決戦:楔

 そして夜――暁の襲撃から24時間後。


 伸夫たちは、近場の山へ移動していた。

 近くに民家はなく、戦闘に巻き込む恐れは少ない。

 そうは言っても日帰りできる場所でしかないが、これ以上は望めなかった。


 既に日は沈み、周囲は暗闇に包まれている。

 行きがけに買ったランタンを取り囲むように、一行は周囲を警戒する。

 伸夫のそばには薊が。

 桂湖のそばには霞が。

 それぞれの主を護らんと、静かな闘気を立ち上らせる。


 桂湖は、どうにか恐怖をこらえていた。

 時折、祈りの仕草のように、指で眼鏡の位置を直す。

 対して、伸夫はそれなりに平常心を維持できている。

 もっとビビってるやつがいると逆に落ち着くという、あれだ。


 ――もっともそれは、完殺の使徒が到来するまでのことだったが。


 闇の中からにじみ出るように、【熾天】の暁が姿を現す。


「ごきげんよう、勇者候補様がた。今宵はよき夜にございます」


 微笑みの形をした、まったく感情を伺わせない精緻な美貌。

 いっそ機械的な殺意に、身が竦む。

 桂湖の呼吸が荒くなる。


 伸夫も怖い。

 暁が怖い。

 死ぬのが怖い。


 だからこそ、勇気を振り絞る。


「助けてくれ! このクソ魔族共が、俺たちが死んだらって脅すんだ!」


 事実無根の侮辱にも、魔族組は眉ひとつ動かさない。

 これこそ、暁に打ち込む楔、その第一撃だからだ。


「先にコイツらを倒してくれなかったら、俺たちは絶対協力しねえぞ!」


 ――昼食後、伸夫たちは、ノートと付箋を広げたテーブルを囲み、作戦会議を行った。

 会議を主導したのは、桂湖だ。

 まず桂湖は、暁の欠点を分析してみせた。


『あいつさー、ノブの嘘に全然気付いてなかったっぽいよねー?』

『私も、どこからどこまでが偽りなのか判断しかねるのですが』

『ウソこけ!』

『まーだいたい全部だよね。「話聞いてから判断する」とかさー。もう絶対コイツムリって思ってたっしょ?』

『まあ、それはそうだな』

『あと「家族や友達もいる」とか。家族はともかく友達はいねーじゃん?』

『うるせえ!』

『別れの挨拶する気なんか百パーなかったっしょぉー』

『なかったよ! それがどうした!』

『だからさー、あのサイコ女、言葉をほんとにそのまんま受け取っちゃうっていうか、ニュアンスとか雰囲気とかなんにもわかんないんじゃね?』

『ゆえに偽りも見抜けないと。確かにそうかもしれませんね』

『ならば、虚言で行動を縛ることはできるかも知れぬな。しかし、一体どのような……』

『んふー♥ でさでさ、こーゆーのはどぉ?』


 かくして桂湖は、『先に勇者候補を殺す』という選択を封殺してのけた。

 暁の精緻な美貌が、憎々しげに歪む。

 もはやそれ自体が『呪い』じみた殺気を受けても、なお魔族の使者は動じない。


「そういうことだ。この者共を殺したくば、まずは我等を殺してみせよ!」


 脅迫のていを取った宣言。

 その実は、背後に庇った主からの援護。

 暁には憎悪を、魔族たちにはさらなる闘志を湧き上がらせる。


 そして、この場に至る前に、既に『枷』は外してある。

 魔族たちは、ついにを解放した。


 エロ忍者装束が、ひとりでにほどける。

 褐色と雪白の肢体から、これまでに層倍する『力』が迸る。

 その『力』が、薊たちの肉体に、新たなを象っていく。


 薊の背中に、その名の由来たる花を模したような、紫色の『蕾』が萌え出ずる。

 合計三つの『蕾』は、薊の肌から離れ、その背後を浮遊し始めた。

 褐色の肌を炎めいたあおぐろい紋様が覆い、手足を硬い鱗が覆う。

 装束が胴体前面と手脚へ巻き付き、レオタードとバンテージのようになった。


 霞の左前腕に、蝙蝠の『翼』を畳んだような器官が生える。

 管状の五本の突起が、体内の魔力を吸い上げ始める。

 雪白の肌に回路状の輝きが灯り、紅瞳の色が深まるとともに、犬歯が鋭く伸びていく。

 その体に、負傷の跡は見て取れない。

 装束は脚から這い広がり、ライダースーツとマフラーの形を取った。


 薊の『蕾』。

 霞の『翼』。


 これらこそは、多種族連合たる『魔族』が集積した技術の結晶にして、ある意味では『魔族』たる者の証。

 赤子のうちに刻み込まれる術式によって発現する、固有にして純粋なる戦闘用コンバット器官オーガン

 すなわち、『魔剣』である。


 主に初めて披露する、完全なる戦闘形態。

 異形と称すべきその姿に対し、彼女らの主が漏らした言葉は――


「きれい……」

「きれいだ……あン?」


 であった。


 それは、機能美の極致。

 戦い――それひとつのために研ぎ澄まされた形質、鍛え抜かれた肉体、誂えられた装束。

 そして構え。

 肉体を意のままに操れる者の、体軸が見事に保たれ、適度な緊張と弛緩が行き渡った姿は、見る者に賛嘆を抱かせる。

 表面的な美貌や、扇情的な体型などでは醸し出せない、達人の美である。


 もろ被りの感想に顔をしかめる主とは対象的に、魔族たちはくつくつと笑いをこぼす。

 今更、見た目が醜いくらいで見放されるとは思っていないが。

 とはいえ、目汚しにならないなら、もっけの幸いというものだ。


 しかし、対する特務神官は――


「醜いゴミ共め……勇者候補様を脅すとは卑怯なり」


 燐光を纏い、わずかに宙に浮いているかに見える、その姿を評するならば。

 『宗教画めいた』『幻想的な』『壮麗な』――

 世の摂理を超えた、超人の美である。


「そして愚かなり。救われえぬ魂を、さらに穢しただけと思い知るがいい」

「救いなど求めぬさ」

「少なくとも、お前の神には」


 『魔族』と『人間』。

 いずれもこの世界に根を持たない者同士。

 二人の地球人の命を巡る、戦いの火蓋が切って落とされた。


「おおおおおおおおッ!」

「滅せよ!」


 閃光が弾ける。


 打ち続く炸裂音。


 一瞬で六度。


 薊が、暁と打ち合っている。


 ――会議では、暁を倒す方法についても話し合われた。


『でもよ、それなら「後で自殺してやるから黙って殺されろ」とか、なんなら「自殺しろ」でもいいんじゃねえの?』

『やー、それはリスク高すぎだと思うなー。なんとなく、「穢らわしい魔族」に負けを認めるよーなことは我慢できないんじゃないかって気がする。ヤケクソでこっち狙われたらヤバいっしょ』

『同感です。戦闘中にケイコたちを狙われる心配がなくなるなら、それだけで充分ありがたいですし』

『それに、流れ弾を恐れて派手な術は使いにくくなるだろう。それはこちらも同じことではあるが――』


 薊は、自慢げに乳袋を揺らして言ったものだ。


『私は、格闘戦を最も得意とする』


 その秘密は、薊の『魔剣』。

 秘めたる機能は、魔力噴出によるロケットブースター。

 『蕾』が灼光を噴き上げ、薊の体を蹴飛ばす。

 その全速機動は、音速を凌駕する。


「小賢しい!」


 しかし、いかなる手段によってか、暁も薊の速度に追随する。

 矮躯に見合わず、その体術も練達。

 無駄のない身のこなし、本能にまで刷り込まれた反応。

 薊が繰り出す拳打が、小さな掌に捌かれる。


「ならば――!」


 リーチの分、わずかに薊が優位。

 巧みな防御を潜り抜け、握りしめた拳が暁を捉える――


 瞬間。


 暁のが、その場から消え去った。

 特務神官を無敵たらしめる術式。

 破壊すら伴わず、伸夫のマンションへ出入りできた理由。

 ――『位相遷移』の術法である。

 これある限り、いかなる攻撃も強烈なカウンターで切り返される。

 だが――


「ぬう――!」


 出現した暁へ、赤光の『矢』が襲いかかった。

 霞による援護射撃。

 たまらず暁は矢を弾き、カウンターの機会を逃す。


 霞の『魔剣』は、魔力による射撃を行う弩弓クロスボウである。

 風を切り裂く白兵戦へ追随しながら、霞が左手を打ち払う。

 蓄えられた魔力が針状の矢となり、絶妙の軌道・タイミングで暁へ降り注ぐ。

 暁の防護結界を射抜きうる威力、超音速の運動体を狙撃しうる速度精度。

 いかな特務神官とて、無視はできない。


「猪口才な――ぐぬ!」

「かあああッ!」


 霞から墜とさんとする暁へ、薊の迫撃。

 執拗に追いすがり、勢いの乗った拳打を叩き付ける。

 端倪すべからざる威力、回転力、そして技巧。

 『人間』として勇者に次ぐ強者である暁に対し、縛りあり、援護あり、格闘戦のみとはいえ、互角。


「なぜ、かような邪悪がこの世界に!」

「使命が為!」


 その実力は、本来、をこそ使命とすべき域に至っている。

 霞はそれに一枚劣るとはいえ、相応に殴る力戦闘力がなければ喧嘩の仲裁調停官は務まらない。


 そしてなにより、噛み合っている。

 近距離は薊、遠距離は霞。

 薊の隙を霞が埋め、霞の弱みを薊が隠す。

 言葉一つなく、以心伝心の連携で襲いかかる。

 能力の補完性は偶然の賜物だが、高度な連携は絆の為せる業だ。


「お、押してんのか……?」

「わかんない……わぷっ」


 完全に、伸夫たちの知覚を超えた戦いである。

 最も遅い霞の動きですら視認できない。

 なんかバチバチ光ってドガドガ音がして、しばしば突風が寄せてくるのがわかるだけだ。


 ゆえに、薊たちの苦境も伝わっていない。


「ぐッ――ぬううううッ!」


 薊は、覚悟によって焦燥を抑え込んでいた。

 あたらない。

 届かない。

 どれだけ打ち込んでも捌かれ、捉えたと思えば消えられる。


 格闘に持ち込んでも、効力打が得られない。

 霞の援護があってこれだ。

 どちらかが墜ちれば、拮抗すらできなくなる。


「無為とわからないのか!」

「くッ――!」


 叩きつけられる念動力から、霞が身を躱す。

 ベンツがひしゃげそうなクレーターができる。

 格闘戦の間に、念動力が挟み込まれ始めた。

 暁が、薊たちの動きに慣れてきたのだ。


 念動力に霞が捕まれば終わり。

 疲労した薊が失速しても終わり。

 もとより薊の『魔剣』は、莫大な魔力を燃やす短期決戦仕様。

 それを全開で吹かし続けて、ようやく殴り合いまで持ち込んでいるのだ。

 時間は、特務神官に味方する。


「しまッ――!」


 そして薊には、実力はあっても経験が足りない。

 焦燥とも戦う中、伸夫たちを背後数メートルに背負ってしまった。

 『蕾』を吹かせば、主が衝撃で死ぬ。

 動くには、向きを変えなければならない。

 わずかにコンマ1秒未満。

 暁との戦いにおいては、許されない隙。


「哀れ」


 『位相転移』で出現した暁の掌打が、薊の脇腹に突き刺さった。


「がはッ――!」


 伸夫たちの目の前で、薊が砲弾のように吹き飛ぶ。

 『勇者候補』にひと目もくれず、暁はそれを追って跳び去った。

 薊単独。

 保つのは数分か、数秒か。

 いずれにせよ、長くはない。


「追いますッ」


 一声発し、霞も全速力で追いかける。

 新幹線じみた速度だ。

 伸夫たちが付いていけるはずもない。

 しかし――


 いちいち試すなあのアマー!


 伸夫は内心怒鳴って、桂湖の手を取った。


「俺らも追うぞ! 離れれば離れるだけ、サイコ女が暴れ放題になっちまう!」

「りょ、りょーかいっ!」


 しかし、移動手段は脚しかない。

 追いつくまで五分か、十分か、二十分か。


 ――その間、暁は縛りから解かれる。

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