二十一、初めてのお店屋さん
街へ出て野菜屋のおばさんの露店の設備を借りた。荷台に積んで広場へ運ぶ。設営を手伝ってくれると言って、おばさんも一緒に来てくれた。店番は旦那さんがするそうだ。
露店を設置し終わったのでおばさんにお礼を告げた。
「何から何まで、ありがとうございます!」
「いいよ。あんたが野菜を卸しに来てくれるようになってうちも助かってるんだ。質がいいからお客さんにも評判でね。こっちこそいつもありがとうね」
おばさんの優しい言葉に胸がじんとする。そして嬉しくなる。お菓子屋さん始めたら野菜を売るのをやめようと思ってた。でもそんなに喜んでくれてるのにやめるのは悪いなぁ。
とりあえず今は露店販売に集中だ。
「私は店に戻るから、頑張ってね」
「ありがとうございます。頑張ります!」
おばさんを見送ったあと、二個のカレーパンを皿の上で一口サイズにカットする。このカレーの香りに抗える者など、この世に存在するまい……フフフ。
カレーパンの他にもお菓子をいくつか小さく切って皿に載せる。ようやく準備完了だ。
コミュニケーションが下手でなるべく他人と話さなかったけど、商売をするならそんなことは言っていられない。普段の自分を固く封印して、明るく声をあげる。
「いらっしゃいませー! 誰も食べたことのない美味しいパンとお菓子はいかがですかー?」
人が集まる広場で大きな声をあげるのは恥ずかしいけど、異世界の恥は掻き捨てだ。ここでは違う自分に生まれ変わるのだ!
脳内で、天に向けて人差し指を突き出し、固く決意表明をする。
「誰も食べたことがないって本当?」
露店の側に近寄ってきたのは幼い男の子だった。
「本当だよ。食べてみる?」
「うん!」
親はどこにいるのだろう。迷子だろうか。私は試食の皿を差し出した。
「どうぞ」
「うわっ、いい匂い! 初めて嗅いだかも!」
男の子はそう言ってカレーパンを一つ手に取って口へ運んだ。
パクリ……モグモグモグ……ゴクン。
「何これ、美味しいー! すっごく美味しいよ、お姉ちゃん!」
「そう? ありがとう。お父さんかお母さんは?」
「別のお店で買い物してるの。待ってて、呼んでくる」
男の子はそう言ってタターっと駆けていった。そしてしばらくしてからお母さんらしき女性の手を引いて戻ってきた。
「お母さん、これ、すっごく美味しいの! 買って!」
男の子が強請るのを、母親は困ったように見下ろしている。私は母親のほうにも試食してもらうことにする。
「カレーパンっていうんです。お母さんもよかったら食べてください」
「あら、ではいただくわ」
試食用のカレーパンを一つ手に取り口にする。
「……まあ、初めての味。とても美味しいわ。いくらでも食べられそう。この表面のざらざらしたのは何?」
おおう、どうやらこの世界にはパン粉で揚げたフライというものがないらしい。
「それはパン粉っていうんですよ」
「初めて見たわ。油がジュワっと浸みてきて美味しい。……そうね、三個いただいてもいいかしら。あ、それとそこのクッキーもいただいていくわ」
おお、ラッキーだ。お菓子も買ってくれるなんて! カレーパン、多めに作ったつもりだけど足りなくなるかも……。
「ありがとうございます。八百リムになります」
「まあっ、お安いのね。こんなに美味しいのに。……はいどうぞ」
「……はい、二百リムのお返しです」
「ねえ、また買いにきたいときはどうすればいいの?」
母親の問いかけに身振り手振りで場所を説明する。
「靴屋と質屋の間の隙間を進んだらお店があります。袋にも一応書いてます。明日の朝十一時開店なので、ぜひまた来てください」
「ええ、このカレーパン、また買いに行くわ」
「ありがとうございましたー!」
カレーパン、好評だな。お菓子も気に入ってくれるといいんだけど。
そうして順調に人が増え、カレーパンを中心に、クリームパンとバターロール、ココアクッキーと胡桃のパウンドケーキも順調に売れていく。
お昼に差しかかったとき、屋台に商品を補充していたら聞き覚えのある声が聞こえた。
「久しぶりだねぇ、子猫ちゃん」
ああ、もうあいつしかいないよね。振り向きたくないなぁ。でも一応お客さんだし……。
「いらっしゃいませ。どれをお求めですか?」
私がニコリと笑いながら声をかけると、目の前で薄笑いを浮かべるナンパ男エルヴィンが口を開いた。
「なになにぃ? 君、お店屋さんだったの? なんだぁ、早く言ってくれればいくらでも商品を買ってあげたのにぃ」
とんでもない話だ。この露店販売はお店をたくさんのお客さんに知ってもらうための作戦だ。買い占められたら堪ったものじゃない。
「お一人様一種類につき一個限定となっております」
「そんな堅いこと言わないでさぁ。ここにある商品全部買ってあげるって」
エルヴィンが私のほうへ近付いてくる。うわっ、どうしよう! 見つかっちゃうなんてついてない!
「おや? 君はフューラー伯爵家のご子息エルヴィン君ではないですかな? こんな所でまた悪戯ですかな?」
「ゲッ、お前は……あのときの騎士!」
チャラ男エルヴィンに声をかけたのは、以前私を助けてくれた優しい騎士、ベルトホルトさんだった。
「前にもう
「ま、待てっ。別に彼女を攫おうとしたわけではない! 久しぶりに見かけたからちょっと嬉しくなって声をかけただけだっ」
焦るエルヴィンにベルトホルトさんが淡々と返す。
「ほお? ですが、彼女は嫌がっているように見えますが? フューラーさま、女性に気に入られたいなら困らせるようなことはしないことです」
「別に困るようなことなど……」
エルヴィンがしゅんと肩を落とす。もしかしたら本当に悪気はなかったのかな?
「相手が何を喜ぶかを考えて行動すること。分からなければどうしてほしいか聞いて、迷惑になるようなことは決してしないことです。分かりますか?」
「……うう。分かった……」
穏やかに諭すベルトホルトさんに、エルヴィンはゆっくりと頷いた。案外素直で驚いてしまった。
「すまなかった。パンとお菓子を全部一個ずつくれ」
エルヴィンが商品を買ってくれるようだ。普通に買ってくれるならありがたいお客さんだ。
「ありがとうございます。全部で千四百リムです」
「……これ」
「……確かにいただきました。ありがとうございました」
「店はどこにあるんだ?」
うわ、あまり来てほしくはないんだけど……。でもお客さんを差別するのも……うーん。
「紙袋に書いてあります。またのお越しを」
――お待ちしていません!
とは言えなかった。まあでも、ベルトホルトさんに諭されて素直に聞いていたのを見るとそんなに悪い人じゃないのかなぁ。
「っ……! また買いに行くっ!」
「ひゃっ」
エルヴィンはそう言い残して元気よく去っていった。
びっくりしたぁ。急に大きな声出すんだもん。でもまたお店に来るかもしれないのか。うーん……。
「私も貰うよ。全種類一個ずつくれないか」
「はい。えーと……」
いつも助けてくれるベルトホルトさんにお金を貰うのは何となく悪い気がする。
私がもじもじしていると、ベルトホルトさんは私の顔を見て笑いながら告げた。
「ハハッ。ウメちゃんの考えていることはすぐに分かるぞ。でも商売をするんだったらそれでは駄目だ。気持ちは嬉しいが、ちゃんとお金を貰いなさい」
「……分かりました。千四百リムになります」
「……はい、どうぞ。いやあ、これは美味しそうだ。この不思議なクリームのパンの匂いが堪らないな」
ベルトホルトさんがパンの袋の中からカレーパンを取り出して鼻を近付けた。カレーパンならベルトホルトさんもお野菜を食べれるかもしれないな。
「それはカレーパンっていうんですよ。また作るのでぜひお店に来てください」
「ああ、寄らせてもらうよ。もうしばらくはこの町にいるからね」
「はいっ!」
ベルトホルトさんにまた会えるのかと思うと嬉しい。大きくて優しくて、父さんを思い出して胸がほわぁっとなるんだもん。
お昼の二時には全ての商品が売れてしまった。口頭でお店の場所を聞いてくれた人もたくさんいた。あとは口コミでお客さんが増えてくれるといい。
作るのも売るのも私一人でやるつもりだから、あまりたくさんのお客さんに来られても対応できない。
露店の片づけをして荷台を引いて野菜屋へ向かう。お礼と一緒に取っておいたお菓子とパンをおばさんに渡したら、とても喜んでくれた。
「こんなにたくさんのお金を持ったのは初めてだ……。なんか怖い」
売り上げは全部で三万四千リムだ。なんだか大金を持っていると思うとドキドキする。家へ帰る途中で、必要な食材を買った。
帰りながら考える。この世界で出せそうなお菓子とパン。最初から品揃えを増やすのはやめよう。当分は今日露店で販売したお菓子とパンを売って、様子を見て種類を増やしていこう。
「ああ、楽しみだなぁ」
初めての自分だけのお店。パンとお菓子の店『すきま家』。胸がわくわくしてくる。大変だろうけど一人じゃない。ムーさんがいるから寂しくない。
私はこの世界の情報を集めて、いつか絶対に魔女を見つける。そしてお父さんがこの世界に来ているかどうかを聞くんだ。
これからのことをいろいろ考えながら私は家路を辿った。
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