第二章 ロウと一緒(現在)
二十二、パンとお菓子の店『すきま家』
お店を開いた一年前のことを、ふと思い出してしまった。私も今は十六才だ。今ではこうして順調にお客さんも来てくれるけれど、最初は大変だったなぁ。
ロウはパン粥をちゃんと全部食べきれるだろうか。心配だ。そういえばムーさんのことをまだ紹介してなかったな、と思い出す。
店に出てみると、入ってきたのは常連のお客さんだった。
「いらっしゃいませ。こんにちは、サラさん」
「こんにちは、ウメちゃん。この間のクリームパンすっごく美味しかったわよ」
「それはよかったです。喜んでいただけて嬉しいです」
サラさんはうちの店によく来てくれるお客さんで、二十代後半くらいのキリリとした美女だ。いつもタイトなジャケットとスカートを着こなしていて、いかにもバリキャリといった感じで格好いい。
(サラさんはいつも格好いいなぁ。それにひきかえ……)
一方私は膝下丈の黒いワンピースに焦げ茶の編み上げブーツ、それに白いエプロンを身に着けている。私の仕事着はサラさんと比べるとかなり子供っぽい。私は本当に子供だし、別にいいんだけどさ。
そしてサラさんは私の作るお菓子の大ファンだ。サラさんの『美味しかった』を聞くといつもフワフワと嬉しい気持ちになるのだ。
「フフ。それでね、表の黒板に書いてある『サツマイモとリンゴのパイ』っていうのはまだあるかしら?」
「ええ、ありますよ。ホールとピース、どちらにしますか?」
そう尋ねると陳列棚のパイを見てサラさんが嬉しそうに微笑んだ。
「そうねぇ。……リンゴの甘い香りが堪らないわ。私はリンゴが大好きなのよね。でも流石にホールだと際限なく食べちゃいそうだから、三ピースだけいただくわ。体重計に乗るのが怖くなっちゃうといけないもの」
「承知しました」
私は陳列棚のパイを切り分けて、トングで三ピースだけ紙の箱に移した。それを受け取ったサラさんが嬉しそうな顔で尋ねてきた。
「おいくらかしら?」
「三ピースで千二百リムになります」
「千二百リムね。……はい、どうぞ」
「……ちょうどですね。毎度ありがとうございます」
「また来るわね。どうもありがとう」
お客さんの嬉しそうな顔を見ると私も嬉しくなる。店を出ていくサラさんの背中を見送ったあとにぱっと振り返ると、いつの間にかロウがカウンターの傍に立っていた。
いつから見ていたのか、ピコピコと狼耳を動かしながら興味深そうに店の中を眺めているロウと目が合う。
ニヤニヤしていた自覚があるのでなんだか恥ずかしくなってしまう。ロウは私の顔を覗き込んでニコリと笑った。
「ウメ、嬉しそうだ」
「うん。お客さんに美味しかったって言われたのが嬉しかった……」
「そっかぁ。……ねえ、ここは何を売っているお店なの?」
身を乗り出して聞いてくるロウの赤褐色の瞳がきらきらと輝いている。興味津々といった様子だ。
「パンとお菓子だよ」
「へぇ」
ロウが感心したように陳列棚を見渡した。今陳列棚には、さっきサラさんが買っていった『サツマイモとリンゴのパイ』くらいしか残っていない。今朝はロウの看病をしてたから一種類しか作れなかったんだよね。
「一種類しかないね」
「う……。昨日だいぶ売れちゃったから。いつもはもっとあるんだからね!」
「そうなんだ。……うん? この陳列棚、なんだか魔力を感じる」
ロウが陳列棚の前に近付いて顔を近づけた。私はロウの指摘に驚いてしまう。魔力を感じることができるなんて、本当にこの子は何者なんだろう。
「この陳列棚には時間停止の魔法がかかってるんだよ」
「時間停止?」
「うん。これにお菓子を載せておけば商品が劣化しないんだ」
売れ残っても状態が変わらないから、とても重宝してるんだよね。この家って本当にいろいろと便利仕様だ。
「そうなんだ、凄いね。魔法の陳列棚か……。ウメが魔法をかけたの?」
「ううん、もともとかかってたの。この家の前の住人がかけたんだと思う」
「……だから魔法の家って呼んでたんだね」
「うん」
ロウが不思議そうに陳列棚のパイをじっと見ていると、どこからかグゥと音が鳴った。反射的にバッと自分のお腹に手をやって確認してみたけど、音が鳴ったのは私のお腹じゃなかった。
もしかして……。私と目があったロウは顔を赤くして恥ずかしそうにモジモジしながら呟いた。
「美味しそう……」
自分の料理を美味しそうって言ってもらえるのはとても嬉しい。それにしても、パン粥を食べたばかりなのに食欲があるなんて、それだけ元気が出てきたってことかな。
嬉しくなったのがばれるのが恥ずかしくて、なるべく顔に出さないようにロウに声をかけた。
「……食べてみる?」
私の言葉を聞いてロウの表情がパアッと明るくなった。そしてロウが恐る恐るといった様子で尋ねてくる。
「いいの……?」
「いいよ。準備するから窓際のテーブル席に座って待ってて」
パイを食べられるのが嬉しいのか、ロウの鈍色の尻尾がブンブンと左右に揺れている。
ワクワクしながら窓際のテーブルで待つロウの目の前に、私は切り分けたパイを一つ皿に載せて出してあげた。
手掴みでパイをパクリと一口食べたロウが驚いたように目を瞠る。
「……サクサクして甘酸っぱくて美味しい」
私の作ったパイを美味しそうに頬張るロウの顔を見て、ほわっと幸せな気持ちが溢れてくる。そして頬にパイの欠片をくっつけながら、両手でパイを無心に頬張るロウが反則的に可愛い。私はニマニマと笑いたくなるのを懸命に堪えた。
「……あれ?」
パイを食べ終わったロウが、肩を回しながら耳をピコピコさせて不思議そうに首を傾げた。
「どうしたの?」
「体の痛みが……なくなってる」
「そう、よかったね」
全く驚かない私の反応を不思議に思ったのか、ロウが私のほうを見て、こてんと首を傾げた。
「なんでだろう。あんなに痛かったのに……。傷もほとんど塞がってる」
包帯をしてない部分の傷を確認したロウが驚いたように目を丸くしている。傷が治ったみたいでよかった。
「もしかして、これもこの家の魔法……なの?」
「あー……。これは違う」
ロウは理解不能といった感じで首を傾げた。あんまり言いたくはないんだけどな。さて、なんて説明しようか。
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