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 ――だというのに、魔堕ちに混じるこの訪問者の、微かにしか感覚できない気配はどうか。


 感知をスペシャリストを欺くのは、同じく隠密のスペシャリスト。

 アミュレはただひとり、この都市における、自分と拮抗する――いや、それ以上の熟達者の存在を思い浮かべた。そしてそれは、確信となって彼女の心臓を動悸させる。


 パイル。

 ジャスの片腕であり、自分の……忌々しくも腕に自信のある盗賊の技術を、ことごとく超えた盗賊の上級職『暗殺者』の男。


 ああ、それでか。

 アミュレは唐突に理解して、思わず口元に笑みを浮かべそうになった。


 普段は言葉を発さず、こちらの意思を摘み取る機会を窺う、対の影になりきっている過去の自分が、今日はやけに喋るのは。


 要するに、プライドを傷つけられたのだ。

 アカデミーで優秀な成績を修め続けた彼女にとって、同じ系統のスキルで打ち負けることは初めての経験だったのだ。

 僧侶としてのアミュレは、正直、彼にそこまで固執する理由はなかった。

 自分の本分は人の救済にあり、それが友人を殺した罪を滅ぼす唯一の方法なのだ。盗賊のスキルで負けたからといって、どうということもない。


「……多人数相手にこの数は不利に過ぎますね。ここは迎撃しつつ、気を見計らって逃走しましょう。オズロッドさんは私たちのことに構わず、裏口からアイリスと先に――」


 そこまで言いかけたとき、けたたましい破壊音が鳴り響いた。

 がしゃん、という耳に障るガラスが叩き割られる音。


 一瞬、敵が強行突破で侵入してきたのかと思った。

 とっさに身構えて迎撃態勢を取る。だが窓からの来客は、その予想とは違う物だった。


「……これは……」


 弔花がいぶかしげに言った。

 アミュレも咄嗟にはそれがなんだかわからなかった。だが、見覚えがあった。

 窓から放り込まれた、その血に染まったボロ衣に。


 そしてはっとなった。

 そのボロ衣は、先日、リズレッドにスリを行った盗賊くずれの来ていた衣類だ。

 パイルによって瀕死の重傷を負った彼を、癒術で救ったのはアミュレだ。そして当人が装備していたアイテムが、血に染まっていま、ここにある。


 裏の世界で生きる者が良く使う手だ。

 死ねば光の粒子となって消えるこの世界では、故人の体の一部を任意に取得することはできない。

 だからこうして、由縁ある物の一部を使うのだ。血に染めて相手に示すことで、当人の身がすでにこの世にないことを示す。脅迫の念を込めて使われる、もっとも一般的な脅しの方法だ。


「――――。」


 そのときアミュレは、全身の熱が一瞬で冷えるのを感じ取った。

 殺した。あいつら。救った命を。殺す必要のない命を。私の存在意義を。あの子との、約束を。殺した。


 いまここに、盗賊である過去の自分と、僧侶である現在の自分が、同じ解を示す。

 常に異なる決断をしてきたふたつが、ひとつとなってひとりの体にすとんと収まった気がした。


 それはすなわち、パイルへの復讐。


 盗賊の自分は、侮辱の払拭を。

 僧侶の自分は、存在価値の証明を。


 たとえ動悸は異なるとしても、下した決断を同じだった。

 そして隣にいる弔花は、その様子に思わず息を吞んだ。


「……アミュレ……ちゃん……?」


 いつもはムードメーカーでありパーティのブレーンでもある彼女から、いま放たれているのは全く異なる気質。

 リズレッドのような燃え盛る炎のような怒りは感じないが、氷河の冷気を思わせるような極寒さが、彼女の周囲を取り巻いていた。


「大丈夫です弔花さん。ラビさんが不在中に、このパーティを潰すわけにはいきません」

「……うん……」

「オズロッドさんたちが逃げる時間を、なんとしても稼ぎます」


 話に取り残されたガイエンが、落ち着かない様子で声を上げた。


「お、お前らなんでそんな冷静なんだよ! この服は昨日、街で公開処刑された盗人のものだ。俺たちははっきりとオクトーから喧嘩を売られたんだぞ! しかも魔堕ちって、どういうことだよ!」

「先に事態に顔を突っ込んだのがそちらです。生き残りたかったら、私の言う通りにしてください」


 突然、雰囲気を変えた相手に呆気に取られたように言葉が途切れた。

 だがガイエンにしてみたらたまった物ではない。なにせ自分たちの世界を支配する管理者に、堂々と反旗を翻すようなものだ。開かれた外の世界であれば、管理外の地域に逃げるという選択肢もある。だがここで生まれた者は、その経歴に関係なくどの国からも忌み嫌われている。犯罪者たちが作り上げた根城に住む、犯罪者たちの末裔。それが船団都市に暮らす全員に押された烙印だった。


「畜生、とんだ船に乗っちまったもんだ……!」


 それが船団都市のことを言っているのか、それともアミュレたちと同行したことを言っているのか。

 いずれにせよガイエンは自分の境遇に毒づいた。そして、


「命あってのモノダネだ。力には自信がある。せいぜい凄い作戦を期待してるぞチビ助!」


 そう発破をかけた。

 来るなら来いという気持ちだった。しかしアミュレが次に発した言葉に、思わず目を丸くした。


「わかりました。では外で飛び出してください。できるだけ大きな音を立てて。派手に」

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