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 ぽつりと呟いた。

 昔、シュバリアの戦術書で読んだことのある、最善の戦術方がそれだった。どんなに優れた行動でも、自分で行動する分には必ずコストが発生する。このコストをどれだけ抑えてリターンを得るかが、戦術のみならず、人生においての成功の鍵なのだと。

 もし他人が自分の思い通りに動いてくれれば、かかるコストはゼロだ。その結果が成功するであれ失敗するであれ、こちらのマイナスにはならない。

 これは死霊術師の理念に通じるものだった。死者を一方的に使役して、自分は安全な場所から物事に介入する。オクトーという人物は、自分が守るべき民を、死人同然に扱っているのだ。


「街はどんな状況なんですか? オクトーから、それとなく示唆されたことなどはないですか?」

「いや、ねえな」


 ガイエンが眉を寄せながら、心当たりがないことを告げた。だがこう付け加えた。


「むしろ、こっちの要求を飲んでくれたってんで、街の奴らはさらに大はしゃぎだ」

「要求?」

だ」

「決闘会? それなら、いつもやってるじゃないですか」


 今度はアミュレが眉を寄せた。

 男性の趣味は女性には理解できないものも多いが、船団都市の一大娯楽である決闘は、まさしくその最たるものだった。たとえ金品を得るためだとしても、自分が怪我をしてしまえばどうしようもない。先ほどの理論に当てはめて言えば、得るものに対して払うものが大きすぎるのだ。


「多分、お前の考えてる字面とは違う。『決』する闘いではなくて、『血』の闘いだ。読んで字のごとく、お互いが死闘を繰り広げるんだ。それこそ、命がけでな」

「……なんですか、それ」


 アミュレの表情が、明らかな嫌悪へと変わった。

 決闘だけならまだしも、命まで天秤にかけた闘いなど、理解以前に僧侶として許せるものではなかった。


「昔、まだ海賊だった祖先の記憶が新しい時代に行われていた、無法の娯楽だ」

「いまでも十分無法だと思いますけど」

「そうでもない。本当にヤバいアイテムを扱えばしょっぴかれるし、命がけの決闘は王船の奴らが禁止令を出してる」


 これでも随分ましになったと言いたげなオズロッドに、アミュレは溜め息をつきそうになるのを寸前で堪えた。


「まあ、そりゃあ自分たちの統治する場所で平然とそんなの行われたら、たまったものじゃないでしょうね」


 ふたりの会話に、今度はガイエンがちっちっと指を振りながら割って入った。


「ところが今回の豊漁祭は、それが解禁されたってわけだ。しかも王船の長であるオクトーから、直々にだ」

「いままで血闘祭が禁止されてた理由は?」

「まず死人が出る、それも大量にだ。血闘の方式は一対一ではなく混戦試合、バトルロイヤルだ。相手がひとりのときよりも、命が軽くなる」

「……」

「あいつらにとっちゃ俺たちは金づるだ。それが祭りの催しで大量にいなくなっちゃ、向こうも困るってことだな」

「それが、なぜか今回に限って了承された」

「理由を知りたいか」

「わかるんですか?」


 鹿爪らしい顔をして聞いてくるガイエンに、アミュレは素直に返答した。


「これがあいつにとってチャンスだからだ。ジャスたちに宣戦布告する流れでさらにこの大盤振る舞い。評判の悪い自分を払拭する絶好の機会ってわけだ」


 一か八かの大賭けでもするような調子だった。

 弔花から聞いていたオクトーの人物像とは大きくかけ離れていたし、そもそも、


「別に、彼にとってこれはチャンスでもなんでもないですよ」


 あっさりと返した。


「だって、王船は実質オクトーの支配下にあるんでしょう。自分の評判なんて、彼が気にする理由がないです。最悪、支持がゼロになっても痛くない。だからそんな危険な催しを許可するには

違う目論見があるはずです」

「あいつもついに、戦いの楽しさに気づいたってことなんじゃないか」


 気軽にそう口にするガイエンを無視して、アミュレはその意図を探った。

 そのとき、アイリスがぽつりと呟いた。


「私のときも、殺しあってた」

「え?」

「私がこうなったときも、沢山、人が血を流してた」


 思い出したくない過去が脳裏で蘇っているのか、アイリスの小さい体が小刻みに震える。

 こうなったとき――つまり、魔堕ちとなったときのことを、彼女は思い出している。

 アミュレはそっとオズロッドに目線を配った。ガイエンがいる手前、ここで彼女が魔堕ちであることを口にするのは不味い。


 オズロッドはそれを察し、アイリスを奥の寝室へと手引きしようとした。だが、


「ここにいたい」


 いつもは聞き分けの良い彼女が、初めて抵抗を見せた。

 オズロッドがなんとか説得しようと試みたが、当人の意思は固かった。まるでここにいることが義務であるかのような様子だった。無理やり魔落ちにさせられたが、それによってアミュレたちに、新たな情報をもたらせられないかと、必死になって振り返りたくない過去と対峙しているようだった。


「沢山の人が、笑いながら誰かを斬ったり、斬られたりしてた。悪いことをしているのに、すごくにこにこしてた」

「興奮を促進させるアイテムかもしれないな。いくらこの街の奴らでも、好き好んで殺し合いをしたりはしない」

「それで……動かなくなった人たちを、白いローブの人たちが集めて、私の前に……」

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