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 震えながらそう語るアイリスに、全員が口を閉ざした。

 ガイエンまでもが一言も発さずに、顔をフードで隠す彼女に見入っている。顔は見えなくても、声音でそれが真実だと察しているのだ。


「子供に……そんなことまで」


 アミュレが怒りをあらわにした。

 自分のように特殊な環境で育ったわけではない。ごく普通に暮らしていた少女をどこからか連れてきては、魔堕ちの実験台とするために、信じがたい狂気と、数えきれない死体の前に晒した。


「もう大丈夫ですよ。アイリスはもう私たちの仲間なんですから、二度とそんな思いはさせません」


 安心させるために頭を優しく撫でた。

 それが功を奏したのか、アイリスの呼吸は次第に穏やかになった。

 やがて眠気がピークに達したのか、目蓋を落とした彼女は、オズロッドによって今度こそ寝室へと運ばれた。


「彼女の勇気のおかげで、オクトーの目論見が少しだけ見えましたね」


 オズロッドが戻ってくるまでの間、少しばかりの小休止を置いてから、彼が再び席に着くのを確認してアミュレが言った。


「……血闘祭は……儀式の代わり……?」


 弔花が淹れ替えたお茶を飲みながら訊いた。


「はい。オクトーはアイリスにしたことを、今度は公の場で、もっと大規模に行うつもりなんです。生贄はおそらく参加者全員。そして儀式の主役は、リズさん」

「おいおい、さっきから話が見えねえぞ。オクトーが血闘を許可したのと、あのガキの過去と、なんの関係があるんだよ」

「タチの悪い趣味に付き合う相手が、子供だけじゃ満足できなくなった。それだけです」

「ガイエン、悪いことは言わねえ。今日はこのまま帰って、なにも聞かなかったことにしろ。豊漁祭にもなるべく出るな。特に血闘は厳禁だ」

「なに言ってやがる。年に一度の大祭で、しかも久々に許可された目玉イベントだぞ。剛腕のガイエンの二つ名を轟かせる、いいチャンスだろうが」

「お前がいましたいのは血闘か? それともあのガキとの再戦か?」


 オズロッドの射抜くような瞳がガイエンを貫いた。ガイエンは息を飲み、先ほどまでの威勢が嘘のように押し黙った。

 いまは現役を退いたとはいえ、オズロッドも昔、決闘者として、そしてカンパニーの一員として恐れられていた男だ。彼のその頃を知るひとりとして、これだけの眼光を向けられてはひとたまりもない。


「……畜生、だったら早くあのガキを連れてこいってんだ。つーか部外者の俺でもわかるこの緊急事態に、あいつはなにやってんだよ」

「それは――」


 アミュレが彼の弁護を図ろうとして言いさした。

 目を細め、周囲に感覚を拡散するようにあたりを見回す。


 異変に気づいた弔花が「どうしたの?」と聞くと、彼女は静かに呟いた。


「どうやら、お客様がおいでになったようです」


 それがなにを意味するのかは、ガイエンを覗く全員が察した。

 場の空気が一斉に張り詰める。


「おいおい、どうしたってんだよ」


 ひとり取り残されたガイエンが、不思議そうに全員を見回す。


「私の感知スキルに反応がありました。数は十――この前の夜に遭遇した、魔堕ちの気配に非常に近いです」

「魔堕ちだって!」


 禁忌の名を聞き、がた、と音を立てて席を立った。

 だが説明している暇はない。相手が友好的な客人ではないことも、そしてここに来た目的も、とうに検討はついているのだ。


「オズロッドさんは寝室のアイリスを連れて気を見計らって脱出を。私と弔花さんが隙を作ります」

「後衛ふたりに任せて、前衛の俺が後ろに下がれるか。アイリスの敬語はお前らのどっちかがやればいい」

「いえ、ここで果たすべき目的は、敵の迎撃ではなくアイリスの死守です。ならここで一番戦闘能力の高いオズロッドさんがアイリスに着くのは、至極当然の判断です」


 それに……と、心の内で新たな言葉が紡がれた。


 


 侮辱に対する抗議というより、間違った答えに釘を刺すような口調が、心の奥から響いた。


『死霊術師は後衛職ですよ』

『誰かさんのおかげで、クラスアップが遅れているのよ』

『体は貸しませんよ』

『あら、どうかしら』


 今晩は本当に、よく喋る日だ。アミュレは小さく溜め息をついた。

 頭の中で異なった結論を同時に出すのは労力がいる。この大事の前に、そんなことに割く余力はないというのに。

 現れた無粋な客人のなかにひとつ、異なる気配が混じっていることを彼女は見逃してはいなかった。

 魔堕ちの気配はひどく歪だった。悲しさすら感じるほどに。元あった形を無理やりこねくりまわされ、都合の良い形に整形されたような気配だ。

 対してそこに混じるもうひとつの気配は、歪ではなく異質だった。ひどく巨大な生命力を感じるのに、いままで感じたことがないほど感知が弱い。巨大な肉食生物が、獲物を狙って荒い鼻息を鎮めている感じに似ていた。


 大抵、人というのは気配を歩い程度は操作できるものだ。どんな天職だろうと関係なく、生まれ持った生物の処世術として、気配を殺すことは誰でもできる。

 だが感知スキルは、そんな処世術を看破するために用いられるスキルで、彼女はそれを故郷で磨かされた。常人ができる程度の気配操作など、多寡の判別すら必要ないほどにありありと感じられる。

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