二十三、魔法の手

 私が六才のとき、まだ土がついている野菜を近所の人から貰ったことがあった。それを洗って手際よく包丁で切っていく父さんの手元を見て、私は『はぁ』と感嘆の溜息をもらした。

 この土のついた野菜が父さんの手であんなに綺麗で美味しい料理になるんだ。私は父さんの手元を見ながらいつもワクワクしていた。


『父さんは凄いね。こんなごろごろした野菜が凄く綺麗で美味しい料理に変わるんだもん。まるで魔法みたいだ』

『ハハッ、魔法かぁ。父さんは魔法使いってことか。じゃあこの手は魔法の手だな!』

『魔法の手……?』


 私は父さんの言葉にワクワクして自分の手をじっと見つめた。


  §


 私はロウと話しながら、ふと蘇ってきた古い出来事を思い出した。この世界に来たとき、父さんの魔法の手には遠く及ばない私の手は、正真正銘の魔法の手になってしまった。私は間違えないように一言一言慎重に言葉を選びながらロウに説明を始めた。


「私は食べ物を作るときに付加効果エンチャントを付けられるんだよ。魔力を使ってね。さっきロウに出したパン粥を作るときに治癒の効果を付けておいたんだ」

「えっ、そんなことができるの!?」


 ロウが驚いたのか目をぱちくりさせている。やっぱり俄かには信じられないみたいだ。私もこの変な能力にすぐに気付いたわけじゃない。


 この世界に来たばかりのころ、疲れが溜まっていたからなのか、酷い頭痛に悩まされたことがある。この家には薬ってものが置いてなくて、どうやったら頭痛を鎮めることができるか分からなかった。


『頭が痛いなぁ……。お腹も空いちゃった……うう』


 頭が痛くてもお腹は空く。私は頭痛を堪えて食事を作ることにした。

 そしてスクランブルエッグを作りながら無意識に願ってしまった。少しでも早く頭痛が収まってほしいと。そのとき体の中で何かが動いたような感覚がした。


『この感覚はもしかして……魔法が発動した?』


 私はそれが私の中にある魔力が減った感覚だとすぐに分かった。

 そして出来上がったスクランブルエッグを食べてみてとても驚く。


『嘘……。頭痛が収まってきた……』


 あれほど酷かった頭痛がすうっと引いていった。痛みが引いたのはなんとなく魔法によるものだろうと分かった。それが初めて料理に付加効果を付けることができると分かった出来事だったんだ。

 そしてどうやら付けられる効果は治癒だけではないみたいだった。まだそんなに試したわけじゃないけど、他のエンチャントも付けられることが分かっている。


(魔女じゃないなんて言っておいて、魔法が使えるなんて信じてもらえないかもしれないな……)


 ロウにそう説明しながらも半分は『信じてもらえないかも』って諦めてる。ロウが魔法を使えるなら分かってもらえるかもしれない。

 だけど私は今のところ、この世界で私以外の他人が魔法を使っているのを見たことがない。だから信じてもらえなくても仕方がないって思ってる。

 私の説明を聞いたロウが赤褐色の瞳をきらきらさせながら嬉しそうに言った。


「凄いね、ウメ!」

「え? 信じれくれるの?」

「うん、信じるよ。だって実際に僕の傷は治ってるんだから」

「そっか」


 ほっとしたと同時に、とても嬉しくなった。恥ずかしくて顔には出せないけど。

 私は口下手で、昔から言いたいことを上手く相手に伝えることができないから、人とつきあうのが上手な海翔がずっと羨ましかった。だからこうしてロウに信じてもらえたことが本当に嬉しい。

 ロウはそんな私を見てニコッと微笑んで、興味津々といった様子で尋ねてきた。


「お店のお菓子にもエンチャントが付いてるの?」

「ううん、商品には付けてない。もしエンチャントのことが噂になったら、きっと利用しようとする人が出てくるから。だからロウも秘密にしてくれると嬉しい」

「うん、そうだね、そのほうがいいよ。分かった、僕、約束する」


 ロウはいい子みたいだし、きっと約束を守ってくれる。でも魔法が使えるなんて知って、やっぱり魔女だって思われてないかな。

 怯えられてたら嫌だなと思いながら、恐る恐るロウに尋ねてみた。


「ロウは私のこと、怖くない?」

「どうして?」

「だって私魔法が使えるし、やっぱり魔女じゃんって思わない?」

「思わないよ。だって僕……」

「……?」


 ロウが何かを言いかけて言葉を詰まらせた。何か迷っているみたいだ。

 少しだけ沈黙が続いたあとに何かを決心したように真っ直ぐに私を見て、ロウが再び口を開いた。


「僕も魔法使えるから。……ほんの少しだけだけど」

「えっ、そうなんだ!?」


 今度は私が驚いた。ロウは思わず聞き返してしまった私の言葉に大きく頷いた。

 ロウも生活魔法が使えるのか。魔法を使える人に初めて会った。だってこの家に住んでいた……と思われる『彼女』にも会ったことはない。

 この家にきていろんな不思議を目の当たりにして、ここは魔女の家じゃないかと思った。だけどムーさんは前の住人は魔女じゃないと言う。

 私がこの家に来たあとも、『彼女』が帰ってくることはなかった。そのままこの居心地のいい家に住み着いて一年経つわけだけど。

 そんなことを考えていたら、ロウが少し悲しそうな表情で話し始めた。


「あ、あのね、ウメ」

「なに?」

「傷も治ったし、僕、そろそろここを出ていくよ。いろいろと助けてくれてありがとう……」


 ロウが寂しそうな表情でぺこりと頭を下げた。あまりにも突然の申し出に、思わず言葉を失ってしまう。

 一体急にどうしたんだろう。まだ傷が治ったばかりなのに。傷が治っても体力が回復したわけじゃないし、行くところなんてあるのか。

 行先も分からないのに、こんな幼い子を放り出すなんてできるわけない。私は慌てて首を左右に振ってロウに訴えた。


「駄目だよ。いくら治ったって言っても、体力はまだ回復してない。もう少し休むべきだ」


 引き止める私にロウはふるふると首を左右に振った。そして真っ直ぐに私を見て真剣な表情で答えた。


「ううん、駄目なんだ。ごめん。わけは言えないけど、僕、追われてるんだ。このままここにいたらウメに迷惑かけちゃう。すぐにでも出ていかないと」

「絶対に駄目だ。迷惑だったらそう言う」

「でもっ! ウメのこと巻き込みたくないんだ。もし奴らがここへ乗り込んで来たら……」


 顔をしかめてギュッと唇を噛むロウの表情が痛々しい。こんなに幼いのに、ロウは誰かに追われて傷つけられて、そしてここに辿り着いたんだ。

 私はロウの目線に合わせて腰を屈め、頭にポンと片手を載せてそっと撫でた。するとロウは驚いたように私を見て、潤んでいた赤褐色の瞳を丸くした。


「大丈夫だよ。ここは魔法の家だから」

「え……?」


 私の言葉を聞いてロウが目をぱちくりさせた。


「一緒に店の外に出るよ」

「駄目だよ。一緒に出て奴らに見つかったらウメまで……」

「平気だよ。行こう」


 外に出るのを躊躇うロウの手を引いて店の扉を開いた。まだ午前中だから店の敷地には日が差していない。そのままロウと手を繋いで、店の前から伸びる狭い路地を歩いていく。しばらく進んで路地を抜けて表の通りへと出た。

 日の降り注ぐ明るい大通りは多くの人で賑わっている。通りに面した陳列台に商品を敷き詰めている店が軒を並べ、店員たちの声が飛び交い活気に満ちている。所謂商店街というやつだ。ロウは目の前の風景を眺めて大きく目を瞠った。


「え……。これはどういうことなの……?」

「驚いた?」

「驚いたなんてもんじゃ……」


 ロウが驚くのも無理はない。ロウが逃げてきたのは獣人の国、ゾエスト王国の町ザイツだ。私はときどき買い物をするためにザイツの街を歩いたことがある。だけど今ロウの……私たちの目の前に広がっているのは……


「ここは人間の国。シュヴェーリン王国のファーレルの町だよ」


 ロウは目の前の風景を信じられないのか、これでもかというくらいに目を見開いて身動き一つせずに固まっていた。

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