第4話 毒林檎が実るとき

森の外では、恐ろしい病が流行はやり始めました。突然の高熱と、顔の赤くて丸い発疹。発疹は全身に広がって次第に赤黒くなり、ただれ、解熱後も痘痕あばたが残りました。高熱が続くと命を落とす者もあり、人々は「林檎病」と呼んで恐れました。

「今回は、医者だけでは手に負えないようだね。薬が効かぬ者がいる」

ジョゼ婆さんはそう言って、薬草の煎じ方をいろいろと試しています。普段はその存在を知られぬよう、街へは出ないジョゼ婆さんですが、最近は林檎病の患者の元へ薬草売りとして通うようになっていました。

「僕達らには感染うつらないけど、白雪は気をつけてね」

心配そうなクンに、白雪姫は笑います。

「大丈夫よ。私はずっと、森にいるもの」


ある日、ジョゼ婆さんが小人の家を訪ねてきました。こども達は外に出され、大人達で何やら話し合っています。

白雪姫は、嫌な胸騒ぎがしました。


「白雪、おいで」

ジョゼ婆さんが帰った後、お母さんが白雪姫を寝室に呼びました。二人になると、お母さんは白雪姫の手を握りしめました。

「ジョゼ婆さんが街の噂を教えてくれた。林檎病が城でも出た…王妃様が、重篤らしい」

白雪姫は、思わず息をのみました。

お母さんは真剣な顔で続けました。

「もしお前が城に行くことを望むなら、私達も一緒に行く。お前は、どうしたい?」

小人は森に隠れ住み、人には近づきません。自分のために禁忌を破ろうとする、小人達の覚悟が伝わってきました。

白雪姫は顔をそむけて黙っていましたが、やがてポツリと言いました。

「城には行かないわ。…少し、散歩してくる。夕飯の支度までには戻るから」

お母さんの返事は聞かず、白雪姫は一人、家を出ました。


白雪姫が向かったのは、丘の上でした。丘には、丸い石を積んだ守り神の眠る家があります。小人達が丘に来るとそうするように、白雪姫も足元の花を摘み、手向けました。

そろそろ夕暮れを迎える空は、淡く色づき始めています。白雪姫は腰をおろし、眼下に広がる森を眺めました。


…小さい頃はまだ、お母様は優しかった。私はお母様が作った服を着て、お母様の言葉を疑わなかったから。でも、いつまでもそのままではいられなかった。


「白雪も、そう思うでしょう?」母の押し付けるような言葉。

浅黒い肌に塗り込められる化粧品。

自分には似合わない、淡い可憐な衣装。


「私もう、自分で服は選ぶわ。お母様の着せ替え人形じゃないもの」

思わずそう言った時の、母の唖然とした顔。戸惑い、悲しみ、怒り。


…お母様は、自分と同じ、自分を肯定する写し鏡のような娘を求めていた。


自分の感じるままに話せば顔をしかめられ、やりたいように振る舞えばとがめられる。次第に白雪は母に反発するようになり、ますます母は白雪を叱りつけました。


…それでも、優しい父や、可愛がってくれる祖母がいたけれど…。


祖母は白雪を可愛がりました。よく祖母の部屋に呼ばれ、一緒にお茶を飲んだりお喋りしたりして過ごしました。

「白雪は本当に賢いね。先生も褒めていたよ、優秀だって」

祖母は王だった祖父に先立たれた後、この国で初めて女王になった人でした。女の子にも学問が必要だと、よく口にしていました。

「知らないことを知るのは、楽しいわ」

「そうだね。白雪に、これをあげよう。この国の歴史だよ」

そう言って、祖母は美しい装丁の本を何冊も出してきました。

「私、ご本大好き!ありがとう、お祖母様」

早速読み始めた白雪に、祖母は小さく呟きました。

「これはお前の母に用意したものだった。あの子も、お前のように賢ければ…」

いつもの繰り言。白雪は咄嗟とっさに、本に夢中で聞こえない振りをしました。


白雪の自室で本を見つけた時の、母の顔。顔を歪め、一瞬、小さなこどものように頼りなく見えた。

祖母の前では、余計に頑なだった母。いつも張りつめていた。何かに身構えるように。

祖母が病をこじらせ亡くなった後、白雪が棺に向かって泣いていると、母は「お前は、泣けるのね」と呟いた。

母は葬儀の間、泣かなかった。

けれどそれから、魂が抜けたようだった。


…その頃、お父様は第二王妃を迎えた。


母は、白雪を産んで以降、次のこどもに恵まれませんでした。

隣国の第二王子だった父は、一人娘だった母の婿として、祖母に選ばれこの国の王となりました。祖母の手前か、第二王妃を迎えずにいたけれど、祖母が亡くなり周囲の勧めもあって、有力な貴族の娘をめとりました。間もなく産まれた異母弟。その子が皇太子となり、次の王となることになりました。


…お母様はなおさら私に冷たくなり、あの鏡に取り込まれた。


あの頃は断片的だった母の記憶が、自分の中で繋がっていく。

母への、これまでの想いが消える訳ではないけれど。

あの頃、自分の前に立ちはだかるようだった、母の存在。

しかし、母も一人の人間だったのだと、白雪は思いました。


いつしか空は茜色に染まり、巨大な夕陽が沈み始めています。白雪は、森の遥か向こうに佇む城を見つめました。


…森に来た時は、訳もわからず狩人に連れられてきた。今は小人達に教えられ、自分で自由にこの森を歩ける。

あの頃の私と、今の私は違う。

自分で決めて、城へ行く。もう一度、母に会うんだ。


白雪は立ち上がると、丘を駆け降りていきました。

その背中を、夕陽が紅々と照らしていました。


その晩、小人が寝静まった後、白雪は一人家を出ました。青白い月に導かれ、秘密の抜け道を通り、城へと向かったのでした。









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