お題「ルール」
僕とおじさんとルール
僕の通う学校までの通学路には「通ってはいけない道」がある。
それは、川沿いにある細い道で、道の入り口には【許可なくここを通るべからず】と赤い文字で強く書かれた看板も立てられている。
学校に行くには、本当はそこを通ったほうが近道なんだけど、先生や親も「あそこは通るな」と口を揃えて言うんだ。
でも、ある日僕は朝からお腹の調子が悪くて、いつもよりかなり遅い時間に家を飛び出した。
背負ったランドセルをガチャガチャと鳴らしながら懸命に走る僕の目の端にあの看板が映った。
僕は少しだけ通り過ぎた後、急ブレーキをかけて立ち止まる。
――あそこを通れば、絶対間に合う。
焦りが理性を吹き飛ばし、僕の足を「通ってはいけない道」へと向けさせたんだ。
看板を避けるように身体をくねらせ、急ぎ足で学校へ向かおうとしたその時だった。
「オイ! コラァ!」
野太い怒号が響き、僕の身体は電気ショックを当てられたように硬直した。
「おいおいコラァ。ガキ、看板が見えへんかったんかぁ?」
僕はゆっくりとした速度で声の主へと顔を向ける。
そこには、首元がだるだるに伸びたシャツを着た、小汚いおっさんがいた。
頭は白髪の混じった坊主で、短いヒゲがまだらに生えている。細い身体の割には、首元の皮は余ってだぶついていた。
「あ、あの……」
僕は恐くて言葉を続けられなかった。
「ガキ、ここ通ったあかんて知らんかったんかぁ? おお?」
おじさんが目をひん剥いて僕に凄んで来る。
「知って……ました……」
消え入りそうな声で僕が答えると、おじさんはなお一層目を開いて僕を見つめてくる。
「ここはなぁ。ワシの家の前や。だから誰も勝手に通ったらあかん、そういうルールにしてるんや」
僕はおじさんの目に食べられる。と思うくらいおじさんの目は大きく、近かった。
でも、何故かその時、僕は腹が立っていた。
学校に行かないといけない焦りと、理不尽なおじさんの物言いに、段々頭が熱くなっていたんだ。
「で、でもそんな法律はないでしょ!?」
震えながらも、必死で言い返す。
「法律ぅ? ガキ、法律は誰が作るか知ってるか?」
おじさんが本数の少なくなった歯を見せてにやりと笑う。その笑顔も、気持ちが悪い。
「せ、政治家でしょ? 知ってるよ」
最近習ったところだ。しほう、りっぽー、ぎょうせーだ!
「おお、ガキ、よう知ってるやんけ。ほんならなんであいつらは法律というルールを作ると思うんや?」
「なんでって……。ルールを作らないと、めちゃくちゃになるからでしょ」
みんなが信号を無視したら、町は大混乱だ。
「ははは。甘いな、ガキ。ルールってのはな、おもんないことを無くすために作るんや」
「おもんない?」
おじさんの言葉がよくわからず、僕は首を傾げる。
「そうや。かくれんぼで鬼が初めから目ぇ開けてたらおもんないやろ。じゃんけんで全部に勝つ形作ったらおもんないやろ。だからルールを作って【おもんない】ってのを無くすんや」
わかんない。僕にはおじさんの言ってることが全然わかんない。
わかんないからおじさんの顔をじっと見る。
「ワシはな、ワシの家の前を人がうろちょろすんのがおもんないねん。だからここを通行禁止にしたんや」
「それは……おじさんの勝手だよね?」
「そうや、勝手や。いいかガキ、一つだけ教えといたるわ。ルールはな、守ったらおもろい。でも、作ったらもっとおもろいんや」
そう言っておじさんはガハハと笑った。
「だから政治家は中々辞めたがらんのや。法律っていう一番でかいルールを作る仕事やで。こんな楽しい仕事ないわな」
と小学生の僕にツバを飛ばして必死で訴える。
「まぁ、ええわ。とりあえずそういうことやから、回れ右してはよ帰れ」
感情の動きが激しいおじさんは、急に冷静になりシッシッと犬にやるように僕に手を振った。
――僕は嫌だと思った。
ここで帰ると、何故か負けたような気がしていた。このおじさんに、負けたくなかった。
「じゃあ、僕は、僕がここを通っていいってルールを作るよ!」
「なにぃ?」
家に戻ろうとしていたおじさんが凄い顔で振り返る。
「うん。通っていいっていうルールを作ったから、通るよ」
そう言って脇を通ろうとする僕をおじさんが引き止める。
「まてまて。おいおい。そんなんが通るわけがないやろ」
「通るよ。だっておじさんが言ったんだよ。ルールは【おもんないことを無くす】ことだって。僕はここを通れないのがおもんない。だから通れるルールを作るよ」
「このガキぃ!」
そう叫ぶと、おじさんが凄い剣幕で腕を振り上げた。
僕は恐怖のあまり目をギュッと閉じた。
でも、おじさんの手は、優しく僕の頭に乗った。
その後、ぐりぐりと強く撫でられた。
「そうや! それでいいんや! ガキぃ、ルール作るのはおもろいやろ!」
そう言ったおじさんは、ものすごい笑顔だった。さっきまで気持ち悪いと思っていたけど、いまのおじさんはなんだか優しそうだった。
「うん!」
「よっしゃ! ほんなら、お前だけは特別に通したるわ! はよ学校行けよ!」
そう言っておじさんは、手を振って家の中に入っていった。
僕は少し軽くなった足を振り上げ、学校へと走り出した。
頭の中に、おじさんの言葉が残っていた。
理解は出来ないけど、何故か強く残っていたんだ。
――ルールを守るのはおもろい! でも、ルールを作るのはもっとおもろい!
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