、ゴミ共を処分」
「黙れええええええッ! 街を狙いやがったな! 関係ねえ人間を巻き込みやがったな!」
「それ」
「どおおおおおおせソイツらは人間じゃねえとか抜かすつもりだろ見え透いてんだよサイコ女! 何様のつもりだ
「――いま」
「だいたい戦争にしたって人間からふっかけたんだろうが! ケガレだのなんだのクスリキメてトリップしたアホがでっち上げたクソ理屈なんか知ったこっちゃねんだよボケッ! つかどう考えたってキタネーのはお前ら人間のほうだろうがッ!」
息切れした伸夫が激しく呼吸する。
その間、暁は押し黙っていた。
微動だにしない微笑みを浮かべたまま、声音が凍りつく。
「いま、なんと?」
「すぅぅぅぅっ……やっぱ耳ついてねえな! 意味ねえだろうがもっかい言ってやらあ! お前ら人間も、お前らが信じてる神とやらも、自分勝手で身の程知らずの薄汚いクソ共なんだよバーカバーカ!」
暁に、正常な感情の機能はない。
だが怒りはある。
必ず怒る逆鱗はある。
神と、人間の正義。
桂湖の推測通りだ。
一瞬にして膨れ上がった威圧が、伸夫の体を締め上げる。
「ぉんッ……ぐぅッ……!」
目論見通り、暁は怒った。
薊たちへ向けられていたのと同質の、粘りつくナパーム弾のような殺気が向けられる。
耐え難い恐怖が湧き上がる。
しかし怒りが、恐怖の首根っこを掴んでねじ伏せた。
作戦があろうがなかろうが、伸夫の言いたいことは変わらない。
そして、暁は狂人だが、無能ではない。
「ッ、足りない」
「あッ、テメッ――」
『二人の勇者候補を転生させる』という使命感が、暁を違和感に気付かせた。
桂湖がいない。
その姿を見つける前に、怒りで鈍っていた感覚が、膨れ上がる魔力を捉えた。
霞だ。
倒れ伏した霞のもとへ駆けつけた桂湖は――
霞に手首を噛ませ、血を吸わせていた。
「うっぐ……遠慮したらぶっ飛ばすよ霞! あんたが負けたら、うちも死ぬんだかんね……!」
解かれた包帯の下、既に噛み跡の残る手首。
そこへ牙を突き立て、霞は飢えた獣のように血をすする。
作戦会議のさらに前――暁の襲撃当日。
『……これは、お伝えするつもりはありませんでしたが』
霞は、自身の最大の秘密を打ち明けたのだ。
『私の種族は、血を吸うことで魔力を得ることができます。蛭虫などと呼ばれて、魔族の中でもあまり評判がよろしくありませんがね』
『ま、そりゃそうだろうなあ』
『情けない話ですが、そこそこの深傷を負ってしまいましたので、傷を癒やすために、血を頂けますか?』
『……しゃあねえな』
『処女が望ましいです』
『はあ!? こんなときにグルメかお前は!』
『嗜好ではなく適合性、ひいては効力の問題です。動けなくなるほどいただくわけにもまいりませんし』
『……わかった。いいよ』
霞は、まだ震えの止まらない桂湖の体に牙を立てた。
ゆえに、治癒力の劣る霞でも決戦に間に合った。
桂湖を護るために。
そしていまも。
「ふう。これ以上はクセになってしまいそうですね」
「にゃっ!? ざっ、戯言を!」
致命傷を負っていた霞が立ち上がる。
細かい傷は残っているが、動きに影響はない。
魔力も満ちた。
戦える。
ちなみに、対象に抵抗を起こさせないよう、吸血行為にはほのかな快感が伴い——
霞の嗜好もまた、
「ご馳走様でした、ケイコ。元気百倍です」
微笑みを残し、霞は暁へ挑みかかる。
勢いを増した赤光の矢が伸夫との間を遮り、続けて後退を余儀なくさせる。
「ノブオ! ケイコを!」
「おっおう!」
桂湖は失血――そして、初めて味わう魔力の欠乏で座り込んでいる。
慌てた伸夫が桂湖を抱き起こし、暁から離れようとする。
生きるために。
護るべき者の姿が、霞に勇気を湧き上がらせた。
「勇者候補様の血を啜るだと!? この穢らわしい化物めがァァァッ!
「ふん……痛いところを突いてくれるッ!」
閃光と炸裂音が撒き散らされる。
その中に赤光の矢が入り交じる。
薊はいない。
撃ち合えば、怒り狂った暁が、伸夫たちを巻き込まないとも限らない。
ゆえの白兵戦。
力任せの身体強化。
足りない分は、矢の掃射で埋め合わせる。
それでもなお、暁の掌打が体をかすめる。
薊のようにはいかない。
(まして、二度までも自らケイコを傷つけるとは、全く不甲斐ない)
しかも一度目は、恐怖のどん底にいる時だ。
正直、怯えられると思っていた。
そうなれば、この戦いの後は二度と姿を見せず、陰ながら護る覚悟だった。
なのに桂湖は今日、なにごともなかったように接してくれた。
本能が訴える恐怖を、笑顔の下に隠して。
(それにつけても、この芳醇な魔力ッ――!)
本来、吸血は補給・回復であって強化ではない。
しかし、限界を超える力を発揮できている。
魔力の
代償は、肉体への反動。
「霞いいいいいいッ! 頑張れええええええッ!」
「はぁっ、おえっ……なにしてんのっ、早くやっつけちゃってよーっ!」
伸夫たちから声援が飛ぶ。
もはや、用意していた策はない。
あとは根性だけだ。
敵の注意を惹かないでいただきたいのですが、と霞は苦笑する。
さすがに、彼らが完全に敵対していることは理解したのだろう。
暁の秀麗な面に、ないまぜの困惑と憤怒が浮かぶ。
「なぜだ……なぜ勇者候補が魔族に味方する? 魔族が勇者候補を操っているとでもいうのか!?」
「狂信者! お前にはわかるまい、ケイコの優しさが! ノブオの勇気が! それが、どれだけ私たちに力を与えてくれるかということも!」
だが、初めからそうではなかった。
霞は勇者を憎んでいる。
父母も、兄弟姉妹も、血族も、故郷も、霞が愛したものはすべて、勇者に蹂躙され、滅ぼされた。
使者として隣領に出向いていた霞だけが、戦うこともなく生き延びてしまった。
勇者を殺したかった。
それに足る力が霞にはなかった。
血族の代わりに、『人間』に邪悪とされた民すべてを同胞と定め、その結束のために奔走した。
それでも、憎悪は消えなかった。
喪失は埋まらなかった。
『魔族』はあまりに大きすぎて、霞に空いた穴には入りきらない。
例外は、自分を姉のように慕い、子のように抱きしめてくれた薊だけ。
ゆえに、異世界への使者として志願した。
霞は、桂湖を護りに来たのではない。
勇者ケイコを滅ぼしに来たのだ。
殺せないなら、生まれる前に滅ぼす。
死にさえしなければ、氷漬けにしたって構わない。
転生させずに魂ごと消し去れるなら、迷わずそうする。
そう思っていた。
だが。
『やぁっ……ひっ、たすけてぇ……!』
『勇者候補』は、桂湖は、怪物ではなかった。
ただの、怯える子供だった。
泣き喚かれ、なじられ、罵られ、顎で使われても腹も立たない。
理不尽な状況で、心を守ろうとしているだけだ。
傀儡のように支配するのは簡単だったが、そんな気にもなれなかった。
こんな健気な命に、どうして非道な真似ができよう。
まるで小鳥の雛を拾ったように。
『護りたい』という想いが、霞の空虚にすぽんと収まった。
羽ばたくまでこの目で見届ける。
もう失いはしない。絶対に。
「ゴミどもめ! 祝福なき邪悪の落とし子どもめ! それは己らのものではないぃっ!」
「盗人猛々しいわッ! ケイコたちの命を! 魂を! 奪わせてなるものかッ!」
激情とともに魔力が迸る。
取り繕った体が崩壊していく。
そこへ暁から与えられる打撃が重なる。
土台、霞単独で敵う相手ではない。
(なにをしているのですか――薊!)
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