第6話 娘と母と

白雪は暗い森の中を歩いていました。後から、母を背負った狩人が続きます。現実とは思えず、まるで夢の中のようでした。


「白雪!」

別れ際に、父は叫びました。

「お前はいつまでも、私の娘だ。何かあれば、私の元へおいで。いつでも力になる」

白雪は微笑みました。

「その言葉だけで十分です。ありがとう、大好きなお父様」

白雪は父に背を向け、もう振り返りませんでした。


あの日のように木々を抜け、野原に出たところで、白雪は足を止めました。

「この先は守り神に守られた小人の地。人は立ち入れない。後は私が母を連れていきます」

狩人は頷き、白雪にいったん母を渡すと、自分のマントを地面に敷き、ゆっくりと母を寝かせました。母は熱にあえぎ、ぐったりと動きません。

白雪は、その狩人の背に呟きました。

「なぜ、私を森に連れていったの?」

野原を風が吹き渡りました。

沈黙を破ったのは、狩人でした。

「私は狩人。…狩人とは、密偵です。他国の内情を狩り、自国の政の進むべき道を探る。王族の相談役である私を、皇后様は度々、呼び出されました。とはいえ、全ての胸の内を語られたわけではありません。私が知るのは、断片に過ぎない」

狩人は言葉を切り、白雪の覚悟を推し測るように見据えました。

白雪は、その視線を正面から受け止めました。

「…母は、何を命じたの?」

「皇后様は長い間、逡巡しておられた。そして…あなたを手離すことを、決断した。あの日、森を抜け、国外にあなたを逃がす手筈だったのです。遠縁を辿たどり、内密にあなたを育てて下さる方の元へ、お連れするはずだった」

白雪は、足元の地面が崩れ去るような気がして、思わず自分で自分を抱き締めました。

「しかし私は、現れた小人にあなたを託した。国外に出たとして、いつ何時あなたのことが分かるか知れず、何に巻き込まれるか分からない。…小人族は知恵深く、情け深い。森に隠れ住む彼らの元にいれば、あなたは守られる。そう皇后様にお伝えしたのです」

「…お母様はそれほどまでに、私を憎んでいたのね」

蒼白になった白雪に、狩人は淡々と語りました。

「皇后様の言動に、あなたが苦しんだのは事実です。…一方で、皇后様が苦悩されたのも、事実。皇后様は均衡を失い、ご自身を制御できなくなっておられた。皇帝陛下に話したところで理解はされず、酷い母親だと責められただけでしょう。あのままいけば、何が起きたか分からない。…あなたに対して思いが欠片かけらも無ければ、苦悩は無かったでしょう。最後まで、他に手は無いのかと、あなたの行先を案じていた。ご自分を責めておられましたよ」

いつしか空は白み始め、森に朝日が差し込んできました。白雪は呆然としていましたが、思い出したかのように母の元に身を屈め、背負おうとしました。狩人はそれを手伝いながら、白雪の間近で呟きました。

「先の女王陛下は、皇帝亡き後、実力で貴族達を従え、王位に着いた稀有けうな方だった。…皇后様より、あなたに女王陛下の面影がある。どうか、その強い眼差しで、生き抜いて下さい」

森から去っていく狩人の方は振り向かず、白雪は地面を踏みしめ、一歩ずつ歩き出しました。

やせ衰えた母の、頼りない重さ。

白雪は唇を噛み締めました。


ジョゼ婆さんは、全て分かっていたかのように、突然現れた白雪と母を受け入れてくれました。

母を寝かせ、薬を飲ませるのを手伝いながら、白雪はまだ呆然としていました。

「…母を、救うことはできないの?」

ジョゼ婆さんは母の額に浮いた汗を拭いながら、ちらりと白雪を見やりました。

「魔法で命をあがなうことはできない。私にできるだけのことを、するだけさ」

「病気のことじゃなくて…」

白雪はうつむき、やがてその声に嗚咽おえつが混じり始めました。

「…これが最期かもしれないのに、母を許せないの。母が苦しんだのは分かる。私には愛してくれたお父様がいた、お祖母様がいた、でも母には、誰もいなかった…それは分かるのに。どうしても、受け入れられないの。なぜ、愛してくれなかったの?母を苦しめるだけの存在なら、なぜ私は産まれたの?母は、このままなの?私たちは…」

怒号のような慟哭。

ジョゼ婆さんは、淡々と言いました。

「お前は、許せないんだろう。だったら、無理に許したことにしなくてもいいんだよ。魔法で人の心は変えられない。ねじ曲げれば、ひずみが生じる。その心と共に、生きていくんだ」

ジョゼ婆さんは、言葉にならず嗚咽をあげ続ける白雪の背に、手を置きました。

「恨むのは、苦しい。許せないのは、辛い。…けれど、それはお前一人で背負わなくてもいいんだよ。何度でも、私はお前の語りに耳を傾けよう。お前の怒りを、痛みを、哀しみを、繰返し吐き出せばいい。何も偽ることは無い。…好きなだけ、泣けばいいよ」

哭き続ける白雪の背中を、ジョゼ婆さんはいつまでも支えていました。


ジョゼ婆さんは薬の調合を試し続け、幾晩も付ききりで看病しました。白雪も、傍で付き添いました。

その甲斐あってか、波はありながらも母の熱は次第に下がり、痘痕あばたを残して病は去っていきました。

母の回復と共に、白雪が母の元で過ごす時間は短くなり、ジョゼ婆さんと二言三言話しただけで、立ち去るようになりました。

城から持ち出した小箱は今も母の傍らにありましたが、誰もそれに触れないままでした。





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