63

 オズロッドとアイリスの気配を感知しつつ、同時にアミュレは敵全員の位置も把握していた。

 それがどれだけの集中力と体力を消耗することか、弔花も察している。

 だからこそ、先ほど後衛の彼女が攻撃に参加したことも、納得してしまった。


 勝負を急ぐ必要があるのだ。アミュレの集中力と体力が尽きる前に、アイリスたちを逃す必要が。


 そのためには囮であるこちらが、できるだけ相手の目を引きつける必要がある。

 事実、僧侶である彼女からのナイフの一撃は、相手に大きな動揺を与えた。


「なんだか今日は、体が軽いです」


 そう告げるアミュレの声は、この場の誰にも届くことはなかった。

 その声音に潜む、相手を傷つけることも、仲間が傷を負うことも、なにもかも些事と切り捨てるかのような、凍てついた冷たさが含まれていることにも。



  ◇



「もっと心を解放したくないか」


 彼があの蛇のような男と最初に出会ったとき、開口一番にそう告げられた。

 問いかけではなく確認のような調子だった。


「俺はある人のツテで、この都市で自由を手に入れた。だからお前を見ていると、いたたまれない気持ちになる」


 彼はこの大海原に浮かぶ小さな小舟に乗せられた、暗殺の天分を与えられた者だった。小山のような巨躯を持ちながら動きは鋭く、特に気配を断つことには絶対の自信があった。幼いころからかくれんぼは得意だったし、相手を叩きのめすことにも全く心を痛めることはなかった。気性の荒い人間が多く住むこの都市で、彼の行動は最初、それほど問題視されていなかった。


 力で相手を圧倒したものが、華々しい栄誉を得ることができる。

 それが犯罪者たちが作り上げた船団都市の掟で、幼い彼はそれに素直に準じただけだった。

 

 そして変化が現れたのは、彼が十二歳のとき。

 すでに下級職の盗賊を修めていた彼は、いつものように友人と拳闘を行い、一度も真っ向から戦うことなく相手を再起不能にした。


 拳闘場は街の一角すべてで、子供の遊びならではのルールの非精密さを突いた彼は、影から影へと姿をくらましながら相手をいたぶった。

 繰り出される拳を折り、逃げる足を切り、降参を告げようとする口を潰した。

 結果、再起不能は文字通り、相手の人生すべてを粉々にした。

 死なないまでも、ただ生きているだけと呼ぶしかない状態にした。

 彼はそのとき、自信の心と下半身が、いままで感じたことのないほど熱く燃え滾るのを感じた。いままでの人生で感じたことのないほどの高まりだった。


 そのとき、天啓が降りた。


 盗賊から殺人者へ。

 盗む者から奪う者へ。

 より実践的で、残忍で、彼の滾りを満たすに十分な天職が。


 神はこの世のすべての生き物に平等だった。

 上位職へのクラスアップが一生訪れない人間すらいるなかで、彼は齢十二にしてその道を示されたのだ。


「どうやって?」


 だが影に潜んで人知れず標的を狩ることに長ける殺人者も、閉鎖された孤高の船のなかでは、意味を成さなかった。

 いつしか人は彼を恐れて、大勢の人間に追い回される日々を過ごすこととなった。親は彼を家から追放した。拳闘は正々堂々と戦うことに意味がある、といったことを叫びながら、十二の子供に本気の拳を浴びせかけた。殺そうと思えば殺せたかもしれないが、彼はそれをしなかった。殺人者という素晴らしい天職を与えてくれた神と同じくらい、親を愛していた。恵まれた肉体と、他者を傷つけてもびくともしない強靭な精神。それを与えてくれたのは他でもない、いま自分を殴りつけている父親と、それを怯えながらも止めようとしない母親であることを理解していた。


「もっと神様に忠実になるんだ」


 降りしきる雨のなか、十八になった彼は、辛うじて雨風がしのげるボロ屋根のある路地裏で、とある男に出会った。

 神に忠実になれと男は言った。

 自分はもう十分に忠実だと言ったが、男は肩をすくめて再び問いかけた。


「与えられた殺人者としての力を、ほとんど振るってもいないのにか? 盗賊のようにその日に必要なパンを盗んで食いつなぐのが、上位職を与えられた人間の生き方だと?」

「みんな、僕のことを知ってる。みんな知ってる裏稼業の人間なんて、誰も使いたがらないよ」

「ほう」


 男は顎に手を当てて、それは意外だというふうな顔をした。

 予約で一杯だと思った人気料理店にダメ元で入ってみたら、すんなりと席に通された客のような素ぶりだった。


 そして出し抜けに、足元になにかが投げ込まれた。

 彼は目を丸くした。足元の皮袋には、いままで見たこともないようなコインの山がぎっしりと詰まっていた。


「依頼だ。とある人間を神のもとへ送って欲しい」

「こんなに大量のお金、見たことがないよ……。一体、どんな大物を殺せって言うの?」

「神に成り代わろうとしている、大罪人だ」

「……どういうこと?」

「とある前途有望な若者が、そいつらのせいで自分の正しい道を歩めずにいる。そいつは神と同じくらいそいつらを信望しているんだ。自分の進むべき道にバリケードを作るそいつらを」

「……」

「その若者は過ちを犯したんだ。神と同列の存在を作ることは、大きな過ちだ。過ちは払拭しないといけない。そうだろう?」

「……うん」

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