第3話 白雪姫は、7人の小人と暮らしました
白雪姫は、川から汲んだ水をヤンと運んでいます。不意に足が滑って転びそうになったけれど、後ろからヤンが支えました。
「ありがとう、ヤン」
ヤンは黙ったままですが、もう無愛想でも優しい子だと分かっています。白雪姫はもう一度、慎重に歩き始めました。
小人の家の暮らしは、お城の生活とは大違い。戸惑う白雪姫は、失敗ばかり。その度、お妃様の溜息が聞こえる気がして身をすくめましたが、小人は白雪姫を辛抱強く見守ってくれました。
お母さんは、白雪姫に他の兄弟と同じように家の仕事を任せました。召使はいないのか聞くと、お母さんは笑って、ここでは家族が助け合って生きていくのだと答えました。
「白雪も家族の一員だ。私達を助けておくれ」
その言葉に励まされ、慣れない家事も一生懸命手伝いました。
白雪姫は寝る前に、小人のお祖父さん、お祖母さんからお話を聞くのが好きでした。小人、人魚、竜。秘められた古の一族の伝承。
「世界は、私が思っていたよりずっと広かったのね。いつか、私も会いに行ってみたい」
森の生活は楽しい。皆優しくて、私を責める人はいない。大好きな王様を思い出すことはあるけれど、お城に帰りたいとは思いません。けれど、時折お妃様の冷たい顔が思い浮かびます。その度、このあたたかな暮らしに馴染んでしまうのが怖くなる。白雪姫は、そんな自分を悲しく思うのでした。
「ミュゼ婆さんに薬草を分けてもらうんだ。白雪も行こうよ!」
クンに誘われ白雪姫は一緒に出かけました。
「ミュゼ婆さんって誰?」
「魔法使いだよ」
「魔法使い!?」
「滅多に魔法は使わないけどね」
白雪姫は、胸がざわざわしました。それには気づかず、クンは話し続けます。
「今日もカン兄ちゃんに怒られた。怒りっぽいんだ。まぁすぐ怒ったことを忘れちゃうけど」
今朝の兄弟喧嘩を思い出し、白雪姫はくすりと笑いました。
「いいなぁ。きょうだいと喧嘩なんてしたことない」
「きょうだい、いないの?」
「弟がいたけど、赤ちゃんだったから」
「赤ちゃん!いいねぇ」
…血の繋がりは無い弟だけど。
白雪姫は、心の中で呟きます。お祖母様が亡くなった後、王様は第二王妃を迎えました。産まれたのが白雪姫の異母弟です。でも、滅多に会うことはありませんでした。
「ほんとは、うちにも妹がいた。…生まれてすぐ、死んじゃった」
クンがぽつりと言い、白雪姫は思わず足を止めました。クンは白雪姫に笑いかけました。
「でも、僕らは妹に会えて嬉しかった。頑張って一目家族に会いに来てくれたんだって、お祖母ちゃんは言った。皆で『産まれてきてくれてありがとう』って声をかけたんだ」
白雪姫は、黙って頷きました。
「妹は今、丘で眠ってる。僕らは皆、天の国に去った後は丘で眠るんだ。この森を見下ろす、守り神になる」
「…私もいつか、その丘に会いに行きたい」
「うん!きっと喜ぶよ」
この世を去った妹。いるはずだった、四人目の女の子。
小人の家族がすんなり自分を受け入れてくれた訳が、少し分かった気がしました。
「あ、ミュゼ婆さん!」
クンが叫んで駆け出しました。見ると、白髪の老婆が畑に屈みこみ、野菜を収穫しています。小人ではなく人間のようです。
「この子は白雪。一緒に暮らすことになったんだ」
クンに紹介され、白雪は服の裾をつまんでお辞儀をしました。
「よく来たね。家にお入り」
ミュゼ婆さんは、古くからの知り合いであるかのように白雪姫を迎え入れました。
恐ろしげな魔女を想像したけれど、お茶やお菓子を振る舞うミュゼ婆さんは、普通のお婆さんに見えました。薬草をもらった後も、クンは楽しそうに話しています。白雪姫は室内を見渡し、鏡があるのに気付くと顔を歪めました。
「本当に魔法使いなの?…魔法って、何なの?」
「私は魔法使いさ。でも、滅多なことじゃ魔法は使わない。使い方を誤れば、人生を狂わせることもあるからね」
「何でもできる?例えば、鏡を喋らせるとか…」
「できないことはないけどね。でも、それが何になる?鏡を友達にすることはできないよ。魔法は、ありもしないことを現実にするための道具じゃない」
「…よくわからないわ」
ミュゼ婆さんは淡々と語りました。
「私が最後に魔法を使ったのは、亭主の帰りを待つおかみさんにだった。亭主は猟師で、ある冬、いくら待っても帰ってこなかった。狼にやられたんじゃないかと噂されたけど、おかみさんだけは待ち続けて、病に倒れた。私が呼ばれた時は、虫の息でね。…私は最期に、おかみさんの耳に亭主の声を甦らせた。『ただいま』っていういつもの声が聞こえた時、おかみさんは幸せそうに笑って、息を引き取った。…魔法ってのは、そういうものさ。その人の人生で本当に必要な時にだけ、魔法の力を借りるんだ」
白雪姫は黙って、あたたかいお茶を飲みました。
…ミュゼ婆さんに頼めば、魔法で変われるだろうか。美しい、母の望むとおりの娘に。
…でもそれは、本当に私の人生で必要なことなんだろうか。
俯いた白雪姫を、クンが心配そうに見つめていました。
その晩白雪姫は夢にうなされ、目が覚めました。小人のお母さんが覗きこんでいます。
「どうしたんだい?」
「怖い夢を見たの。たぶん、前の家の夢…」
静かに涙をこぼす白雪姫の手を、お母さんはそっと握りました。
「私、お城にいた。この国の王女なの。でも毎日苦しかった。…お母様は、私が嫌いなの。私がお母様みたいに美しくないから。お母様の言うことに、どうしても素直に従えないから。魔法で美しくなっても、私の心をお母様の望む通りには変えられない。私、どうしたらいいの?」
お母さんは、泣きじゃくる白雪姫を優しく抱きしめました。
「白雪はいい子だ。お前は何も悪くない。…お前には人間の母と、小人の母がいる。人間の母に何があったかはわからない。でも私にとっては、可愛い、大事な娘だよ」
白雪姫の頬を、あたたかな涙がつたいました。
お母さんは白雪姫が眠るまで、手を握ってくれました。そのあたたかな温もりの中で、白雪姫は優しい夢を見るのでした。
それから数年が経ち、白雪姫が小人の暮らしにすっかり馴染んだ頃。
森の外では、恐ろしい変化が起きたのでした。
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