お題「おめでとう」
百万回のおめでとう
「おめでとう」
僕は何度この言葉をキミに言っただろう。
家が隣同士だった縁で、保育園からの付き合いだった。
嬉しいことが起きたとき、何故かキミは人と話すのが苦手で内気な僕に、一番に報告に来てくれた。
「みてみて、大きな虫を捕まえたんだよ」
「すごいね、おめでとう」
小学校に上がっても、キミはいつも報告に来た。
「みてみて、漢字テスト満点だったよ」
「すごいね、おめでとう」
中学生になっても、キミはいつも報告に来た。
「聞いて聞いて、強化選手に選ばれたんだ」
「すごいね! おめでとう!」
僕がおめでとうと言う度に、キミは少しだけはにかんで、「ありがとう」と笑ったね。
別々の高校に進学してからは、会う機会も減ったけど、キミは僕の姿を見つけては、最近起こった嬉しいことを報告してきたね。
それが僕にとっては、嬉しくないことだったとしても。
「ねぇ、聞いて。私、彼氏が出来たの」
「そう。……おめでとう」
あの時の僕は、ちゃんと笑えてたかわからないけど、キミの恥ずかしそうな笑顔を見たら、祝福しなきゃとは思ったんだよ。
大学生になって、少し嫌な噂を聞いた。
キミが彼氏に暴力を振るわれているって。
僕が例えば、ドラマの主人公だったなら、キミの元へと走っていって、暴力彼氏に立ち向かい、ボロボロになりながらもキミを助けることが出来たのかな。
けど、僕には当然そんなことは出来なかった。
ただただ痛む胸を押さえて、信じてもいない神様に祈ることしか出来なかった。
「あのね。あの彼氏とは別れたの」
社会人として働き始めた頃に、騒がしい居酒屋のカウンターで、キミはポツリとそう言った。
「そうか。……うん。おめでとう」
キミに悟られないように、人生で一番の「おめでとう」を僕は言った。
「ていうか、アナタはどうなのよ? 彼女作らないの?」
僕の顔を覗きこむようにして、赤ら顔のキミが聞いてくる。
「僕はそういうの苦手だから。こんな僕を好きになってくれる人なんていないよ」
「はぁぁ。アナタみたいに優しい人、なかなかいないのにね。ホント、世の中の女は見る目がないねぇ」
酔っ払ったキミはそう言ってテーブルに突っ伏した。
その理論で言えば、一番見る目がないのはキミじゃないの?
その言葉は口に出さずに心の中にしまっておいた。
「おめでとう」
僕は何度この言葉をキミに言うだろう。
「みてみて、先生に絵がじょーずって言われたよ」
「ほんとだね。おめでとう」
園児のキミが誇らしげに絵を見せつける。
「聞いて聞いて、劇の主役に選ばれたんだ」
「すごいね。おめでとう」
キミは衣装を試着し、僕の前でくるりと回ってみせたね。
高校に入ってからは、なかなか口も聞いてくれなくなったけど、大学に合格した知らせは、一番に僕にしてくれたね。
「おめでとう」
心の底から出た言葉だったよ。
そして――澄みきった青空の下、純白に包まれるキミを見て、僕は笑顔でこう言ったんだ。
「おめでとう」って。
いや、本当は泣いていたとか、そういうのは無しにしよう。
「おめでとう」
僕は何度キミにこの言葉を言えるだろう。
「みてみて、ピーマンも食べれるようになったんだよ」
「すごいね、おめでとう」
誇らしげに笑うキミが可愛くて、思わず僕まで嬉しくなってしまう。
「ほら、来月から小学生になるんだよ」
「似合ってるよ。おめでとう」
ニコニコと制服を合わせるキミを、今度は僕が誇らしく思ってしまう。
大きくなるにつれて、中々会えなくなったけど、それでもキミは会うたびに、僕に最近の出来事を話してくれたね。
「おめでとう」
「おめでとう」
「おめでとう」
******
清潔に保たれた病室に、機械的な呼吸音が響いている。
酸素マスクを取り付けられ、眠っている老人の手を、一人の老婆が優しくにぎる。
「アナタはいつも人のことばっかり」
老婆が彼の顔を見て、ふっと笑みを漏らす。
「おめでとう、おめでとうって。自分のことは棚に上げて」
その表情が、徐々に悲哀に満ちてくる。
「アナタは自分の魅力に気付いてなかったのよ。私はずっと気付いてた。だから一番にアナタに報告するの。アナタの『おめでとう』には、愛が一杯含まれているから」
老婆は唇を噛み締める。
「だから私も、娘の美恵も、孫の莉奈も。アナタに喜んで欲しくて、アナタの『おめでとう』が聞きたくて、アナタに一番に報告したのよ」
老婆の目から涙がこぼれ落ちる。
「ずっと、ずーっとアナタに言うわ」
老婆はしわがれた手で涙を拭った。
「ありがとう。……アナタ、ありがとう」
老人の目は閉じられたままだ。
「空の上でまた会えたら、今度は私から言うからね」
――また私に会えたわね。……おめでとう。
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