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 それがどんなに難しいことか、オズロッドは年季の入った皺を撫でながら語った。

 彼がなにを脳裏に描いているのかは、誰も想像することはできない。ただ、なにを思い出しているのかはアミュレや弔花にもわかる。


 そして、アミュレは改めて他人からそう言われて、自分もかつてはそう考えていたということが思い出された。

 数々のパーティに参加を申し入れるも、帰ってくるのは拒否の言葉ばかり。そればかりか、なかには罵倒さえしてくる者もいた。俺たちはヒーラーを雇ったのであって、足手まといを雇ったわけではない。とか、嘘つきのみすぼらしいガキ、などといった罵倒を。


 事実、古代図書館では落盤に巻き込まれ、パーティに大きな迷惑をかけてしまった。

 そのことを謝ろうとしても、あの白髪の青年の月髪色の騎士は、困ったように拒むだけだった。

 あのふたりだからこそ、作り上げることができたパーティだった。

 そしていま、そのふたりはいない。リーダーは自分自身に託され、その行動指針をいま決めなければいけない。


 であれば、彼女が取るべき選択はひとつだけだった。


「――リズさんを奪還します」


 全員の目線が集中した。


「ここはラビさんとリズさんが作り上げてくれた、私たちの大切な居場所です。だから、誰ひとり欠くことも、私はしたくありません」

「自分から望んでオクトーについていったって聞いたが」

「本人の真意はわかりません。ここで話し合っても、正解も出ません。……そしてなによりも、そんなことは関係ありません」


 オズロッドの目がにわかに丸くなった。

 幼い少女だと思っていたアミュレから、かつて自分が組織に所属して頃に時折感じた、窮地に立たされた際に発せられる人間の底知れぬ覚悟の力を感じ取ったのだ。


「いまのパーティリーダーは私です。リズさんはまだ脱隊の意思を示していません。なので決定権は私にあります」


 むろん、彼女はリズレッドが本意で離脱したなどとは考えてはいない。だがもし本当にそうだとしても、無理矢理にでも連れ戻すという覚悟を自分の心に刻むため、あえてそう告げた。

 そのとき、彼女の周りを冷気が包んだ。

 とても見知った、故郷の空気だ。大陸北部に位置する霊都シュバリアの、幼い頃に日常的に取り込んでいた、肺も凍るような冷たさ。

 そしてそれと同じように、人に対する暖かさなど微塵も持ち合わせていなかった、過去の己。


 ふと背後に気配を感じた。

 彼女にしか感知できない、彼女の世界にしか存在しない存在。


『いまさら人の上に立てるとでも思っているの? あなたが立つのは死体の上。物言わぬ操り人形だけが、価値のある駒よ』


 それは自分の内にいるもうひとりの己。

 振り抜かずともわかるその隣人が、背後から嘲笑とも侮蔑ともつかない言葉を放った。


『あら、今日はずいぶんとおしゃべりなんですね』


 口には出さず、意思だけで語った。互いにとってそれで十分だった。


『あなたが死ねば私も死ぬ。死体を括るのが死霊使いといえど、自分の体でそれを試すつもりはないわ』

『私は盗賊です。まだ上級職にクラスアップしたわけではありません』

『いずれそうなるわ。いっときの僧侶ごっこに気が済めば、この体は再び私の物になる』

『私の体は私だけのものです。それに、盗賊からクラスアップする天職に、回復職ヒーラーがないと決まったわけではありません』


 ――たとえそれが、人類の歴史のなかで、一度たりとも授けられた事例がないとしても。


『哀れね。哀れで、不合理だ、不快だわ。私の限られた時間を、そんな無駄なことに使い続けるられる私の身にもなって頂戴』

『何度も言いますが、この体は私の物です』

『最終試験で出されたに、たまたま感化されてつけられた汚れごときが、ずいぶんと傲慢なものね』

『……エリシアのことを侮辱するのは、止めなさい』


 ぴしゃりと言った。

 自分のために命と癒術を託してくれた友人――自らが殺した友人を、自分自身が否定することは絶対に許さないというように。そして付け加えた。


『たとえ先天的に生まれたのはあなただとしても、私はいま生きてます。それがエリシアがこの世にいたことの証明です』

『他人のために自分の命を消耗するなんて――死霊術師として最低ね。どちらが傀儡かわかったものじゃないわ。……でも、あなたにあの男が倒せるかしら? 盗賊の上級職に就く、あの殺人者を』

『――死は恐怖であり、我々の力であり、そして最も親しい隣人だ』

『……』

『アカデミーで教わった、死霊術師の教義です。忌々しい、思い出したくもない言葉ですが――こういうときに聞くと、不思議と力が湧いてくるものですね』

『あなた……本当に』

『死ぬ気はありませんよ。でも、身近な存在から逃げようとしても無駄です。なら精々歓迎しましょう。私たちの隣人を商売道具にする、あの大男を』


 アミュレは気づいていなかった。自分がいま、背後に立つ過去の己と同様の、冷淡な瞳をしていることを。

 どんなに亡き友人に報いるため、そして自分の罪を恥じても、彼女の土台はそこだった。この世に生を受けたときから、魂に刻みこむかのように施された教育は、もはや取り除くことはできない。だからこうして、背後のもうひとりの自分と対話もできた。二重人格というわけではない彼女が、ここまで別個の存在を内に宿す――それはとどのつまり、大元を辿れば元はひとつであるからだ。友人の殺害という決定的な出来事が分岐となり、あらゆる出来事に対して、盗賊と僧侶というふたつの結果が、心の内に同時に生まれているだけだった。

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