二、サツマイモとリンゴの

 店を開けたままカウンターで新聞を読み耽っていたら、いつの間にか外は真っ暗になっていた。そろそろ店を閉めようと思いながらも、そのまま新聞の記事を目で辿る行為に没頭してしまった。

 この世界の新聞はとても面白い。少しでも早く例の人・・・に会えるように、なるべく最新の情報を手に入れておきたい。

 新聞の記事に集中していると、入口の扉に取り付けた鐘の音が突然カランカランと鳴り響いた。


「いらっしゃいませ」


 新聞から意識を引き戻されて、相手も見ずにいつものように声をかける。そして入口のほうに目をやると、扉を開けて入ってきたのは五~六才くらいの端正な顔立ちの少年だった。

 肩ほどまでの長さの鈍色の髪はぼさぼさに乱れ、赤褐色の瞳には力がなく焦点が揺らいでいる。傷だらけの体は出血が酷く、衣服が所々破れている。震える膝は体を支えきれずに今にも崩れ折れそうだ。


(な、なに……!)


 さらによく見ると、少年の頭の上には犬の耳、そしてお尻からは尻尾が力なく垂れ下がっている。獣人の子どもか。

 少年の惨状に驚くあまり動けないでいると、少年がゆっくりと足を引き摺りながらこちらへ近付いてきた。そして苦痛に顔を歪ませながら、今にも消え入りそうな掠れた声で訴える。


「たすけ、て……」


 獣人の少年はそれっきりガクリと膝から崩れ折れてしまった。慌てて駆け寄って少年の頬に手を当ててみた。どうやら意識を失ってしまったみたいだ。

 何かトラブルに巻き込まれるかもしれないと思った。だけどぐったりと力なく横たわる体から伸びる傷だらけのか細い腕が痛ましすぎて、今すぐに目の前にいるこの子を助けなければという強い意志が湧き起こってくる。


「駄目だ、このままじゃ死んじゃう……!」


 私は血だらけの少年の体を抱えて、急いで店の戸締りを済ませて奥の寝室にある私のベッドへと運んだ。


  §


 朝になっても少年は目を覚まさない。だけど少年の鼻のすぐ側に耳を近づけてみると、呼吸をちゃんとしているのが分かった。

 少年の額に手を当ててみると、だいぶ熱が下がってきたみたいなのでほっとした。出血していた傷は消毒して包帯を巻いている。やることはやったので、あとは少年の目が覚めるのを待つだけだ。

 目が覚めたらきっとお腹が空くだろう。私はゆっくりとベッドの傍から立ち上がって調理場へと向かった。


「牛乳と昨日焼いた食パンとサツマイモとリンゴとレーズン……うん、これでいいか」


 私は幼いころから美味しいものが何よりも大好きだ。作るのも食べるのもだ。何を作るかを考えて、冷蔵庫とストッカーから食材を取り出した。

 竈に火を起こして、小鍋に小さく角切りにしたサツマイモとリンゴとレーズン、それにバターと砂糖と少量の水を入れて弱い火でくつくつと煮る。焦げ付かないよう木べらで頻繁に混ぜる。

 火が通ってきたので、食べやすく小さく千切った食パンと牛乳を入れて、味をみてみた。


「うん、甘すぎなくて美味しい。これなら食欲がなくても食べられるかな」


 サツマイモとリンゴのパン粥……これなら食欲がなくても食べられるだろう。

 ふと背中側に視線を感じて振り向くと、調理場の入口に包帯だらけの少年が立っていた。


(いっ、いつのまにっ……!)


 寝ぼけ眼でじっと私の作業を見ていたんだろうか。まだ体力が回復してないから、横になってるほうがいいんだけどな。

 こうして改めて見ても、少年の外見は五~六才といったところでかなり幼い。身長は私の胸の辺りほどで、大体百二十センチくらいってとこか。

 肩にかかるくらいの長さの鈍色の髪は、所々血液が付着して固まっている。力なく垂れ下がった尻尾にも部分的に血の塊がこびりついる。


(痛々しいな……こんなに傷だらけで、可哀想に……)


 じっと観察するかのように私に向けられている赤褐色の瞳が不安げに揺れているのが分かる。

 私は少年を見て仲のいい幼馴染の幼かったころを思い出した。この子くらいの年のころも、同い年だった海翔かいとはよくうちに遊びに来ていた。

 お腹が空いたという海翔に、私はいつも歪な塩だけで握ったおにぎりを出してあげた。おにぎりを美味しそうに頬張る海翔の顔を見ているのが好きだった。


(海翔、元気にしてるかな……)


 古い記憶からふと我に返り、私は少年をなるべく怯えさせないように話しかけた。


「おはよう。痛みは?」

「おはようございます。……まだ痛いです。お姉さんが僕を助けてくれたんだよね。ありがとう」


 少年は怯えながらもちゃんと返事をした。幼いのに随分しっかりしている子だ。年に似合わない大人びた振る舞いが痛々しい。


「……私はウメ。君の名前は?」

「僕の名前はロウ……です。あの……ここはどこ?」

「『すきま家』っていう店だよ」

「お店……そっか。あの、僕、街の中にいたはずなのに、ベッドから窓の外を見たら森が見えたんだけど……」

「ここは魔法の家だからね」


 戸惑っている様子のロウにフッと笑って答えると、ロウは驚いたように尋ねてきた。


「ま、魔法の家? ウメさんは魔女なの?」

「さんはいらないよ。私は魔女じゃなくて人間。君は獣人?」

「……うん、狼の獣人です」

「狼か……」


 犬かと思ってた。狼なんて見たことないから。ロウがなぜ混乱しているかは分かってるけど説明するのは後回しだ。とりあえず体力を回復させて家に帰さないと。


「ロウ、こっちに来て、ここに座って」


 ロウに手招きをして、調理場の真ん中にある調理台の傍にある椅子を引いた。するとロウがゆっくりと椅子に近付いてちょこんと座った。まだ痛みが引かないのか、今も足取りがおぼつかない。

 私はロウの目の前にパン粥を入れたお皿とスプーンを置いてあげた。するとロウはクンクンと匂いを嗅いで、ゴクリと唾を飲んだ。


「食欲があるなら食べて」

「甘い匂い……。ありがとう。いただきます」


 私が促すと、ロウがゆっくりとスプーンを手にして皿のパン粥を掬った。スプーンに鼻を近づけて再び匂いを嗅いだあと、ゆっくり口へと運んだ。モグモグと噛んでゴクリと飲み込んだあと、ロウが驚いたように目を瞠る。


「甘くてちょっと酸味があって美味しい……それにとても温かい」


 ロウの赤褐色の瞳が涙で潤む。それを見て不覚にも驚いてしまう。


「なっ、口に合わなかった?」

「いえ……なんだか気が緩んじゃって……」

「……ここにいる間は安心していいよ。ところで君の親は?」

「……」


 ロウは私の問いかけを聞いて、スプーンをカチャンと皿に置いて俯いてしまった。言いたくないということか。


(親がいないのかな。それとも親に傷つけられたとか……!? もし孤児だとしたら施設から抜け出したとか……。夜に子どもが全身傷だらけで外をうろついていたなんて、どう考えても普通じゃないよね)


 だけど、所々破れて汚れているとはいえ、身に着けているものはかなり高価なものに見える。

 昨夜治療のために脱がせた紺色の詰襟のジャケットは、厚みのある生地で高級感があった。そして所々に施してある銀糸の刺繍も庶民的な類のものじゃない。今ロウが着ている白いシャツもかなり上質な仕立てだ。

 トラウザはジャケットと同じ生地で、ブーツは脛丈の焦げ茶のスムースレザー製で横に銀のバックルがついている。土埃で汚れてしまってはいるけど、ひと目で高級なものだと分かる。

 結論から言うと、ロウはとても孤児には見えない。となると、やっぱりわけありだろう。


(家出……? いや、家出ならあんなに傷つけられていた理由が分からない。じゃあ誘拐されて逃げだしたとか? うーん)


 ふとロウの食事の手が止まっていることに気付いて、今は兎に角食べさせなければと思い直した。事情はあとで聞けばいい。


「……食事中に悪かったね。残りも食べて」

「いえ、ありがとう……」


 ロウが沈んだ表情のまま、スプーンを手に取って再び食事を始めた。


(幼い子どもにこんな昏い表情をさせるなんて……。子どもを傷付けるなんてロクな奴じゃないな)


 なんとなく腹が立ってムカムカしていると、カランカランと店の扉に付けている鐘の音が鳴った。お客さんが来た合図だ。


「お客さんが来たみたいだ。食べたらベッドに横になっときなよ」


 私は食事をしているロウにそう言い残して、調理場のもう一つの出入り口から店に出た。

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