お題「三周年」

三年なんて~千鶴と祖母の店~

広大な敷地を誇る駐車場に整然と並ぶのぼりには、「三周年記念祭」という文字がおどっている。


大学生の千鶴ちづるは風にはためくのぼりを横目に見ながら、道向かいの小さな雑貨屋へと足を運ぶ。


「婆ちゃん、来たでー」


立て付けの悪くなった引き戸をガラガラと開け、千鶴は店の中へ声を掛ける。


「おー。いつも悪いなぁ」


木製のカウンターの奥で腰を掛け、頭だけ出していた老婆が千鶴を見やりしわがれた声を上げた。


店内は薄暗く、埃と薬品の臭いが千鶴の鼻をくすぐる。


千鶴の祖母が営む雑貨屋は、昭和の時代からタイムスリップしてきたかのようなおもむきがある。


おもむきというと聞こえはいいが、ようは古臭く、時代遅れな店ということだ。


それでも、これまでは地元の何でも屋として細々と利益を出してきた。


しかし、それも道向かいに巨大なショッピングセンターが出来る三年前までだ。



ド派手なオープニングセールを皮切りに、地元では初めて出店されるコーヒーショップや、ゲーセンや映画館などのレジャー施設も擁する巨大な城塞の前では、祖母の店など竹槍兵にも満たない小さな存在だ。


当然、地元の住民も祖母の店などまるで初めから無かったかのように、その足をショッピングセンターへと向ける。



「三周年記念祭やって」


千鶴が四角いガラス越しの城塞を睨みつけるようにして祖母に告げ、カウンターの中に入り、祖母と店番を代わる。


「なぁにが三周年や」


祖母がゆっくりとイスから立ち上がり、その折れた腰にしわがれた手を当てる。


「あっちが三周年やったらこの店は五十五周年やわ。ほんで、あては七十八周年やわな」


そう言って祖母はカッカッカと喉を鳴らし笑う。


「千鶴、三年なんかあっと言う間やで」


そう言って笑いかける祖母につられて、千鶴も笑みを零す。


幼い頃の記憶にある元気な祖母の姿も、今は見る影もなく小さくなっている。


でも、千鶴はいくつになっても、この祖母の事が好きだった。


叱られて頭を叩かれたこともある。しかし、そんな時祖母は泣きべそをかく千鶴に、決まって店にあるプラスチックの箱に入った甘辛いスルメを黙って差し出してくるのだった。


泣きながらしゃぶったあのスルメの味は、今でも鮮明に思い出せる。



「ほな、あては飯食ってくるから、千鶴ちょっと頼むな」


そう言って奥に引っ込んでいく祖母の背中を見送り、千鶴は一人カウンターに頬杖をついた。


店番とは言っても、客はめったに入って来ない。


この店に来るのは百円玉握りしめて駄菓子を買いに来る近所の小学生か、祖父の知り合いで付き合いのある人間だけだ。



「こんにちはー」


と引き戸が音を立ててその【めった】が顔を出した。



「あぁ、松本のおっちゃん。こんにちは」


千鶴は顔を上げ、その来客に挨拶をする。


年の割にはしゃんと立ったその老人は、油で汚れた作業着姿のまま千鶴の前まで歩いてくる。


「おお、ちづちゃんが店番やったか。ちょっと洗剤無くなってもうてな」


そう言って本数の少なくなった歯を見せ笑う老人に対し、千鶴も笑顔で「赤いデカイやつやったっけ?」と返す。


「そうそう。あれ、あるか?」


「確かこっちのほうに……」


と千鶴がカウンターを離れ、棚をまさぐる。


「あぁ、あった、あった」


目当てのものを見つけ、千鶴がよいしょと声を上げ商品を引っ張り出す。中々の重量があるのか、両手に力を込めカウンターにどかりと置いた。


「ふー。……おっちゃん、結構重いけど持てるか?」


「アホいうなや。ちづちゃんに負けるような細腕やないで」


と老人が腕をまくり筋肉を見せつけてくる。


確かに、その腕には見せかけだけではないであろう使い込まれた筋肉が浮いていた。


「そらそうか。でも松本のおっちゃん、洗剤だけならあっちのショッピングセンターのほうが安いやろ」


と千鶴はアゴで窓の向こうを指す。


「ちづちゃん、そないなこと言うて、あっちの味方なんか?」


と老人が笑う。


「それは、ちゃうけど……」


「わしはここがええんや。あっちはポイントがなんやカードがなんや言われるやろ? わしゃあんなん苦手やで」


そう言って老人はしかめっ面をして手を振る。本当に嫌そうだ。


「それにな。こことはちづちゃんが生まれる前からの付き合いや。人間、繋がりっちゅうのは大事にせなあかんからな」


「ふふ。今後もよろしくお願いします」


千鶴は老人にお礼を言い、洗剤を手渡しする。


「ほな、せっちゃんにもよろしく言うといてな」


そう言って老人は大きな洗剤を片手で持ちながら店を出ていく。



――ありがたいなぁ。


千鶴は老人の背中を見送りながらしみじみとその思いを噛み締める。



「千鶴、ありがとうな」


再び頬杖をついていた千鶴の後ろから声が掛かる。


「あぁ、婆ちゃん。もうええの? ゆっくりしててもええで?」


「裏でゆっくりするのも、ここでゆっくりするのも一緒や」


そう言って祖母が笑う。


「それも、そうか」


そう言って千鶴も笑う。


「ほな、婆ちゃん、なんかあったらすぐ電話してきてな」


千鶴が立ち上がり、カウンターの定位置を祖母に譲る。


祖母がゆっくりとそこに座るのを見届けてから、千鶴は出口へと向かう。


「なぁ、千鶴」


祖母の声が聞こえ、千鶴は振り返る。


「三年なんかあっという間やで」


そう言って微笑む祖母を見た瞬間、千鶴は何故か涙が出そうになり、思わず奥歯を噛み締めた。


「……うん、そうやな」


そう言って窓の外に映る幟を見やる。【三周年記念祭】の文字が風に揺れている。


「……こっちは五十五周年やで」


千鶴は引き戸に手を当て、胸を張り、どこか自慢げに表へと出た。

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