72

 ずきずきと頭が痛んだ。

 心の奥で、なにかが悲鳴を上げていた。

 彼のいうことが事実であることを、自分自身がよくわかっているからこその痛みだった。


 アミュレはこの瞬間を楽しんでいた。

 人間と殺し合い、どちらがどちらを支配するかを決定するこの瞬間を。追いかけ続けた亡き友の幻影が、次第に霧散していくような感覚がまとわりついた。癒すことよりも、傷つけることのほうへ心の比重が移っていくのを感じる。


 それは盗賊としての彼女には喜ぶべき機会だった。

 些細なことから自分のなかに生まれた、『あの友だったらどう行動するだろう』と思考するルーチンと、それに付随して産まれた新たな自分の一面が、ようやく消えるのだ。ようやくこれで、死霊術師としての道を歩み直せる。更生の余興で、この殺し屋たちに付き合うのも、確かに悪くないかもしれない。――だが、


「う、ぐ……っ」


 何故こうも、頭が割れるほど痛むのか。この胸の底から込み上げるような嘔吐感は。湧き上がる嫌悪感は、一体なんなのか。


「動きが鈍ったね」


 意識の隙間を縫うように、ぼそりと呟きが漏れた。そして次の瞬間、彼女の小さな体は、辺りに散る木の葉と同じように宙を舞っていた。

 視界が上下左右でたらめに動き、次いで上げしい衝突感が全身を打った。


「が……ァッ……」


 今度こそ本当の悲鳴が上がった。

 肺が空気を求めて伸縮し、死の危険を感じ取った本能が、珠のような汗を吹きあがらせた。


 死ぬ。

 このままでは死ぬ。

 心臓が早鐘を打った。直面する死の予感が、いまさらながら現実味を帯びて襲いかかってきた。


「ちゃんと手加減はしておいたよ。僕は君にわかってほしいんだ。本当の君を。君のまま、あるがままに生きていいってことを」

「子供を数メートル吹き飛ばしておいて、ずいぶんな言い振りね」

「君がどうしてそんなに僧侶にこだわるのか知らないし、知ろうとも思わないよ。でも君は、そんな自分に飽き飽きしてるんだろう? ほら、あれを見なよ」


 魔に侵食されていない左腕をひょいと上げると、パイルはとある一点を指さした。アミュレもそれを見た。


「もう君に、あれは必要ないんじゃないかな」


 示した先には、アミュレが脱ぎ捨てた白のローブがあった。

 いや、白だったという表現のほうが正しいかもしれない。

 無造作に地面に脱ぎ捨てられたローブは、ふたりの激戦の余波ですっかり泥をかぶり、ぼろぼろとなっていた。


 ――あ。


 少女のなかで、何者かの声がぽつりと呟かれた。誰に強制されたわけでもなく、自分自身で出した答えを、改めて認識したというように。

 不要として脱ぎ捨てられた殻は、その役目を終えてゴミ屑同然となっていた。

 それが、彼女自身が出した結論だった。


 ふと、体が軽くなった。

 先ほどよりもさらに軽く。まるで最後に背負っていた荷物を、全て放り捨てたかのように。


 その様子を観察していたパイルが、この夜において、最高の笑みを作った。

 とても溌剌はつらつとした微笑みだった。待ち合わせをしていた友人と、ようやく会えたかのような嬉々とした笑みだ。


「待って◼よ。さあ、僕と一緒に行こ◼」


 手を差し伸べた。人ではなく、魔に落ちた異形の手を器用に扱い、地に伏せる彼女に差しむける。

 対するアミュレは、それに一瞥することもなく、上空を見据えていた。

 真っ暗闇の夜空に、冷然とした瞳が注がれていた。


「――くだらないことに、時間を取りすぎたわ」


 上体を起こすと、向けられた魔手には触りもせずに立ち上がった。


「ひどい怪我だ。癒術で治せないの?」

「もう使えないわ」

「これからどうするの?」

「遅れを取り戻すのよ。私が本来与えられるべきだった、上級職へ続く道のりの遅れを」


 パイルが、慇懃とした仕草で頭を下げる。


「じゃあ、行こうか。大丈夫、僕たちといれば、玩具ひとには困らない」

「ええ、そうね」


 先ほどの激戦が嘘だったかのように、辺りは静かだった。

 争いは終わりを迎えようとしていた。果たして誰が生き、誰が死んだのか。

 傍目からはわからない勝負の決着だった。


 パイルは心の底から幸福を味わっていた。

 この自分が誰かを導いたのだ。迷える子羊を。神の代行者となれた誉れが、小山のような巨躯すべてを満遍なく満たした。

 

 ふと、アミュレが首を他方へ向けた。

 パイルもそれに応じるように、同じ方向に目を向ける。

 自分たちが荒らし回った森の向こうで、よく見ればひとつの影が動いていた。


「おーい! 無事かガキンチョ!」


 攻防が終わり、静けさを取り戻した深緑の森に胴間声が響いた。

 忙しく動く影が、次第にふたりへと走り寄ってくる。


 ガイエンだ。

 弔花からアミュレの助力を引き受けた彼が、勇み足で場へと姿を表した。魔落ちとの戦いで疲弊した様子は伺えるものの、まだ戦闘続行は可能、という風だった。


「さっそく、玩具が来たね」


 楽しそうに語る大男に対し、アミュレはただ冷然とした視線を向けるのみ。

 やがて闇が取り払われ、姿を目視できる距離まで来たガイエンが、パイルの姿を見て言葉を詰まらせた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る