勇者候補たちの決戦準備
桂湖がいつごろ寝ついたのか、伸夫は知らない。
『ごめん、ベッド貸して……』と言う桂湖にベッドを譲って、自分はソファで寝たからだ。
少なくとも、伸夫が眠りに落ちる直前までは、泣き声やら呻き声やら息切れが断続的に響いていた。
それでも、眠らないわけにはいかない。
求められた以上に手を差し伸べるのも趣味じゃない。
あと、いま一緒にいると、桂湖との関係が非常にこう、取り返しのつかないなんかに化けそうな、そんな予感と悪寒がしたので。
果たして翌朝、伸夫の部屋から出てきた桂湖は、照れ臭そうにボサ頭を掻いて笑った。
「やー、恥ずかしいとこ見せちったねー! メンゴメンゴ!」
「現在進行形で見せとるわボケ!」
薊に優しく揺すり起こしてもらったのに、朝から全力でツッコむ羽目になった伸夫である。
タンクトップにショーツと眼鏡と包帯だけの桂湖を見て、露出度的には大差ないはずの薊がちょっと頬を染める。
ちなみに、ショーツは黒とピンクのツートンだ。
桂湖に続いて出てきた霞は、頭と腰に手をやって首を振った。
「マッパまで見せてんのにいまさらぁ? つかシャワー浴びっから」
「そういう問題じゃねえし頼んだ覚えもねえしそこは『シャワー貸して』だろが割れ眼鏡!」
「あーそれそれ」
応えた様子もなく、桂湖はぺちんと指を鳴らした。
あんまり上手くない。
「シャワー浴びてゴハン食べたら、昼まで付き合ってよ。いいっしょ霞?」
「ええ、構いませんよ」
「おい俺の意見は」
「ダメぇ?」
手を合わせ、上目遣いにぱちんぱちんとウインクされて、伸夫はげんなりした。
あんまり上手くない。
「……いいけど。どこに?」
そう尋ねると、桂湖はぱあっと笑って答える。
「買い物!」
◇◇◇
そんなわけで、再び学校をサボって、街へ繰り出した一行。
魔族組は、定番になりつつあるカジュアルルック&スーツ姿である。
薊は密かに気に入っている節があるが、霞はどうも単なる不精ではないかと伸夫は睨んでいる。
昨夜負った重傷は、少なくともスーツの上からでは見て取れない。
桂湖ははなから連泊する気で来ているので、服も昨日とは違う。
チェックのミニスカートに猫耳パーカーという、ガーリーパンクな装いである。
割れた眼鏡と、手首に巻かれた包帯も、ファッションに見えないこともない。
その手は、伸夫のパーカーの袖を、控えめにつまんでいた。
後ろにコブがついてなければ、デートにしか見えない。
というか、後ろのコブは物理的・魔術的に気配を薄めているので、傍から見れば普通にデートである。
桂湖は、時々ちらりと伸夫を見上げて、てへへ、という感じに笑う。
伸夫は、内心ドギマギするのを誤魔化して、ぶすくれた面をする。
美形の基準がぶっ壊れた伸夫はあまりわかっていないが、桂湖の顔立ちはかなり整っている。
つまりいまの伸夫は、可愛い彼女をかったるそうに連れ歩く野郎という、かなり殺したい存在だ。
現世由来の呪いで死ねるかもしれない。
幸いにも非モテの呪いが発動する前に、一行は最初の目的地に到着した。
「メガネ屋……?」
若者向けの、そこそこ低価格・そこそこオシャレなチェーン店だ。
桂湖は、割れた側のフレームを指で弾いて、ニカッと笑った。
「いーかげんお目々にもヒビ入っちゃいそーなんでね。だから買ってぇ♥」
「俺のカネで?」
「たりめーじゃん」
「ガチャ三十連できんぞ!」
「ま、そこまで期待してなかったけど。じゃ選んでよ」
「そう言われっとハラ立つな……」
ぶつくさ言いつつも付いていく伸夫。
桂湖がとっかえひっかえするサンプル品を見て、
『お前は基本丸顔だからスクエアが無難だな。だが眼鏡を軸にコーディネートするならウェリントンも悪くない。その場合、色が濃いと印象が重くなりすぎるから淡めがいいだろう。今日の服なら暖色系だろうが、普段遣いなら青もいいかもな。その上で俺の好みを言うなら、オレンジが似合うと思う』
――くらい言えたら格好いい、もしくはキモいが、実際にはあー、うー、どーだろ、とかそんなものだ。
それでも、めくら撃ちするうちに見当がついたのか、最終的に桂湖はオレンジのウェリントンを手に取った。
「これにしよっかな」
「あー、うん。いんじゃね」
これはひどい。
ともあれ桂湖は満足そうにレジへ向かい、店員とフレームをいじくり回した後、割れ眼鏡を装着して戻ってきた。
「元に戻ってんじゃねえか」
「ばーか、レンズに時間かかんの。待ってる間に次行くよ!」
「えー、まさか服じゃねえだろうな……腹減ってきた」
桂湖の真似して、こっそり眼鏡ファッションショーしていた魔族組もついてくる。
伸夫にとっては幸いなことに、服でも靴でも鞄でもアクセサリーでもなかった。
アニメショップだ。
漫画、小説、同人誌、ゲームソフト、エロくないのもエロいのも、BDはアニメにライブに演劇まで、凄まじい速度で取捨選択しながら、伸夫が持たされたカゴへ放り込んでいく。
「重っ……ダウンロードでいいじゃねえかよ……」
「ステージ系とこのへんの薄い本はDLないし。それにうち持っときたい派」
「いま持てば?」
「やだよ重いもん」
「俺も重えんだけど。つかロリショタばっか……俺にどうこう言える性癖かよ……」
文句を言いつつ、薊に押し付けようとはしない伸夫である。
ちなみに霞は興味深げに商品を物色し、薊は途中から顔を真っ赤にして床に視線を落としている。
だいぶ抽象的な性表現を理解できるようになったご様子。
さすがインテリ魔族である。
買い物袋に欲望の塊をぶら下げて、一行は眼鏡屋に戻った。
割れた眼鏡の代わりに、桂湖はオレンジのウェリントンをかける。
「うひゃー、めっちゃ見える! こんな見えるもんだっけ!」
「そりゃ割れてなきゃな」
「ふ~~ん……いやしかし、霞も薊もやっばいくらいキレイだねえ。うらやましい」
「そ、そうなのか。ありがとう」
「ケイコは手入れが足りないだけです。今度教えて差し上げます」
「エステでそんなんなれたら苦労しないけど、まーそれはお願いしよっかな」
桂湖は、眼鏡屋の鏡に自分を映して、腕組みをした。
なにも当たらないし、寄せないし、上がらない。
溜息をひとつ。
それから、吹っ切れたように笑って、伸夫の手を取る。
「じゃ、帰ろ! うちもお腹すいちゃった。スーパー寄ってこっか」
「お、おう……」
それから伸夫のマンションに辿り着くまで、桂湖は伸夫の手を放さなかった。
桂湖の荷物置き場と化している父親の部屋に、買い物袋を下ろす。
「ふぃ~~。あーーー肩凝った」
「へへ、あんがと。……まあーこれで、全部楽しむまでは死ねないってわけよ」
伸夫は、満足気にうなずく桂湖を見詰める。
それから、ブハッと噴き出した。
「おッ前……未練作りにしてもなんかあんだろ! 他によ!」
「ねーわよ。非リアなめんな。うちが死んで悲しんでくれんのなんかおばーちゃんくれーだわ。うちが中学生んときに死んじゃったけど」
「まあ、俺も似たようなモンだけどな」
昨日、トラックに跳ねられかけた時、伸夫には『生きる理由』などなかった。
『別に死にたくはない』だけの惰性で生きていた。
いまは……どうだろう。
なぜ、暁という死から、命懸けで逃れようとしたのだろう。
隣の桂湖を見る。
桂湖も、伸夫を見ていた。
薊たちは、キッチンで昼食の支度をしている。
やるぞ。
と、桂湖は口の中だけでつぶやく。
「はい、ちょっとそこ立って」
「は? 立ってるだろ」
「じゃ動かないで」
伸夫は、戸惑いつつも言われるとおりにした。
桂湖は、自分の胸を掴みつつ、大きく深呼吸する。
それから――
伸夫の頬を両手で持って、目一杯背伸びして、
伸夫の唇に、自分の唇をくっつけた。
勢い余って、歯と眼鏡がちょっとぶつかる。
数秒。
伸夫が我に返った瞬間、桂湖はぴょんと後ずさった。
眼鏡越しの、桂湖の目もとが赤い。
伸夫はもっと赤い。
慌てて口元を拭う――のをギリギリこらえて、代わりに小さく怒鳴る。
「なッ、なんのつもりだお前!」
「未練作り。……あんたのね」
ちょっと声が震えている。
それから、意地悪そうに口元を釣り上げる。
「最後にチューした相手がうちじゃ死んでも死にきれないっしょー? あ、薊で口直しすんなよー? フラグっぽくなっちゃうしさ」
「くッ……ち直しって」
「あ、舌入れてなかった。いまから入れる?」
「入れるか!!」
「そ、ざーんねん。……んじゃ、生き延びたらもうちょい可愛くなっから」
最後にまた意味深なことを言いのけて、桂湖はぴゅーっと逃げ出した。
キッチンの方で、料理に歓声を上げるのが聞こえる。
霞シェフの料理が絶品なのはわかっているが、それを口直しだとは思えなかった。
「……少なくとも、俺は気分悪いぜ」
「ど、どうした? なにかあったのか?」
半ば無意識のつぶやきを聞き咎められて、思わず伸夫は片眉を上げる。
部屋の入り口に、エプロンエロ忍者が立っていた。
「なんでもねえよ。それよりなにしに来た」
「料理ができたから呼びに来たのだ。カレーという奴だぞ。手伝った私が言うのもなんだが、実に美味しそうな匂いだな、あれは!」
にこにこ笑う薊に、伸夫はすがめた目を向ける。
タイミングができてしまった。
しょうことなしに、伸夫は口を開く。
「それで、実際んとこ、勝ち目はどの程度だ」
「三割。だがこれは、彼奴があれ以上の戦力を隠していないという前提での見積もりだ」
桂湖に聞こえないよう声を潜め、それでも薊は、正直に答えた。
絶望的な観測を。
「もし、彼奴に仲間がいたり、強力な武装を持ち込んでいた場合……極めて厳しい」
その二つがどっちも来ない想定は、さすがに甘すぎる気がするが。
その、甘々の見積もりで三割。
これを普通、勝ち目のない戦力差という。
「一応さ、お前らって魔族の中でも強いほうなんだよな?」
「無論だ。ただ、私たちは変装などの技能も修めねばならなかったし、そもそも生粋の戦士なら、あちらの世界で勇者と戦っているだろう」
「あーそりゃそうか」
「うむ。故に、恥ずかしながら、精鋭中の精鋭とまでは言いかねる」
「んで、向こうはソレってわけか」
「恐るべき手練だ。魔族のいかな英雄とて、彼奴が相手では苦戦を免れまい。あれほどの戦士は、人間全体でも幾人といないはずだ」
「勇者以外では?」
「そうなるな」
となると、転生済みの『勇者』とはどれほどの怪物なのか。
それが、いったい何体、あちらの世界に降り立っているのか。
わかっているだけで、召喚が行われたのは六日置き。
魔族が置かれている窮地が、ようやく伸夫にも想像できてきた。
それにつけても、なんだってそんな化け物を放り込んできたのか。
迷惑千万。
ゴキブリ退治にバンカーバスターかと。
「……ていうかアイツ、俺ら殺したとこで帰れるわけ?」
「さて、私たちの知り得ぬ帰還の術があってもおかしくはないが……あれほどの敵が送り込まれることは、全く想定していなかった。それが見解だ」
つまり、使い捨てということだ。
あの狂人。
もしかすると、上役からも持て余されていたのかもしれないが――
『人間』最強クラス。やすやすと切り捨てられる戦力ではあるまい。
『勇者』さえいなければ。
敵も味方も、その存在に振り回されている。
「勇者、勇者、勇者ってか。あほらしくならんのかね?」
「連中、神のために戦えば、死後はその許へ召されると考えているらしいぞ。異世界で朽ち果てるともそれは変わらぬのではないかな」
自分はまるで信じていない口調で、薊は言った。
それはまあ、自分たちを『穢れ』と断ずるような信仰に、理解を示す道理もあるまい。
しかし、根っからの俗世主義というわけでもないらしい。
「私とて、ここで死んでも、祖霊に迎え入れてもらえると信じている」
そう言うと、薊は胸を叩いた。
乳袋が、誇らしげにたぷんたぷんと揺れる。
その亡骸を、正しく弔ってやれる者は――
ほぼ間違いなく一緒に死ぬだろう、霞しかいないというのに。
薊にとっての、異世界なのだ。
だというのに――!
たまらなくなって、伸夫は意地悪な笑みを浮かべた。
「バァカ! そんときゃこのへんの神社行きだよ。茶ぁしばいてる日本人しかいねえだろうさ」
「ふふ。それはそれで、楽しそうではあるな」
薊は、本気で楽しみなように見えた。
高貴ささえ漂う美貌に、朴訥とした笑みを浮かべる、異世界の少女。
生き延びるために、彼女を利用しなければならない。
伸夫は、真顔になって言った。
「二人ともだ。桂湖も護れ。どっちかでも死んだら負けだと思えよ」
「元よりそのつもりだ。君からケイコを奪わせはしない。ケイコから君を奪わせもしない」
それを当然と、むしろ喜びだと言うように、薊は笑みを深くする。
その大きな胸には、気高い誇りが満ちている。
避け得ない死を、正しく受け入れるための誇りが。
「君は、君たちは、この世界で生きるために生まれたのだから」
だが――
それを、伸夫は認めない。
「それと、お前らもだ」
薊は、ぽかんと表情を失った。
乳袋が、油断したように、ぷるるんと揺れる。
間抜け面だ。
心底おかしくなって、伸夫はにんまり笑う。
「アイツを追っ払ったら綺麗サッパリ終わりになんのか? あやしいモンだぜ。明日トラックに轢かれて死んだらどうすんだよ」
ひどく気分がいい。
何年ぶりかわからないほど、最高に気分が良かった。
誰も死なない。
死なせない。
それでいい。完璧なプランだ。
「だから……神社で茶ぁしばくのは、しばらく先にしろ。わかったか」
実にスッキリした。
伸夫は、満足げに鼻息を吹く。
そして、薊は――
身震いすると、その場に膝を付いた。
伸夫が見知らぬ、薊の種族の礼だった。
「――御意のままに」
短く答えて、薊はすぐに立ち上がる。
晴れ晴れとした笑顔で。
「彼奴を撃退したら、そのジンジャに連れて行ってほしいな。祖霊を祀る場所なのだろう? 挨拶をしておきたい」
「ふん。なんにも面白くねえぞ」
「異郷では大抵のものは面白いとも。なろうことなら力添えも請いたいところではあるが……それは持てる力と知恵を振り絞った後にしておこうか」
つまりそれが、薊の新たな覚悟だった。
安心したら、伸夫の腹が鳴った。
桂湖の買い物に付き合わされて、ずっと腹ペコだ。
「ノブ! 薊! なにしてんのもー、早く食べよ! お腹すいたーーー!」
「わかってんよ! 行くぞ、薊」
「うむ。私も空腹だ」
彼らは揃って飯を食い、言葉を交わす。
明日も生きるために。
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