57

 背後の自分が、冷ややかな笑みを浮かべる気配を感じた。

 そして次には、背中越しに伝わっていた冷気が霧のように消えた。

 過去の彼女は、根本がひとつであることに気づいているのかもしれない。二重人格のようにひとつの器に無理やり心をふたつ押し込み、どちらがいつ消えるかわからないという状況ではない。その都度分岐する結果が過去と現在というだけなら、そう焦ることもないと。


「どうしたの?」


 極寒の白雪に閉ざされていた周囲が、唐突に光を取り戻す。傍から届いた声に、アミュレは少しだけ間を置いて応えた。


「なんでもないですよアイリス。少し、考え事をしてただけです」

「考えごと?」

「ええ。たとえば……これから来る敵の迎撃について、なんかですね」


 一同が目を見張った。

 一体なにを根拠にそう判断したのか、誰もわからなかった。

 アミュレはその様子を伺いながら、皆にこちらの推測を浸透させるため、ゆっくりと語り始めた。


「まず大前提として、オクトーたちはアイリスの奪取を諦めてはいません。アラナミには依然としてクエストが貼り付けられていますし、報酬出資者がクラッカーカンパニーということは、彼女はまだ危険の最中にあるということです」

「だが、ここでこいつを匿ってるのを、向こうは知らないんじゃねえのか?」

「向こうの情報索敵能力が、予想以上に高いです。弔花さんから伺った一連の話では、向こうはこちらの過去をよく調べています。この海の真ん中で、どうやって大陸にいた頃の情報を調べたのかはわかりませんが……。ただ言えるのは、この船団都市内の事情程度なら、どんなに隠しても向こうには筒抜けということです。もちろんアイリスの居場所も。それを知っているにも関わらず、あえて先にリズさんの捕獲を優先したということになります」

「……どういうことだ」

「真意はわかりません。ただ、オクトーたちには両方が必要なんです。リズさんとアイリスの両方が。なら向こうが打ってくる手は、ひとつしかありません」

「ここに襲撃をかける……か」

「はい。なのでできるだけ早く、ここを離れる必要があります。ここは周囲から孤立してますから、多勢で攻めてこられたら為す術がありません」

「弔花が言っていた、魔堕ちの部隊か。ったく、魔堕ちは理性が消えるはずなのに、なんで奴らに大人しく従ってるんだ」

「……従ってるというより……目の前の敵に襲いかかってるだけ……みたいだった……」

「同じことだ。つまりジャスたちより、こっちを敵と認識する程度の知性がある。その時点で異常だ」


 アミュレはそこで口に手を当てた。

 なにかが引っかかった。魔堕ちの知性化が彼らの目的に含まれているのは間違いない。事実、それでこの都市にきてからというもの、二度も組織的に襲われたのだ。本来は制御不可能な、人から魔へと堕ちた成れの果ての存在に。


 そして弔花は言った。リズレッドは更なる成長のために、魔堕ちとなることを選んだと。そしてその手引きをオクトーは約束したと。


 このふたつが彼らの目指す一点を指しているのだとしたら、逆にオクトーたちに不利になるのではないか?

 リズレッドの自我を保ったまま更なる力を与えれば、危うくなるのは向こうなのだ。

 だというのに彼らはそれに協力している。アミュレはその意図が読めず、しばらく黙考したあと、かぶりを振ってそれを振り払った。


 相手がどう考えているかなど関係ない。

 いま自分が言ったばかりではないか。

 リズレッドに対しても、オクトーに対しても。……そしてラビに対しても。いまの彼女は一歩たりともその意思を後退させる気はない。

 退けば何もかも終わってしまう気がした。こんな自分を受け入れてくれた大切な人たちが、もう二度と戻ってこなくなるかもしれない。その焦燥が、逆に闘志となって心の内で熱を放つのを感じた。


 パイルが襲いかかってきたからといって、もう遅れを取る気はない。

 アサシンが盗賊の上級職だから、なんだというのか。レベルが上だからどうしたというのか。

 それを覆してきた者たちを、自分はずっとそばで見てきたではないか。


 そのとき、ふいに全員の耳に音が響いた。ノック音だ。緊張のなかで周囲に気を配る余裕のなかった彼女たちに不意打ちでも食らわすかのように、ドアを叩く音が三回、無音の室内にこだました。


「話は聞かせてもらった」


 アミュレと弔花の意識が、ドア越しに囁くその声の主に集中した。

 アイリスは覚えた様子で隣のアミュレの袖を握り、オズロッドはどこかぼんやりとそれを眺めている。


 きい、という軋んだ音とともに戸が開かれた。

 ここにいる前衛職はオズロッドだけだが、他のふたりのほうがよほど戦闘態勢を整えていた。

 アミュレは杖を、弔花は調薬した小瓶を持ち、夜中の来訪者を迎え撃つ。


 そして――


「どうやら、ピンチみたいじゃねえか」


 現れたのは、赤いバンダナを巻いた二メートルを超える大男で、


「…………どなたでしたっけ?」

「……だれ……?」

「豪腕のガイエンだ!!」

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