地球へ帰ろう
あの騒音機が静かなことに違和感を覚えた俺は、手足を拘束されて倒れているマリーの元にかけよった。
地面に屈服して動かないマリーの両肩を持って仰向けにする。
「おい、マリー。いつまで寝てるんだ。起き——」
——冷たい。
顔が真っ青で、息が詰まったような小さな呼吸。目、鼻、口のあらゆる箇所から出血している。素人目でもわかる異常事態だ。
俺は、ふと気になり、マリーの服をめくると矢が刺さった背中を確認する。
「傷口が紫に変色してやがる……。ゴブリンのやつ、矢に毒を塗ってたな」
「そ、そんな……!?」
隣にいたユキが、口を手で押さえて、大きく目を見開く。
出会って間もない相手に、そんな苦しそうな顔をしてやれるとは……ユキは、優しいな。
「ユキ、マリーから離れてくれないか? 治療する」
「で、できるんですか……?」
「多分な」
と言って、俺は袖をまくり上げる。
まずはマリーを縛っている縄を解いて、背中の矢を抜く。
本来なら、矢を抜いた時点で激痛が走るが、毒が回りすぎて痛覚も鈍っているようだ。反応が薄い。
「パルドさん、その取り出された小瓶はいったい……?」
「これか?アーロム特性の解毒薬だ。どんな毒でも吹き飛ぶ」
「なるほど、それを飲ませるんですね」
「いや、違うぞ」
俺はユキの言葉を否定すると、小瓶の蓋を開ける。
そして、その中身を傷口にぶっかけた。
「あああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!」
絶叫。まさに悲鳴と言える大声をあげたマリーは、カッと目を開くと飛び起きた。
初めて使ったが、マリーの顔が健康的な肌色に戻っている。アーロムの薬はすごいな。
「もう少し丁寧に治療しなさいよ!痛かったんだから!痛かったんだからね!」
よほどの激痛が走ったのだろう。
マリーは俺を指さして、わなわなと震えながら、涙を浮かべる。
この減らず口は、さっきまでのマリーだ。
「ど、毒……、治ったんですか?」
重傷だったマリーが、一瞬で元気になったからだろう。ユキは緊張の糸が切れたように、へたれ込んだ。
「ゴメン、ユキちゃん!心配させちゃったね!ユキちゃんの可愛さで、元気100倍になったから、もう大丈夫よ!」
「ちょ、ちょっと、やめてください!」
すっかり元気になったマリーは、目を怪しく光らせながら、ユキに抱き着く。荒い鼻息をかけられて頬ずりされながらも、ユキはもがいて抵抗するが、マリーはびくともしない。
「マリー、ユキを放せ。まだ仕事が終わってないんだ。ユキには、まだまだ教えることがある」
「いやよ!もう少しユキちゃんを堪能——」
「仕事が終わってない。頼むから、時間を無駄にさせないでくれよ」
「あーもう!くそ真面目なんだから!」
マリーは渋そうな顔をしてユキを開放する。手がゆるめられた瞬間、ユキは俊足で飛びのいて、俺の背中に隠れた。
「パ、パルドさん……ありがとうございます。た、助かりました……」
「気にするな」
「しかし、すごい薬ですね……。あの状態から、あそこまで体力を取り戻すなんて……」
「身体を張る危険なバイトだからな。安全面は保証されてるってことだ。ちなみに解毒薬どころか、蘇生薬も存在する異世界だから、万が一の時も安心だ」
「そ、そうですか……」
ユキは若干複雑そうな表情を浮かべる。同時に少し安心してる節もある。
まあ、いくら安全が保証されてるからと言って、誰も毒を受けたくないし、死にたくもない。だから、アーロムにきた地球人の大半は、ユキのような煮え切らない表情を浮かべる。
「それじゃユキ、これからチェッカーズとしての仕事だ。このナイフで、ゴブリンの皮膚を採取してこい」
「う……わ、わかりました……」
ゴブリンでも生き物だ。戦い慣れしていないユキにとっては、採取のために死体に触るなんて真似は、気持ち悪くて仕方ないだろう。
でも、異世界でチェッカーズとして働くには、乗り越えないといけない壁だ。
この壁を乗り越えきれなかった人達は、俺が知る限り、この一年でことごとくバイトを辞めていった。
ユキは、この壁を乗り越えてバイトを続けられるだろうか?
俺は、一抹の不安を得ながら、気分をわるそうにしているユキを見送ると、後ろで静かに見守っていたメイナに話しかける。
「メイナ、助かったよ。毎回、仕事を手伝ってくれて、ありがとな」
「……気にしないで。あたしが、したいだけだから……」
そう言って、メイナは木に背中を預けて空を眺めた。
本当にメイナのおかげで仕事が順調に進む。近いうちに、しっかりとお礼をしないとな……
「お、おい。メイナ!手を怪我してないか?」
「……ううん。返り血だよ」
「そ、そうか……。まあ、早く拭いた方がいい。これやるよ」
俺は駅前でもらったポケットティッシュをメイナに渡す。
よくよく見ると、メイナの綺麗な金髪や肌にも血が付着している。
戦いで返り血なんてかかって当たり前だけれど、申し訳なさが相まって、見るに堪えなかった。
「メイナちゃん、拭くの手伝うよ!」
不貞腐れていたマリーは
マリーが羨ましい。血を拭くのを率先して手伝いたかったが、童貞の弱い心で美人の女性の身体に触れるのは、ハードルが高すぎる。
メイナは胸当てを外し、上着を脱ぐと身体中に付着した血を拭き始めた。
太陽の光も弾く、美しい玉の肌。首筋から腰にかけて、ほっそりした身体のライン。しかし、出るものは出ており、整った胸――
――ってノーブラ!?
何をやってるんだ、俺は!
女性が上着を脱ぐんだから、多少なり気を遣えよ!
今更ながらメイナ達に背を向けるとブンブンと首を振り、煩悩を払う。
ダメだ。視野に入れたのは一瞬だというのに、脳内に焼き付いてしまった。
体温が上がり、頬が赤くなっているのが自分でもわかる。
「……な、なんで付けてないんだよ」
言い訳がましく独り言を呟くが、よく考えれば、ここは異世界だ。
ブラジャーなんて概念無いんだろう。それ抜きにしても、男の俺がジロジロと見るのはマズかった。
「あ、メイナちゃん。形の整ったおっぱいしてるねー」
「……」
「ツンツン」
「……そんなところ、触らないで欲しい」
――ヤバい。イケナイ妄想が脳内に蔓延って、聞き耳を立ててしまう。
このままじゃおかしくなる。
そ、そうだ。仕事をしよう!
ユキの回収作業は順調だろうか? バイト初日だし、先輩の俺が支えるべきだ!
「ふぅ……、ありがとうございます。パルドさん」
「お疲れ様。これは貴重なサンプルになるから、帰る際に静子さんに提出しとけよ」
俺も多少サポートしたが、ユキは長い格闘の末、無事に回収作業を終えた。
皮膚の切り取りや血を見たことで、気持ち悪さを堪えた顔をしているが、仕事をやり遂げただけ、芯の強さが伺える。
ただ、何度もやらせるのは酷か。今後の回収作業は、できるだけ俺がやった方がいいだろう。
「さて、メイナ達はどうだ?」
全身赤く染まっていたメイナの血拭きも終わったらしく、とりあえず全て一段落着いたようだ。
何とか仕事をやり終えた達成感が満ちると、俺は腕輪で時間を確認する。
「マリーとユキはいくつだ?」
「私は、17だけど」
「僕、16です」
俺含めて、バイトメンバーは全員高校生か。なら勤務時間は同じだ。
「あと少しで22時になる。早く帰るぞ」
「もうそんな時間なの? 早いわね」
高校生は法律で午後22時から午前5時の深夜時間帯労働は禁止されている。
万が一、守れなかったら、マネージャーから説教どころか、「法律を守れない者達は、辞めてもらいます」とか言われかねない。
「……パルド、地球に帰っちゃうんだね……」
「うっ……」
この表情、苦手なんだよな……
俺が地球へ帰る時は、見送ってくれるのだが、俯いて、とても寂しそうにする。
嗚咽を堪えながら抱きついて「帰らないで」と言われたこともあった。本来、そんなシチュエーションは思春期男子は下心を暴走させるが、そんな欲求が湧かないほど、メイナは辛そうにしており、俺に何かを求めていたのは今でも覚えている。
「メイナちゃん、大丈夫だよ。またくるから」
マリーは微笑みながら、励ますようにメイナの肩をぽんぽん優しく叩く。こういう時は、こいつのお気楽さがこれ以上無いほどに頼もしい。
「……うん。また来てね」
メイナは、俺にどうして欲しいのだろうか――
知り合って一年になるが、今だに俺はメイナのことを何も分かっていない。
「さあ、みんな!時空渦管理施設にレッツラゴーよ!さっさと帰るわよー!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます