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アミュレは呆れた様子で肩をすくめた。
やはりこの男もこの都市の住人だ。腕っぷしの強さことが第一であり、それ以外は二の次だ。こんな相手に初戦で遅れを取ったことに、改めて慨嘆たる思いが湧いた。
いま思えば、あのときの自分は不調だったのだ。上位職相手とはいえ、ああも良いようにされるなど、シュバリアの子の名が泣く。
「ではその鋼鉄の塊で、私を捕まえてみなさい」
「いや、もうその必要はないよ」
パイルがあっさりと告げた。自分の手甲を――いや、その内に隠された右腕を見ながら、彼はにやりと笑った。
「僕もついに、人を捨てるときが来たってわけだ」
右腕に力が込められた。異様な筋肉の隆起が起こり、手甲の留め具が弾け飛んだ。鋲で打ち込まれた牛革のベルトが根元から千切れ、ばらばらになって地に落ちる。
いままで幾度となく戦場で彼の命を救い、敵を屠ってきた鎧であり武器が、用済みのがらくたのように排除された。まるでトカゲの脱皮のようだった。さらに大きく成長するために脱ぎ捨てられる過去。そして新生したその中身もまた、トカゲそのものだった。
「なっ……」
アミュレの瞳が驚嘆に見開かれた。
手甲のなかから出てきたものは、人の形態から大きく逸脱していた。むき出しの皮膚は先日までの浅黒い肌ではなく、爬虫類のような緑色のうろこに覆われていた。窮屈な鎧から解放された彼の腕が、ひときわびくびくと波打った。肉の泡が内側から吹き上がり、さらに質量を増して巨大化する。
「成功体――いまはアイリスって呼ばれてるんだっけ? あれと違って、形態の制御まではできなかったけど……これもなかなか、悪くないだろ?」
むしろこちらのほうがイカしてる、とでも言いたげに、彼は異形と貸した自身の右腕を眺めた。
爛々と輝く瞳が、人ならざる者の証とでもいうべき黒に染まった。
「なるほど、人形が人形遊びをしてるってわけね」
「ようやく、遊んでくれる気になったみたいだね」
互いがにやりと笑った。
一方は不敵に、一方は不遜に。先手を打ったのはパイルだった。膨張した腕をがむしゃらに動かし、辺りの木々もろとも粉砕する勢いで少女へと襲いかかった。もはや彼が腕を動かしているのか、腕が彼を動かしているのかわからない有様だ。だがその破壊力は恐ろしく、先日までの彼の怪力も、いまと比べれば台風とそよ風のようなものだった。
それを見たアミュレが、短く溜め息をついた。
「これは、勝ち目がないわね」
あっさりと告げた。だが、それに続けて、
「けど、魔物との戦いはいつもそう。膂力の圧倒的に異なる相手に、人はどうにかして立ち向かわなければいけない。たとえ人間の死体を操ろうとも」
「き■はまだ、死霊術師じゃないだろう」
「ええ、私は盗賊。霊都シュバリアで暗殺の技術を叩き込まれた、死霊術師になるはずだった者」
「いや、暗殺者のほうが向いてるよ。僕は断然そっちをおすすめするね」
「あら、ありがとう――でも、」
暴風が少女を包んだ。
森が裂かれ、炸裂する轟音が空気を侵食した。とかげの腕はもはやそれ自体が一個の生物かのようにうねり、眼前の標的である彼女を八つ裂きにするために力を振るった。
――だが、
「回避だけに専念すれば、避けれれない動きじゃないわね」
そうあけすけに言うと、自分の十数倍もの大きさに膨れ上がった相手の目をまっすぐに捉えて、言葉を続けた。
「遊んであげるわ、かかってきなさい。才能だけの暗殺者が、才能と教育を施された盗賊に次職を斡旋することの、その愚かさを教えてあげる」
パイルの口端が吊り上がった。笑みとも狂気とも、どちらとも取れる顔だ。
次いで、驀進。大型の魔物が突進してくるかのような迫力と威力だ。
だというのにアミュレの心は一波の動揺もなかった。静謐というよりも、心そのものが凍りついているかのように、あるがままに物事を観察し、最適な動作を弾き出していく。
体が軽い。
頭が回る。
相手の全ての動きが、まるで見飽きた人形劇かのように予期できる。
繁る樹海が一斉に整地されんばかりの乱打の嵐が彼女を襲った。
そしてその全てを寸前で回避していく。反撃に転ずる気はなく、ただ逃げることに専念した動き――盗賊の真骨だ。
「逃げてばかりじゃ、なにもできないよ!」
「あら、もう弱音? 暗殺者が標的を捉えられないなんて、その程度の才能だったのかしら?」
「挑発のつもりかい? 時間稼ぎをして、あの男がまた助けに来るのを待ってるのかな」
その言葉を聞いたとき、頭がずきりと痛んだ。
自分のなかに意図せず生まれた処理ルーチンが、リーダーと慕っていた人物。
「――いまは、この体は私の物よ」
攻撃を交わしつつ、宙で翻りながら呟いた。
思考が一瞬だけ処理の速度を遅めた。異形が放つひとつひとつの攻撃軌道がぶれる。
「ここで死んだらあなたも終わりよ。そうしたら、誰がこのパーティを守るのかしら?」
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