お題「シチュエーションラブコメ」
大人、一枚。
「大人、一枚」
この言葉を言うことに慣れたのはいつの頃からだろう。
僕は今年高校を卒業した。
でも、大学には受からなかった。
だから、今の僕は「学生」でも「成人」でもない。ただの浪人生だ。
学割も効かなければ、当然シニアでもないし、もちろんレディースでもない。
なのでこんな若造の僕でも、映画館では「大人」の区分となる。
「はい、【ライフイズビューティフル】大人一枚ですね」
マイク越しに女性の声が響く。
お金を受け取り、チケットを用意する彼女を注視してしまう。
作り物みたいに白い肌、少しカールした長いまつ毛、肩まで伸びた髪はほんのりと茶色がかってキラキラと光を反射させている。
年は二十台前半だろうか。可愛らしい容姿のせいで幼くも見える。
僕がこの映画館を見つけたのは、勉強の気晴らしで出かけた春のことだった。
ゲーセンやパチンコ屋の騒音が響く商店街から逃げるように立ち入った路地裏に、それはあった。
間もなく平成も終わろうという時に、そこだけ昭和のまま取り残されたような、古ぼけた映画館だ。
上映している映画も、新作ではなく昔の名画を順繰り流しているような時代遅れの映画館。
でも、何故か僕は誘われるかのようにチケット売り場の前に立っていた。
「がく、せい……ではなかったか。大人……一枚」
プラスチックの板に開いた穴に向かって告げると、うつむき気味に作業をしていた女性が顔を上げた。
――その瞬間に、僕は恋に落ちた。
「はい、こちらどうぞ」
回想の世界にいた僕が、彼女の言葉で現実に引き戻される。
細く、小さい指の先でチケットつまんで差し出してくる。
「ありがとうございます」
彼女からチケットを受け取ると、板越しにやわらかな笑顔が咲いた。
「なにかと映画ファンの間でも話題になる作品ですからね。見ておいて損はない作品だと思いますよ」
そう言って彼女は一人でうんうんと頷いた。
その仕草があまりに可愛くて、僕は少し顔が熱くなり「そうですか」とつれない返事を残して劇場へと向かっていった。
――最悪だ、このダメ男。
自分で自分を責めながら、劇場内の古いダイドーの自販機でオレンジジュースを買い、席へと向かった。
*****
そしてまた数日後、懲りずに僕はチケット売り場の前にいる。
「パラノーマルアクティビティ、大人一枚」
ここは二つしか上映作品がないので、適当に時間の合う作品を告げる。
「ホラーとかも観るんですね」
板の向こうの彼女が意外そうに上目遣いで問いかけてくる。
「え、これホラーなんですか?」
彼女の目線と言葉の内容に動揺しながら聞き返す。
「めちゃんこホラーですよ。ってか、すごい有名な作品なんですけど、知らなかったんですか?」
いつもより、少し崩れた口調で彼女が言ってくる。
「……すいません」
「あ、いや、別に責めてるわけじゃないですよ」
彼女が狭い空間で手を小さくぶんぶんと振る。
「ただ、ウチみたいなガラガラの劇場で観たらおしっこ漏れるかもしれませんよ」
今度はそう言っていたずらっぽく笑う。
「じゃあ、一緒に観てくれます?」
「えっ?」
「えっ?」
僕は、自分で発した言葉が信じられずに目をひん剥いて彼女を見た。
彼女も板の向こうで同じようにくりくりの大きい目をさらに大きくしていた。
「い、いや! なんでもないです!」
僕はそう言って、彼女の手からひったくるようにチケットを受け取ると、逃げるように劇場へ入っていった。
映画の内容がどうであろうと、さっきの自分の言葉よりホラーなものはないと思えた。
******
その日からしばらく、劇場から足が遠のいてしまっていた。
次に会った時に、どんな顔をすればいいのだろう。
キモい男だと思われただろうか。
それともあくまで客と従業員という立場で接してくれるだろうか。
もしくは、彼女ほどの年齢と容姿であれば、そんな色恋沙汰なんて腐るほど経験済みで、僕のあんな言葉なんて気にするほどのことではないのだろうか。
色んな思いが交錯して、でも、彼女への思いも膨らんで、いよいよ辛抱しきれずに、僕の足は無意識に映画館へと向かっていた。
プラスチックの板が近づいてくる。
僕の鼓動が強くなる。
板の先には、いつもと変わらない様子で、彼女がちょこんと座っていた。
「あ、えーっと、この【グットウィルハンティング】、大人一枚」
少し声が震えてしまった。手汗が滲む。
「お久しぶりじゃないですか?」
僕の声を無視するように、彼女が上目遣いに声を掛けてくる。
「あ、あぁ、その……」
「今日だったら、こっちの【ショーシャンクの空に】のほうがおすすめですよ」
戸惑う僕を気にも留めずに、彼女が言葉を続ける。
僕は促されるようにそちらの作品の上映時間を見た。
ついさっき上映が始まったばかりで、次の上映時間は二時間ほども後だ。
「え、でもこれ始まったばっかりじゃ……」
「私、今日六時で上がりなんですよね」
「え?」
件の上映時間は、六時二十分だ。
「それって……」
「久しぶりに映画観たい気分だなー」
彼女はそう言って小悪魔のような微笑みを向けてくる。
「……じゃあ、それを、大人一枚」
彼女は大きく頷き、嬉しそうにお金を受け取る。
かわりに僕は、彼女から「大人」のチケットを受け取った。
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