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 誰にともなく、自分自身への語りかけだった。

 本来ならば相手取ること自体が馬鹿げた強敵を前に、無駄な思考など行う余裕はない。それが彼女のうちにある、ふたつのルーチンが出した同一の結論だった。盗賊と僧侶。ふたつのルーチンの。

 僧侶としての彼女は、ラビとリズレッドというふたりの前衛が存在する全体で成り立つ役割だ。だがそのふたりは、いまはどこにもいない。前衛は自分であり、後衛にはパーティが控えている。そんな状況で癒術を使えたところで、一体なにになろうか。


 いま必要なのは力だった。相手を圧倒的に支配するか、もしくはこちらの良いように誘導するための力。

 盗賊の自分は、それを持っている。僧侶の思考ルーチンでは咄嗟の判断が間に合わない場面でも、いまの彼女ならば容易くいなすことができる。

 いま求められているのは、そういう役割だった。


『――わかってます。ただ、被弾したらこまめに回復をしてくださいね。癒術を使えないというわけではないんですから』

「そこまで判断結果が鈍るなんてね。あれを相手に被弾したときは、大小関わらず死ぬときよ」


 吐き捨てるように言い、無理やり思考を閉じた。

 直後、鱗に覆われた狂腕が、牙のように鋭い爪を突き立てて襲いくった。アミュレは宙で態勢を整え、近くの樹木を蹴った。寸前での回避だ。足場にした木が、枯れ枝のように叩き折られた。


「――ッ」


 実際、無駄な思考などしている暇は一切ないのだ。

 こちらが被弾して死ぬか、それともこちらの目的が達成されかの二択だ。


 パイルはラビが来るまでの時間稼ぎと判断したようだが、むろん、そのような見込みはない。可能性の低いものに勝負の命運を賭けるわけにはいかない。アミュレの目論見は、別のところにあった。


 先日、異形と化す前の彼と戦ったからこそわかる。

 魔堕ちの力は異常だ。魔の引き出し先をを神から魔王に鞍替えしただけだというのに、肉体そのものにまで影響が現れる。おそらくそれほど自分たちは魔力というものに依存した生き物なのだ。いや、魔法に限った話ではない――スキルそのものが、人を操る糸のように、個人をいかようにもしてしまう。ただの動けぬ人形が、手繰る糸によって超人的な能力を発揮するのだ。だが、そこに狙い目はある。


 魔王がもたらす力は、人間を考慮していない。

 それが魔堕ちを数度観察した上での、アミュレの結論だった。


 考えてもみれば当たり前のことだった。

 脆弱な肉体しか持たない人やエルフに適合するように調整された神の恩恵と、身体能力が遥かに勝る魔物が恩恵を受ける魔王の力。強靭な糸に操られた脆い人形は、いとも簡単に壊れてしまう。


 すなわち、パイルの自壊。

 精神と肉体両方にかかる負荷が限界を迎えたとき、それは必ず訪れる。


 先ほどパイルはこう言った。逃げてばかりではなにもできない、と。

 ならば教えてやろう。逃走が常に無意味な結果を生む選択ではないということを。そして、逃げそれこそが盗賊の極意なのだと。


「君の狙いはわか◼てるよ」


 すでに数十の狂爪をくぐり抜け、さすがのパイルも息が上がり始めている。

 うろこに侵食された腕と、人の面影を残る肉体の接合部が、ぎしぎしと歪むのを感じた。


「でも君たちのリーダーは来ないよ。オクトーが念入りに心を折ったからね」

「さあ、どうかしら」

「あの人は、人の心を操る天才なんだ。操るって言っても、無理やり従わせる訳じゃない。相手がなにを生きがいにしているか、なにを目標にしているか。どういう人生を歩んできたのか。それを一瞬で見極めて、すぐに自分の動かしたい方向に動かす材料にしちゃう」

「それで、あなたも、あなたのボスも、良いように操られているという訳ね」

「僕はどうだかわからないけど、ボスは別さ。ボスは……ジャスは、自分の信念を曲げない人だ。生き様を貫く人だ。そして僕の恩人だ。本当の僕を教えてくれて、枷を解いてくれた」

「……」

「僕も君の枷を解きたいんだ。そのためにここにいる。遠く離れていくアイリスも、二の次にしちゃうほどにね」

「枷……?」

「自分でも気づいてるだろう。余計なことを考えずに、本当の自分だけをさらけだして生きるほが、心も体も軽いって」

「まるで子供の言い訳ね」

「大人みたいなことを言わないでよ。遊びは童心に帰ることが大切なんだ。人生だって同じさ。それに、だから君は僕の攻撃をかわし続けていられるだろ」

「それが、あなたが私に固執する理由? ……なんだ、くだらない理由でがっかりしたわ。結局、あなたは自分を正当化したいだけね。自分が歩んだ生き方を他人にも強制して、ちぽけな満足感を得たいだけ」


 ちり、と腕から感触が伝わった。

 パイルの爪先が砕いた木の破片が、彼女の腕をかすめていた。

 少しずつ、じりじりと距離を詰められている感覚だった。もしくは自分が自由に使える領域が、次第に狭まっていくような。


「自分を正当化することも、満足感を得るために行動することも、なにも悪いことじゃないよ。だって、君はいまとても楽しそうだ」

「楽しい? いまの状況が? 片腕を異形化させた大男に命を狙われて必死に逃げてる、いまのこれが?」

「うん、とても活き活きしてるよ。この前の君の目は、まるで死人だった。まるで誰かの真似をしながら生きてるみたいで、見ていられなかった」

「……」

「いまから僕がそれを殺してあげるよ。そのあ◼、一緒に殺しを楽しもう。僕と君はとっても気が合うと思うんだ。ジャスにも頼んであげるから、カンパニーに入って一緒に仕事をしよう」

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